雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「なんで大政、国を売る」

2014-09-21 | エッセイ
 この歌は、猫爺がついつい口遊んでしまう「旅姿三人男」という1939年に世に出た股旅演歌である。この歌の三人とは、清水一家の小政、大政、森の石松(モデルとなったのは、清水一家で豚松と呼ばれていた男で、架空の人物かも)。

 小政の名は、政五郎(モデルとなったのは 本名・吉川冬吉)  大政の名も政五郎(モデルとなったのは 本名・原田熊蔵)である。

 清水の次郎長の名は、「山本長五郎」、大政と小政は、この清水の次郎長の養子になった為に、大政も小政も山本政五郎になる。次郎長一家には「山本政五郎」が二人いた訳だ。

   「おい、政五郎」
 次郎長親分が呼ぶと、二人の山本政五郎が「へい」と返事を返す。そこで親分が考えて、体格の大きな(身長約181㎝)政五郎を「大政」、小柄の政五郎(身長約145㎝)を「小政」と呼ぶことにした。

 Web Q&Aに「大政は何故国を売ったのですか?」という質問があった。そもそも、国を売るとはどういうことだろう。
 仲間を裏切る意味で「仲間を売る」という言葉を使うことがある。「国を売る」の国とは、大政の場合は「尾張の国」のことであり、尾張藩を指す。大政は元、尾張藩の足軽から藩士に出世をした武士である。(これは、あくまでも物語上である)

 さて、その大政が何故国を売ったのか。尾張藩の勝手な都合で、「清水の次郎長を抹殺せよ」と藩から大政に命が下る。
 「男心に男が惚れて」は、国定忠治の歌であるが、恐らくその心境にあったであろう大政は、藩の命令に従い次郎長を殺るか、清水の次郎長をとるかに迫られて、大政は藩命に逆らい清水の次郎長をとって次郎長と共に旅に出たのである。

 「国を売る」とは、ただ単に故郷を離れることや、脱藩することではない。もしそうであれば、清水一家に限らず、おおかたの子分衆が「国を売った」ことになる。例えば、小政の故郷は遠江国の浜松、森の石松の故郷も同じく遠州の森町、吉良の仁吉は三河の国は吉良町というふうに、武家であれ、商家、農家であれ次男、三男、五男といった家督を継げない者の一部が「やくざ」になったのだから。

 「国を売る」とは、権威・権力などにさからい、国を裏切ることなのだ。

 と、尤もらしく書いてきたが、これらは物語である。実在もしくは架空の人物名を使った半ばフィクションだと猫爺は思っている。小説家が、講釈師が、浪曲家が、あるいは脚本家が、庶民の受け狙いで史実を元に脚色したものであるから、「説」ではなくて、「Dramatization」なのだ。
 たとえば、水戸黄門の諸国漫遊がある。水戸光圀は隠居庵「西山荘」の極近場(ちかば)を、護衛の家来達と共に散歩した程度のものが、脚色されて諸国漫遊」になったような。

 (見出しの画像は、大政ではなく小政の墓で、「山本政五郎」と刻んである)

   -2015.4.28訂正- (原稿用紙3枚)

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