雑文の旅

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第十九回 美濃と江戸の師弟

2014-12-24 | 長編小説
 ここはお江戸、福島屋の店先である。今朝も三太と真吉は掃除とお客を迎える準備に余念がない。
   「番頭はん、そろそろお店を開けっせ?」
 いつもの三太のセリフである。 
   「三太、信吉、準備は宜しいな」
   「へえ、抜かりはおまへん」
   「それでは、開けなさい」
 いつもなら、この号令をかけてドッカとお帳場机の前に腰を下ろすのは旦那の亥之吉であるが、今朝も店に亥之吉の姿はなかった。三太は店の木戸を開け放すと、表通り左右を見て客の姿が無いのを確かめると振り返って番頭に話かけた。
   「旦那さんの帰りが遅おますなァ、卯之さんを送って行ってもう半月にもなりまっせ」
   「旦那さまは、忙しいお方ですから、序に方々回っていなさるのでしょう」
 奥から旦那の女房のお絹が顔を出した。
   「糸の切れた凧みたいに男二人がふらふらと羽を伸ばしていなさるのやろ」
 番頭は身分を忘れて、お絹に苦言を呈した。
   「おかみさん、店先で旦那様をそのように仰ってはいけません、三太も聞いていることですし」
 三太が割って入った。
   「そうだす、旦那さんはともかく、卯之吉さんは真面目な男です、おっ母ちゃんや妹のことを心配して、女遊びなどしていません」
   「旦那さんはともかく、て何だす、仮にもお前の主人で師匠だすやろ、それに誰が女遊びと言いました」
   「エへへ旦那さんはスケベだすから…」
 番頭が慌てて三太を嗜めた。
   「旦那様のことをスケベとは何です、仮に旦那様がどうしょうも無いスケベであるとしても、奉公人が言うことではありません」
   「番頭はん、ちょっと待ちなはれ、どうしょうも無いスケベとはなんてことを言うのです」
   「済みません、仮にですから…」
 三太は得意顔で番頭に言った。
   「番頭さんは、いつも心でそう思っているから、つい出てしもたのだすなぁ」
   「あんさんは、いつも旦那のことをそんな風に見てなさるのか」
 お絹が問い糺した。
   「いえ、決して」

 三人で、わあわあ言っていますとお客が入って来たので、三人一斉に笑顔になった。

 
 こちらは鵜沼の卯之吉の実家である。卯之吉は縞の合羽を回し掛けて三度笠を被り、飛び出して行こうとしたのを亥之吉が止めた。
   「卯之吉待て、お前のことは、このわいが全財産を投げ打っても護ってみせる」
   「兄貴には迷惑ばかりかけていますが、今度ばかりはそうもいけません」
   「わいは堅気の商人やさかい兄弟の杯こそ交わしていないが、親の血を引く兄弟よりも、堅い契りの義兄弟やないか」
   「歌の文句ですか?」
   「あほ、この時代にこんな歌があるかい」
   「おふくろ、お宇佐、この亥之吉兄いがきっと悪いようにはしないと思うからな」
   「勝手に決めつけやがって、わいは知らんと言えば、どうする気や」
   「兄ぃは、そんな人じゃない」
   「どついたろか、それにわいはお前より一ヶ月遅く生まれとるのや、勝手に兄いにしやがって」
   「それなら元に戻って、親分、後を頼みます」
   「待て、待て、待てと言うのに、このまま番所に駆け込んだら、代官所に連れていかれてお裁きもせずに即刻首を落とされるのやで」
 お宇佐が、「わっ」と泣き伏した。卯之吉のおふくろも、お宇佐に覆い被さって嗚咽した。
   「大丈夫や、わいにはもう一人義兄弟みたいなお人が信濃の国に居なさる」
 亥之吉は、上田藩のお抱え医師で、頼り甲斐のある男、緒方三太郎のことを言っているのだ。この男は、江戸の町人の子供で、ある長屋に住んでいたが、四歳のおりに母は家出をして、父に捨てられた。その子を拾ったのが当時の佐貫三太郎、今の水戸の診療院および緒方塾の医師緒方梅庵である。

   「卯之吉、おふくろさんを負ぶって行け、わいはお宇佐さんを負ぶって行く」
   「何処へ?」
   「わいの命の恩人、緒方三太郎はんのところや」
   「親分は、おふくろを背負ってくだせえ、あっしは妹を背負います」
   「それはまた何でや」
   「親分はスケベですから…」
   「こんな気忙しいおりに、なにを暢気なことを言うとるのや」
   「お宇佐、亥之吉親分にはなあ、若くて綺麗な奥さんが居なさるのだ」
   「この際、そんなことは関係ないやろ」
   「からだをくっつけあって、お宇佐が惚れちまったらいけませんから…」
   「こいつ、絶対どつく(殴る)、わいの楽しみ奪いやがってからに」
   「それ見なさい」
 お宇佐が突然泣き止んで亥之吉に言った。
   「わたし、歩けます」
   「ガクッ」

 
   「三太、来ておくれ」
 江戸は福島屋の女将、お絹が三太を呼んだ。
   「へえ、何の御用だすか?」
   「大江戸一家まで、ご注文の塩を届けてきなはれ」
   「へーい、行って参ります」
   「これ、何も持たずに行くつもりか?」
   「そうだした」
   「担げるようにしてありますから、子供でも持ち上がります」
   「うわぁ重たい、こんなにたくさんの塩を何に使いますのやろ」
   「そら、お清めに使ったり、大勢の賄い料理に…、そんなことどうでも宜しい」
   「へい、行ってきます」
   「荷を渡したら、さっさと寄り道せんと戻ってきなはれや」
   「そやかて、わい文無しで、何処へも寄り道するとこあらしまへん」
   「帰りは御代を頂戴するやないか、愚図愚図言わんと、早う行きなはれ」
   「そんなー、わいがお店の金を横領すると思うてなさるのか」
 三太は、ぶつくさとぼやきながら出て行った。
   「からの大きな真吉はんに頼めばええのに」

 三太が歩いていると、三河屋の小僧である三太より年が三歳上の磯松が声をかけてきた。
   「三太、店のお使いか?」
   「そうやねん、磯松もか?」
   「旦那の妾の家まで、着物を届けに行くのだ」
   「へー、女将さんにみつからへんのか?」
   「女将さんの認めた妾だから、内緒じゃないのだ」
   「女将さん、妬かへのか?」
   「全然、この着物も女将さんが仕立てたのだ」
   「変な夫婦」
   「そんなことない、どこでも女将さんと妾は仲がいいのだよ」
   「ほんとかなあ」

 道が同じらしくて、二人はずっと同じ道を行く。
   「三太の荷物は、重そうだなあ、代わってやろうか」
   「え、ほんまか?」
   「ほら、一度荷をおろしな」
   「ふー、助かった、悪いなぁ」
   「いいよ、どこまで行くの?」
   「お得意さんの大江戸一家までや」
   「えっ、怖そうなお得意さんやなぁ」
   「何で?」
   「指を詰められたりしないのか?」
   「何で注文の品を届けに行って、えんこ詰めされなあかんのや、しかもわいは子供やないか」
   「恐いあんちゃんが大勢居るのやろ?」
   「居るけど、みんな優しいで」

 他愛ないのか、恐ろしいのか分からない話をしながら、暫く肩を並べて歩いていたが、途中の分岐路まで来ると、「おいらは、こっちへ曲がる」と、磯松が背の荷物を下ろした。
   「うん、ほんならまたな」
 二人は別れた。

 三太は大江戸一家の門前に着いた。
   「あのー、卯之吉さ…、あっ、そうや卯之さんはもう居ないのや」 
 三太は、ちょっと寂しさが湧いた。
   「あのー、福島屋ですがー」
 若い下っ端の者が出てきた。
   「おお、三太か、何だ?」
   「塩を届けに来ました」
   「そうか、そうか、それはご苦労だった、まあ上がってお菓子でも食べて帰れ」
   「それが、時間がかかったら、女将さんに怒られるので、直ぐに帰ります」
   「そうか、それならお菓子は紙に包んでやる」
 若い下っ端は、姐御から代金を受け取りに奥へ入っていき、暫くして出てきた。
   「三太、姐御が三太に用があるそうだ、用が済んだら俺が店まで付いて行って女将さんに訳を言って謝るからいいだろ」
   「それならええわ」
 奥座敷に通されると、姐御が待ち受けて居た。

  第十九回 美濃と江戸の師弟(終)-次回に続く- (原稿用紙11枚)

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