雑文の旅

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 最終回・成仏

2015-08-01 | 長編小説
 父母兄弟が居る筈の福島屋雑貨店に、辰吉を知る者が誰も居ないという。とにかく外へ出て頭の中を整理しようと思った辰吉を店の奥から誰かが呼び止めた。
   「辰吉、待ちなはれ」
 母親のお絹であった。
   「嘘や、嘘や、お父っつぁんが忙しい時に、お前がフラフラしているから、一遍驚かしてやろうと仕組んだ悪戯や」
   「やっぱりそうか、俺、頭が可怪しくなったのかと思った」
 お絹は奥の亥之吉に向かって言った。
   「あんさんも、こんな悪戯やめなはれ、辰吉は旅で疲れているのに、番頭さんとつるんで何をアホなことをしていますのや、辰吉が可哀想やおまへんか」
 亥之吉が顔をだした。
   「そやかて、長男の辰吉が遊び呆けていては、弟や妹に示しがつかへん、いっぺん懲らしめてやらんといかん」
 辰吉にも言い分がある。
   「俺は、弥太八さんを送って行っていたのに、遊び呆けはないだろ」
   「お前なぁ、何が弥太八さんや、弥太八さんは遠に小万さんを連れて帰って来とるがな、しかも祝言も昨日終わったのやで」
   「俺抜きで祝言あげたのか」
   「当たり前や、何時帰って来るかわからん辰吉を待っていられるか」
   「ついでに、信州に行って、俺が助けた才太郎の様子を見てきた」
   「まだ歩くことが出来なかったのか?」
   「いや、三太郎先生に付いて、医者になると言いよった」
   「それは頼もしいやないか、将来は佐助先生や、三四郎先生のような頼れる医者が誕生するのやろな」
   「俺は、商人にしたかったのに」
   「店を才太郎に任せて、お前はフラフラと股旅三昧か?」
   「エヘヘ、見透かされているのか」
 表に出て待っていた又八が店の中を覗いた。
   「なんや、お客さんかいな、辰吉、それならそうと先に言いなさらんか、表の方、どうぞ遠慮なくお入り」
   「三太兄ぃのところへ来た又八です」辰吉が紹介した。
   「辰吉の親父、亥之吉です、三太のお客ですかいな、三太に商人に成れと薦められたのですやろ」
   「いえ」
辰吉が差しで口を挟んだ。
  「三太兄ぃが又八の姉さんに一目惚れして、自分の店を持ったら嫁に迎えにくると手付だと言って十両置いて来たのだが、その話を解消したいと十両返しにやってきたのです」
   「へー、三太というヤツは、アホなのかしっかりしているのかわからんなぁ」
   「親父もそう思うか」
   「惚れたのなら、その時に連れて帰ってこんかいな、それを手付やなんて、嫁は建物やないのやで」
   「うん、三太兄ぃに言ってやります」
   「そうや、お前付いて行って、言ってやりなされ」

亥之吉は、「まだ、目出度いことがあるのや」と、ニヤニヤしている。
   「あんなぁ、三太と一緒に鷹塾で読み書き算盤を学んだ三吉がなぁ」
   「どうしたのだ」
 亥之吉は、勿体づけてすぐには話さない。
   「どうせ嫁を貰ったのだろう」
   「違う、違う、立派な塾舎を建てて、弟の源太を呼び寄せることになったのや」
   「鷹之助先生の弟子の源太か」
   「そうや、浪花に帰ってくるのや」
   「へー、佐貫のお屋敷で何度か顔を見たくらいで、話したこともないのだが」
   『あっしは覚えています』守護霊の新坂郎が話に分け入った。
 源太が柳生藩の若君の「陰」にされたとき、鷹之助と新三郎が助け出したのだ。
   「源太さんは、腕は立つの」
   「いや、先生が鷹之助さんやから、剣術はやらせていないやろ」
   「一人旅で大丈夫かな?」
   「あかん、あかん、またお前が迎えに行くつもりやろ」
   「うん」
   「大丈夫や、三太郎先生が一緒に来てくれはります、鷹之助先生の奥様も里帰りするのやと」
   「忙しい三太郎先生が、患者を放っておいて護衛役か」
   「三四郎先生と、佐助先生が居ますがな」
   「呑気な医者だなぁ」
   「実はなぁ、わいの百貨店が中之島で開業するのや」
   「長年の夢が叶うのだな」
   「お前なぁ、他人事のように思っているようやが、お前の百貨店でもあるのやで」
   「ふーん」
   「お前には、感慨も感激も無いのか」
   「別に…」
   「あほらし、弟の巳之吉に店を継がせようかな」
   「それが宜しい、あいつならしっかりしている」
   「お前はどうするのや」
   「巳之吉に小遣いせびって旅暮らし…」
   「情けない、巳之吉の重荷にならんように、今のうちに絞め殺しておこうかな」
   「俺、お父っつぁんより強いと思う」
   「アホ抜かせ、まだまだ孫弟子には負けんわい」

 辰吉と又八は、三太が奉公している相模屋長兵衛の店の暖簾を潜った。丁度、店先で三太が客の相手をしているところであった。
  「これは、坊っちゃんと又八やないかいな、わいに用があってきたのか」
  「はい」と、又八はいきなり十両を三太に差し出した。
  「何の真似や?」
  「姉のお蔦が、伝六と縒りを戻しました」
 三太は、それで全てを察したようであった。又八は、店に客が居るのも構わずに、その場で土下座をした。
  「三太さんには申し訳ないことになりました」
  「又八、そんなことをするのはやめなはれ、お客さんが驚いていなさるやないか」
 三太は、愛想笑いをしながら客を見送った。天秤棒術の手練、福島屋の番頭から、腰の低い相模屋の番頭に変わっていた。
  「構へん、構へん、もともと伝六と恋仲やったのやさかい、又八が泥棒やないと分かって伝六の両親が許してくれたのやろ、こうなることは分かっとりました」
 三太の強がりらしいことは辰吉にも又八にも分かった。だが、お蔦さんの幸せの為に、全てを無かったことにする気になったのだろう。こんな侠気のある三太を、兄貴と呼んでみたかった又八ではあった。
  「手付の十両は、お蔦さんの持参金にでもして貰いなはれ」
三太は、自分の財布から一両足すと、又八に渡してやった。
  「一両は、又八の路銀です」
 三太は、「幸せになりや」と、お蔦に伝えるように又八に頼み、二人を見送った。気の所為だろうか、辰吉には三太の目が少し潤んでいたように思えた。

 辰吉と又八は、福島屋に引き返すと、その夜は又八を福島屋の店に宿泊させ、辰吉は翌朝早く淀屋橋まで送っていった。
   「又八、お前にこれをやる」
辰吉はぷっくり膨れた巾着袋を渡してやった。
   「十五朱と二百五十文入っている、くらわんか舟が寄ってくるので、何か美味しいものを買って食べなさい」
 巾着袋には、上部には首から下げるための普通の紐と、下部にも同じような紐が付いている。
   「下の紐は何ですか?」
 又八は、上下の紐を引っ張ってみたが、何のために上下に付いているのか分からなかった。
   「上の紐は首に掛け、下の紐は褌に巻きつけるのだ」
   「それは何のため?」
   「巾着切りに上の紐を切られて巾着を引っ張られても分かるようにする為だ」
   「何だか、痛そう」
   「だからいいのだ、痛いと大声を出したら、巾着切りはびっくりして手を離す」
   「離さなかったら、おいらはどうなるのですか」
   「さあ?」

ここから上り三十石船で伏見へ、東海道三条大橋から草津へ、草津追分を中山道側にとると、そこから五つ目の宿場に又八の家にがある。
   「何か困ったことがあったら、俺を頼って来い」
   「有難う御座いました」
 又八は、船上で手を振って辰吉と別れた。辰吉から貰った巾着袋の効果は覿面であった。何しろ、人が近付いてきただけで、褌の中身が痛むような気がして、又八はすぐに逃げるからである。

 それから数ヶ月後、辰吉は、中之島にある亥之吉が買ったという場所へ連れて来られた。敷地には建物が三つ建っている。

   「どや、広い敷地やろ」
   「うん」
   「この建物が、わいの店や」
   「こっちの店は?」
   「三太の酒店や」
   「向こうのお屋敷みたいなのは?」
   「三吉先生の次の弟が設計して建てた塾や、大坂中の寺子屋を見て歩いたのやそうやで」
   「ここで源太さんが鷹塾を開くのか?」
   「もう、源太と違うのやで、佐貫源太郎と言いなさるのや」
   「佐貫家の養子になったのか?」
   「そうや、わいら庶民と違って、苗字帯刀を許された御家人や」
 三太の酒店も、相模屋長兵衛や三太と相談して、この敷地に建ててもらったのだと言う。近々、三太はここで酒の店を開店する。それに備えて、使用人を二・三人雇いたいのと、京極一家に預けている寛吉を迎えに行かねばならない。寛吉は、七里の渡しで船から落ちた少年であり、海の近くで育った泳ぎの達者な三太が新三郎の助言で救ったのであった。
 本当はこの日、彦根の又八のところへ行って、お蔦を連れて来て、亥之吉に媒酌人を頼んで祝言を挙げる積りだったのだ。三太の船は、順風満帆とは言えない、帆にポッカリ穴が開いたような出帆であった。


  「お父っつぁん、俺が信州まで三太郎先生たちを迎えに行こうか」
  「何の為に、三太郎先生は甲賀流の流れを汲む剣の達人やで、何でお前が必要や?」
  「源太郎さんや、鷹之助先生の奥さんも一緒だぜ」
  「それで?」
  「一人で二人を護られないでしょう」
  「三太郎先生なら、十人でも二十人でも護れます」
  「そんなに強いのかい?」
  「そらそうや、わいが勝てないくらいやさかい」
  「根拠薄っ」

 亥之吉一家の引越しは簡単であった。江戸から持ち帰った荷物と言えば、各自の衣類だけである。生活用品は殆ど全てこちらで揃えた。江戸で蓄えた小判は、両替屋を通して浪花で銀貨に替えて受け取れる。両替屋とは、今の銀行であるから。

 亥之吉の百貨店と、三太の酒店の使用人と商品の準備が整った。今朝は、信州から医者の緒方三太郎と、鷹之助の妻お鶴と、源太郎が到着する予定である。お鶴の兄である小倉屋昆吉、源太郎の二人の兄も亥之吉の店で心待ちにしている。
   「お父っつぁん、また三太郎先生とお手合わせするのか?」
   「あかん、わいは長らく天秤棒を振り回してないからな」
   「もう、歳だな」
   「うん」
   「わっ、お父っつぁん素直」

 昨夜、京都の伏見を出た三十石船が、今朝早く淀屋橋に着いた。鷹之助の妻お鶴と佐貫源太郎は、浪花生まれの浪花育ち、懐かしい町並みを駕籠にも乗らず、お喋りをしながら三太郎の先々を嬉しそうに歩いて来た。
   「ひゃー、お兄ちゃんが居る、昔のまんまや」
 お鶴の兄、小倉屋昆吉が待っているのを見付けて奇声を上げた。
   「お兄ちゃん、ただいま」
   「お帰り、お帰り、お前、お侍の奥さんらしくなったなぁ、お父はんと、お母はんが店で首を長くして待っている、皆さんに挨拶をしたら、早う帰って顔を見せてやり」
   「へえ」

 源太郎は、鷹塾の方へ走って行った。二人の兄の姿が見えたからだ。
   「兄上、源太ただいま戻りました」
   「何が兄上や、わいらは町人や、兄上はやめなはれ」
   「ははは、鷹之助先生が、三太郎先生を呼ぶように、一遍兄上と呼んでみたかったのや」
   「あーこそば」
 長男は五人の教え子に読み書き算盤を教えている三吉、その子たちが修了したら、三吉も源太郎と一緒に新しい鷹塾で小さい子を教えるつもりである。次男は大工見習いの浅吉、棟梁の教えを受けながら、この立派な「鷹塾」の建物を設計して建てたのだ。そして、三男源太は、佐貫源太郎である。このあと、三人揃って両親に逢いに行く計画なのだ。
   「三太はどこに居る? あのチビ三太は…」
 源太郎がキョロキョロ目で探している。三太は源太より一つ年下の鷹之助の教え子である。
   「それが、今朝の船で京都へ寛吉という人を迎えに行ったのや」

 緒方三太郎は、亥之吉と何やら話をしている。
   「わいは大歓迎です、何かお手伝いが出来る事がありましたら、遠慮なく申し付けてください」
   「有難う御座います、どうぞ佐助の相談相手に成ってやってください」
 今すぐではないが、一年か二年後に、佐助が浪花に出てきて、診療所を開きたいと言っているらしい。佐助は美濃国美江寺の生まれで、幼くして両親と死別、叔父に育てられたが両親が残した銭の切れ目が縁の切れ目と、追い出されてしまった。
 草を喰み、田螺を食べて生き延びていたが、村人達に「美江寺の河童」と、噂されていたところを三太郎に助けられて弟子になったのだ。

 辰吉が何やら独り言のように呟いている。守護霊新三郎と話をしているのだ。
   「えーっ、新さん成仏するのかい?」
   『お釈迦様に命令されても成仏しない積りだったのだが…』
   「どうしてその気になったのだい?」
   『流石はお釈迦様だ、あっしの弱点を突いてきた』
   「弱点って何」
   『お釈迦様が直々に命令するのではなく、使いをよこしたのだ』
   「その使いって、美人だったのかい」
   『いいや、その使いは、あっしが守護霊として初めて憑いた能見数馬さんの霊だった』
 能見数馬は、新三郎が阿弥陀如来に浄土に戻された途端に殺害されてしまった。せめて、数馬を安全な場所に導いた後に、旅立つべきだったと、今も新三郎は悔いている。 

  「最終回 成仏」(終)  (原稿用紙18枚)

「江戸の辰吉旅鴉」リンク
「第一回 坊っちゃん鴉」
「第二回 小諸馬子唄」
「第三回 父の尻拭い?」
「第四回 新三郎、辰吉の元へ」
「第五回 辰吉、北陸街道を行く」
「第六回 辰吉危うし」
「第七回 一宿一飯の義理」
「第八回 鳥追いの小万」
「第九回 辰吉大親分」
「第十回 越後獅子」
「第十一回 加賀のお俊」
「第十二回 辰吉に憑いた怨霊」
「第十三回 天秤棒の再会」
「第十四回 三太辰吉殴り込み」
「第十五回 ちゃっかり三太」
「第十六回 辰吉の妖術」
「第十七回 越中屋鹿衛門」
「第十八回 浪速へ帰ろう」
「第十九回 鷹塾の三吉先生」
「第二十回 師弟揃い踏み ...」
「第二十一回 上方の再会」
「第二十二回 幽霊の出る古店舗」
「第二十三回 よっ、後家殺し」
「第二十四回 見えてきた犯人像」
「第二十五回 足を洗った関の弥太八」
「第二十六回 辰吉、戻り旅」
「第二十七回 辰吉、旅のおわり」
「最終回 成仏」

猫爺の連続小説 終了 (この他に、掌編・短編も投稿しています。)





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