雑文の旅

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猫爺の連続小説「佐貫鷹之助」 第十八回 千日墓地の幽霊

2014-04-11 | 長編小説
 鷹塾に通う子供達が帰った後は、いつものように鷹之助とお鶴の憩いの時である。
   「先生、大人たちがひそひそ話をしていたのですが、千日墓地で幽霊が出るそうです」
   「そうですか」
   「先生、怖くはないのですか」
   「幽霊の、正体見たり、枯れ尾花って言うじゃないですか」
   「そうかなあ、絶対に居ると思うのですが…」
   「何かを見間違えたのでしょう」
   「千日墓地には、刑場もおます、無実で処刑されて、この世を恨んで成仏できない幽霊が出てくるのではおませんか」
   「そうだったら、気の毒ですね」
   「人間ですから、お奉行さまも間違いがあるかも知れません」
   「大人の人たちがそう言っていたのですか」
   「実はそうです」
 後で、新三郎の意見を聞いてみようと、その場は話題を変えて、楽しい話しでお茶を濁し、ひと時を過ごした。
 お鶴が帰った後、夕餉の支度をしながら、鷹之助は新三郎に訊いてみた。
   「さっきの話、新さんどう思います」
   「余程、霊視能力を持った人が居れば、生前の姿を一瞬見るようですが、普通は姿など見えません」
   「強い恨みを持った人が死ねば、恨みがこの世に残ることはありませんか」
 新三郎の話はこうである。恨みというものは、人間の肉体に宿るものであり、「魂」即ち幽霊は真っ白な無垢で一切の邪念はない。従って、人々の言う地獄などは有り得ない。現世で犯した罪は、肉体に罰が与えられる。魂が地獄に落とされようと、どんな地獄で責められようと、魂に苦痛は与えられない。嘘をつくと、閻魔大王に舌を抜かれるなどとは、子供の躾のための大人がつく大嘘で、もし舌を抜かれるとすれば、大人の方であろう。
 幽霊には、舌も無ければ喉チンコもない。血も出なければ、痛みを感じることもない。幽霊(亡者)を責める地獄など有っても意味が無いのだ。
 新三郎は幽霊であるが、感情と言うものは、憑いている鷹之助の感情を写したものである。幽霊が恨みを持って、人の前に出てくることはない。まして、罪のない人々を驚かすために姿を見せることなど無いのだ。
 幽霊新三郎の生前の姿を垣間見た人がいた。強い霊視能力を持った今は亡き能見数馬である。彼は一瞬新三郎の姿を見て「行くところがないのなら、私に憑きなさい」と声を掛けたのだった。
   「一度確かめに行きたいのですが、鷹之助さん行ってくれますか」
   「ええまあ、行ってもいいですが…」
   「怖ええのですかい」
   「新さんが居るから、怖くはないです」
   「じゃあ行ってくだせえよ」
   「でも、新さんが知らないような悪霊だったらどうします」
   「悪霊か、三太さんも、あっしを悪霊だと言ったことがありやした」
   「新さんが悪霊だなんて」
   「では、今夜出掛けましょう」
   「明日の昼間にしませんか」
   「真っ昼間に、幽霊は出ねぇでしょうよ」
 なにしろ、大坂千日は刑場のある墓地である。骸(むくろ=首の無い死体)が乱雑に埋められている。深夜にうっかり墓地の中を歩いていたら、土の中から白骨化した腕が「ぬぼっ」と出てきて、足首を掴まれるかも知れない。鷹之助は、そんな想像をしていた。
   「馬鹿ですか、そんな幽霊はいませんぜ」
 鷹之助の想像を新三郎に知れてしまった。
   「では、今夜にも出掛けやしょう」
   「君子、危うきに近寄らず と、言いますけどねぇ」
   「それも孔子の言葉ですかい」
   「違いますよ、ただの諺です」
   「行くのを止めましょうか」
   「反諺(はんげん)に、虎穴に入らずんば、虎児を得ず と言うのもありますけどね」
   「何です そのオケツがどうのと言うのは」
   「オケツじゃありません、コケツです」
 新三郎、少々焦れぎみ。
   「それで、行くのですかい、行かないのですかい」
   「行きますよ、行けばいいのでしょ」
   「やけくそですか」
 その夜、十六夜の月が冴え渡って、持ってきた提灯の出番がない。墓荒らしの見張り番も寝てしまったのか、番小屋の明かりが消えている。
   「鷹之助さん、さっきから下ばかり見ていますね」
   「土が軟らかいので、悪霊が出るとしたらこの辺りかなと…」
   「それで注意をしているのですかい」
   「ええ、まあ」
   「悪霊は、土の中から出るとは限りませんぜ、頭の上から、がばーっと食い付くかも…」
   「ひえーっ」
 鷹之助は、両手で頭を抱えた。それでも、新三郎に促されて奥に向うと、新三郎が何かを見つけた。
   「しーっ、静かに」
   「何も言っていませんけど」
   「居やした、女です」
 鷹之助も目を凝らしてみると、堆く盛られた土の前に踞(かが)む女の姿が見えた。
   「居るのが分かったから、帰りましょう」
   「何しに来たと思っているのですか、あっしはあの女と話がしたい」
   「口説くのですか」
   「幽霊が女を口説いて何をするのですか」
   「嫁にするとか…」
   「もう宜しい、鷹之助さん、独りで帰ってください」
   「御免、謝るからこんな所で独り帰さないで」
   「子曰く、鷹之助さんの、弱点見たり、枯れ尾花」
   「何です、それは」
 新三郎が鷹之助から抜けると、突然女が立ち上がり振り返って鷹之助を睨み付けたが、直ぐに穏やかな顔付きになり、その場に再び踞(かが)んだ。鷹之助は背筋が「ゾクッ」として、思わず後退りした。
   「鷹之助さん、女は生きた人間です」
   「なんだ、そうですか」
   「鷹之助さん、話しかけてくだせぇ」
   「あいよ」
   「何です、その変わりようは」
 鷹之助は、娘に近付いて声を掛けた。
   「娘さん、こんな夜更けに怖くはありません」
   「私は菜香と申しますが、どなたさまですか」
   「はい、私は佐貫鷹之助と申す儒学徒です」
   「そのお方が、どうしてこのような場所へ…」
   「実は、私は霊能者で、ここに幽霊が出るという噂を聞いて参りました」
   「そうですか、それはきっと私のことでしょう」
   「あなたは、何故昼間ではなく夜更けにここへ…」
   「無実ながら処刑された人の供養で、人目を避けております」
   「菜香さんにとって、大切だった人のようですね」
   「はい、末は夫婦と誓った人です」
   「それは惨い、その人はどんなにか悔しい思いで死んだことでしょう」
   「あなたは、信じてくださるのですか」
   「信じますとも」
   「誰も無実だと信じてくれなかったのです、有難う御座います」
 菜香の話を聞くと、菜香は飾り職人の父親と二人で長屋暮らしをしていたが、昨年父親が急死し、娘は通いで料理茶屋の仲居をして暮らしを立てていた。そこへ出入りしている酒屋の御用聞き定吉と言葉を交わしているうちに相惚れとなり、「将来は夫婦に」と誓い合った。
 その横恋慕したのが定吉の先輩番頭、平太郎である。
 その事件があった夜、酒に弱い定吉がその日に限ってベロベロに酔ってお店には戻らず菜香の長屋に転がり込んだ。定吉は大量の血を流している様子なので、手当てをしてやろうと着物を脱がせたが傷はどこにも無かった。血は、着物にだけべっとりと付いていた。
   「定吉さん、何をしてきたのや」
   「平太郎さんに酒を無理やりに飲まされて、気が付けば道端で寝ていました」
 その傍らに見知らぬ男が倒れており、匕首で胸を一突きにされていた。定吉は、男を助けようと胸に刺さった匕首を、無我夢中で抜いてしまったのだ。噴出した血が定吉にかかり、吃驚仰天した定吉は迂闊にもその場を逃げて菜香の元へ来たのだった。
 役人は、直ぐに菜香の長屋に来た。案内して来たのが平太郎であった。菜香が定吉の為に縫って置いた着物を着せると、役人は定吉を縛り上げて番屋へ連れて行った。
 定吉は、泣き叫ぶ菜香を振り返り振り返り「わいが殺したんやない」と、叫び続けていた。
   「殺されたのは、金貸しの権爺でした」
   「定吉さんは、借金をしていたのですか」
   「私の知る限りでは、借金はしていません」
   「では何故定吉さんが殺したとして裁かれたのでしょう」
   「金貸しの証文が何枚か抜き取られていたのです」
   「それだけでは定吉さんが殺したとはならないでしょう」
   「その証文を燃やした燃え残りが、定吉さんの行李の中から見付かりました」
 考えてみれば、おかしなことである。定吉は事件の後、気が付いてお店には戻らず、菜香のもとへ真っ直ぐに来たのである。証文を盗んだり、燃え残りを自分の行李に隠したりしたとすれば、権爺を殺す前にやったことになる。権爺は殺されるまで、一言も証文を盗まれたことを誰にも言っていないそうである。証文の燃え残りも、役人が調べたところ、肝心の名前のところが全て燃えていた。
   「その事を奉行所に訴えようとしましたが、門前払いでした」
   「お菜香さん、奉行所は一旦裁きを下すと、どう足掻こうと、訴えようと、聞く耳を持ちません」
   「悔しいけど、そうですね」
   「そこで、一番怪しい平太郎に殺したヤツをはかせましょう」
   「私は、平太郎が殺したと思うのですが、違いますか」
   「違うと思います、殺したのは平太郎が雇ったゴロツキでしょう」
 平太郎は、定吉を「良い酒が手に入ったから飲みに来てくれ」と連れ出し、ゴロツキは、金貸しの権爺を何らかの口実で連れ出し、殺害現場で落合った。現場では権爺の鼻と口を濡れた手拭で塞ぎ、仮死状態で定吉と平太郎が来るのを待った。
 到着すると、息を吹き返した権爺の胸を刺し、ペロンペロンに酔った定吉をその傍に寝かせて立ち去った。
 平太郎は、定吉を探していたと見せかけ、現場で権爺の死体を発見して直ぐさま番屋に走った。その頃、定吉は菜香の家に辿り着いていたのだ。
 以上は、あくまでも鷹之助の推理である。これから、平太郎に全てを吐かせ、権爺を殺害したゴロツキを突き止め、平太郎もまた無実の定吉を刑場に追いやった罪で町奉行に裁いて貰わなければならない。
   「菜香さん、定吉さんの仇をとりましょう」
   「有難う御座います、仇がとれましたら私は安心して定吉さんの元へ行きます」
 菜香は、定吉が無実だと信じながらも、何も出来なかったことを詫びる為に千日墓地へ通っていた。この後、菜香は平太郎の女になり、隙を見て平太郎を殺し、その場で自分も果てる積りでいた。霊能者鷹之助の話を聞き、この善良そうな若者に託してみようと思う菜香であった。

  第十八回 千日墓地の幽霊(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)

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