雑文の旅

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猫爺の連続小説「賢吉捕物帖」第二回 お家騒動   (原稿用紙18枚)

2015-10-12 | 長編小説
 父親、長次の使いで叔父の家まで行った帰り道、村道から少し逸れた脇道で若い侍が蹲っているのを賢吉は見つけて声をかけた。
   「お侍さん、お体の具合が悪いようですが、大丈夫ですか?」
 侍は、賢吉を見上げたが、黙って再び項を垂れた。
   「お駕籠を呼んできましょうか?」
 彼は黙ったまま、首を横に振った。
   「もしも、空腹を抱えておいでなら、一っ走り行って何か買って参りましょうか、それとも医者を呼んで参りましょうか」
 漸く、力のない声で「要らぬ」と言い、手で「あっちへ行け」と、手の甲を向けてあおった。
   「行けと仰るなら行きますが、やはりお侍さまが心配です、何なりと申し付けてくださいませんか」
 若い侍は、再び賢吉に顔を向けて、賢吉の顔を繁々と見上げた。最初は町人の子供だと侮ったが、賢吉のよく躾られたらしい丁寧な言葉使いに、少し心を開いたようであった。
「恥ずかしながら、拙者は金を持ち合わせておらぬ、駕籠に乗ること、も医者に掛かることも出来ぬのだ」
   「そうでしたか、私のような子供に、よく打ち明けてくださいました、ここに叔父から貰った駄賃が一朱あります、駕籠で私の家まで行きましょう」
 さっき通ってきた道で、帰り客を待っていた駕籠舁きが居た。賢吉をジロッと見ていた
が子供なので声を掛けてこなかった。あの駕籠を呼ぼうと、賢吉は駆け出して行った。

 駕籠舁たちは、人がかいもく通らないので、諦めて空駕籠で戻ろうとしていた。
   「すぐそこで、お侍さんが待っている、一朱で町まで行けるか?」
   「そうだなぁ、一朱なら一里がとこだ」
   「そうか、俺の家まで一里とちょっとだ、帰り駕籠だろ、負けておけよ」
   「一里とちょっとだな」
   「そうだ、俺の親父は目明しだ、居直ると親父に言いつけるぞ」
   「何をぬかしやがる、わしらは雲助と違うわい」
   「わかった」

 一里半は優にあったが、賢吉の脅しが効いたのか、元々善人だったのか、文句も言わずに賢吉の家まで行ってくれた。
   「お侍さん、いま粥を作って差し上げます、俺の布団で横になってください」
   「そうか、忝い」
 賢吉の見立てでは、侍は医者に診せるような病人ではない。何日も食わずに旅を続けたので空腹から体が弱っているらしいのだ。賢吉は養生所から声がかかったら、手伝いに行くこともあるので、病気か、そうでないかくらいは分かるのだ。
   「親父の帰りはいつも遅いが、気の優しい男だから気兼ねは要らないよ」
 賢吉は、侍に話かけながら、土間で食事の支度をしていた。粥が煮える間に、体を拭いてやろうと、七輪で湯も沸かしている。

 少し塩が入った粥を差し出すと、侍は美味そうにすすった。食事が済むと、熱湯で手拭を濡らし、首筋から腰までを拭いてやると、気持よさそうに目を細める。半身を起こして座敷の縁に座らせて足を洗ってやったら、少し気が落ち着いたのか侍は喋り始めた。
   「拙者は、桐藤右近(とうどう うこん)と申す、藩名は言えぬが、ある、お大名の家来であった」
 「…あった」と言ったので、賢吉はこの侍が脱藩してきたことを察した。
   「賢吉殿、身の上を聞いてくれるか」
   「はい、このようなガキで宜しければどうぞ…」
 右近には、同じ藩士の親友が居た。子供の頃から仲が良く、喧嘩などはしたことがない。喧嘩をしそうになっても、双方が折れようとするので、喧嘩にならないのだ。そんな二人を藩侯の意地悪い弟君が、二人に果し合いを命じた。生き残った方を、弟君付けの家来にして、禄高を加増するというのだ。
 二人は断ったが、弟君は烈火のごとく怒り、何がなんでも「果し合いをせよ」と、迫った。これ以上断れば、手打ちにもされない勢いであった。
 右近は、両親を亡くし、姉が一人居たが既に他藩に嫁いでおり、身軽な独り暮らしであった。それに引き換え、親友は両親も兄弟も居て、彼自身は子供こそ居ないが妻を持つ身であった。果し合いをすれば、武道に長けた右近が勝つに決まっている。仮に八百長試合で右近が負けてやったとしても、それはそれで親友は「八百長試合」と非難を受け、自ら切腹もしかねないだろう。
 右近は考えた挙句、自分が卑怯者になって、脱藩をして逃げ出したとすれば、親友に非難は向けられないだろうと、屋敷にあった有り金を持って江戸に向かったのだ。しかし、後になって考えてみれば、この辺りから仕組まれた陰謀であったのだが、この時点の右近には想像すら出来なかった。
 旅の途中、旅籠で枕探しに遭い、無一文になったが、幸い旅籠賃を先払いしていたために、お上に突き出されずに済んだ。
 江戸に着けばなんとかなるだろうと、水だけを口にして歩き続けたが、とうとうあの場所で動けなくなったのだと言う。

 その日の夕刻、賢吉の父親は珍しく早く帰ってきた。賢吉が桐藤から聞いたことを話すと、「お元気になられるまで、ゆっくりと養生して行ってくだせぇ」と、満面の笑みで答えた。
 長次は、左掌を右拳で叩いて桐藤右近に告げた。
   「そうだ、桐藤さま、お元気になられたら、北町奉行所与力の長坂清心さまにお会わせしましょう、きっと桐藤さまの身が立つように計らってくださいますよ」
   「ありがとう、だが…」
 桐藤は、与力と聞いて国へ知らされるのではないかと訝っている様子だった。
   「長坂さまはお優しい方ですから、桐藤さまをお守りくださいます」
 長次は桐藤右近の心中を察して言ったのだが、賢吉も同感だった。

 長次は、すっかり元気になった桐藤と共に、奉行所の長坂に会いに行った。長坂は快く会ってくれ、働き口を探しているという桐藤に、こんな提案をした。
   「桐藤右近殿、暫くは拙者のもとで目明しとして働いてはくださらぬか」
 桐藤の剣の腕が立つことを聞いた長坂が、いずれは嫡男のいない同心の養子にしたいと思ったのだ。
   「当座は、拙者の屋敷に住まわれては如何なものだろうか」
 長坂の屋敷に離れが空いているので、そこに住まわせて使用人に食事などの世話をさせようと思ったのだ。
 翌日、桐藤右近は町人の髪型に変えて、長坂が保証人になり奉行に申し出ると、十手を授かった。目明し右近の下には、手先がわりに賢吉が付くことになった。右近は、右吉と名を改め、賢吉の助けを借りて次々と手柄を立てていった。

 右吉は、折につけ国の親友のことが気がかりらしく、「あれからどうなったのかぁ」と、心配している様子をみせた。
   「親分、一度俺が見てきましょうか?」
   「まさかだろ、子供の賢吉にその様なことをさせたら、長坂さんや長次さんに叱られますよ」
 右吉は笑って賢吉の言葉を聞き流した。

 そんななか、長次の提案で下っ引きの幹太をつけて、右吉の生国へ行ってこさせようと、話が決まった。賢吉も幹太も、大喜びであった。
   「こら、お前たち、遊びに行くのではないぞ」
   「わかっています」
 右吉は、余程心配だったのであろう「忝い」を何度も繰り返し、長次に注意をされていた。
   「右近さん、いや右吉、忝いは止しなせぇ」
右吉は、友の名と生国を明かした。友は槌谷一之進、国名は少々遠くて、長次の胸に一抹の不安が過った。

 遊びながら、ふざけ乍らの旅は思っていたよりも短く、何事もなく右吉が仕えていた国に入った。目指すは槌谷一之進の屋敷であるが、余所者の町人がいきなり訪ねて行ったのでは先様の迷惑になるかも知れぬと、賢吉の提案で槌谷の屋敷前で行倒れよろしくへたり込んで家中の者が出てくるのを黙して待った。喋ると余所者とわかり、藩士が通りかかれば桐藤右近の使いだと知れるだろうと用心したのだ。

   「これ町人、槌谷殿の屋敷前で休まず、はやく立ち去れ」
 どうやら、槌谷家に用が有ってきた同僚らしい。賢吉たちを「シッ、シッ」と追い払うと、門を開けさせ、屋敷の中へ消えた。
   「賢吉、今日はまずいぞ、諦めて出直すか」
   「そうですね、どこか近くに旅籠をとりましょう」
 表札を残念そうに眺め、二人が行きかけると、また侍がやってきた。
   「これ、そこの二人、拙者に何か用か?」
 どうやら、主の帰宅らしい。
   「槌谷一之進さまでございましょうか?」
   「左様、槌谷だが、そなた達は?」
   「はい、桐藤右近さまの使いで江戸から参りました」
   「何、桐藤の使いだと、藤堂は如何致した、無事なのか」
 余程案じていたとみえて、矢継ぎ早に問い質してきた。
   「ご無事で、あるお侍様のお屋敷にいらっしゃいます」
   「ご家来として取り立てられたのか?」
   「いいえ、今は町人の身分で使用人でございます」
   「そうか…」
  槌谷一之進は、それだけ言って絶句した。目に涙を浮かべている。
 
 その夜、賢吉と幹太は旅籠に泊まるつもりでいたが、一之進が「わが屋敷に泊まってくれ」と無理やり引き留められた。恐らく胸につかえている思いを話して、それとなく桐藤右近に伝えて欲しいのだろうと、賢吉は察していた。
   「殿が病床で右近のことを気にしておられるのだ」
   「お殿様は、ご病気でしたか」
   「ひと月前に風邪をめされてのう、そのまま枕があがらないのだ」
   「風邪にしては、長すぎますね」
   「そうなのだ、風邪からどんどんお弱りになって、今では藩医も匙を投げられた」
   「風邪をひかれる前から、お弱かったのですか?」
   「いいや、とてもお元気でおられた」
   「おかしいですね」
   「お前もそう思うか」
 一之進と賢吉は、夜遅くまでヒソヒソ話をしていた。
   「こんなとき、忠義者の右近がいてくれたら」
   「お殿様は、桐藤右近さまが出奔した訳はご存知ですよね」
   「それが、何もご存じないので、不思議がっておられるのだ」
 藩主の弟君が口止めをしているらしい。
   「こんな子供が言ったのでは、お叱りを受けるかも知れませんが…」
   「言ってみなさい」
 賢吉は、お殿様に処方されている薬が怪しいと思うのだ。ことの起こりは風邪かも知れないが、薬を服用されるようになってから、お殿様の容体が悪くなってきたように思われるのだ。
   「無礼者、なんたることを言うか、この痴れ者と言いたいが…」
 槌谷一之進のあるじは、藩侯の弟君である。賢吉を叱るべきところだが、恐らく一之進も疑っていたのだろう。
 暫くの沈黙があって、一之進が呟いた。
   「もし、殿のお命を狙う者が居るとすれば…」
 一之進は、もう一つ差し迫った心配事があるという。十日後に、藩侯の若君九歳の宗千代君が城から三里ばかり離れた楓川神社へ、父上の病平癒祈願にお参りする行事が予定されているのだ。
   「槌谷さまが今お考えの心配ごとも、お殿様のご病気も、きっと仕組まれたことに違いありません」
   「拙者には、お二人を護って差し上げる力量も、思案もない、ああ、桐藤右近が居てくれたら…」
   「いや、少なくとも、若君の命は護って差しあげることが出来るかもしれません」
   「拙者が?」
   「槌谷さまと、この俺と二人で」
   「どうやって?」
   「出立寸前に、若様と俺が入れ替わるのです」
   「賢吉が襲われて、命を落とすぞ」
   「俺は大丈夫です、自分の命ぐらい自分で護れます」
   「そうか、その手しか無いか」
   「だが、槌谷さまのお立場が微妙ですね」
   「拙者は藩侯の弟君の家来だ、恐らく若君のお命を狙う側であろう」
   「そうなりますね」
   「構わぬ、どうせ拙者の命は桐藤右近に討たれていた筈なのだ、主を裏切って立派に切腹してみせよう」
   「その覚悟でいてください、俺もひとつ違えば首を刎ねられるでしょう」

 賢吉は、「乗りかかった船だ」と、決着がつくまで槌谷一之進に付き合う覚悟をした。槌谷の屋敷でゴロゴロして若君が楓川神社へ参拝する日まで、江戸へ戻らずに待った。幹太には「先に江戸へ戻ってくれ」と頼んだが、賢吉を置いて自分だけ戻ったのでは長次親分に申し訳がたたないと、きっぱりと断られた。

 賢吉たちがそうこうしている間も、藩侯は疑惑の薬を飲み続けているのだと思うと気が気ではないが、何の手の打ちようもないので仕方がなかった。
 そんなある日、賢吉と幹太が逗留している部屋に、一之進の妻が入ってきた。
   「賢吉さんと幹太さん、あなたがたに江戸からお客様が見えていますよ」
「帰りが遅いので、親父が心配してやってきたのだな」
「いいえ、お武家様のご子息のようですよ」
 賢吉は驚いた。長坂清心の長男、心太郎に違いないと思ったが、自分と同じ十歳の少年である。父上の清心がよく許したものだ。
   「お一人ですか?」
   「はい、利発そうな方です」
 女中に案内されて入ってきたのは、やはり長坂心太郎であった。
   「賢吉、親父さんが心配していたぞ、何があったのだ」
   「心太郎こそ、お伴も連れずに独りで来たのか?」
   「ははは、安心しろ、護衛の者が付いて来ているさ」
   「どこに居るのだ、その護衛は」
   「旅籠で待っている」
   「親父の長次か?」
   「違う、もっと強いお方だ」
   「まさか、清心さまではあるまい」
   「当たり前だ、与力が仕事を放りだして、息子の護衛をするものか」
   「誰なのだ」
   「今から、会いに行くか?」
   「よし、行こう」

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