雑文の旅

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猫爺の連続小説「賢吉捕物帖」第四回 お園をつけ回す男  (原稿用紙16枚)

2015-10-28 | 長編小説
 賢吉は北町の与力長坂清心の下で働く目明し長次の倅である。歳は十歳、体格は優れ、言動も大人顔負けである。剣道は、賢吉と同い年の清心の長男心太郎が道場で習ってきたことを親友である賢吉に教えると、彼は漏らさず習得してしまう 併せて、ただいまは十手術の修練を積んでいる最中である。
 今はまだ本物の十手を預かることはないので木製の十手であるが、武士を辞し町人になった駆け出しの目明し桐藤右近こと右吉の手下としてチョコマカと動いている。
 右近は、剣術、馬術ともに長け、力量としては与力並みであるが、今は町人であるから刀は持たず、馬で早駆することも許されてはいない。賢吉とともに専ら情報を拾い集めて与力の長坂清心に知らせることが役目である。

 賢吉が路地から表通りに飛び出した途端、娘が「キャッ」と、大げさに驚いてその場に崩れて地面に手をついた。賢吉自身もまた、何事かと驚いて立ち竦んだ。しばしの間があって、賢吉が口を開いた。
   「お姉さん、驚かせてごめんよ」
 娘も、相手が子供だと知って、胸を撫で下ろしている。
   「それにしても、凄い驚きようだったが、俺を誰かと間違えたのか?」
   「はい、何者かに後を付けられているような気がしてビクビクしていたもので、先回りをされたのかと思いました」
 それを聞いて賢吉が辺りを見回したところ、娘が歩いてきた道で男が「すっ」と、陰に隠れたのを見て取った。
   「なるほどお姉さん、男に付けられているようです」
   「怖い」
   「大丈夫、俺が家まで送ってあげます」
 子供と見て、一瞬不安げな表情を見せたが、子供ながら屈強な体つきなので、頼りになりそうだと思ったらしい。
   「ありがとうございます」
 歩きながら、賢吉が急に振り向いた。男はまたしても「さっ」と隠れたが、まさしく後を付けてきている。
   「知り合いじゃないのかな?」
   「怖くて見ることが出来ないので、わかりません」
   「では、俺が合図をしたら二人一緒に振り向いてみましょう」
 暫く歩いて「せーの」で振り向いたところ、男は隠れるところが無かった所為で、武家屋敷の壁際に寄り下を向いて知らぬふりをしている。
   「知っている人でしたか?」
   「いいえ、見たことのない人です」
   「では、さっさと歩いて家に帰りましょう」
   「はい」
 賢吉は、男の出方を窺がっているのだ。
   「俺は目明しの倅で、賢吉と言います」
   「わたしはお園、大工の娘です」
 娘は、すっかり安心したようであった。
 
   「すぐそこの長屋です、どうもありがとうございました」
 頭を下げて賢吉と別れようとした娘に、賢吉は声を掛けた。
   「お姉さん、明日も一人でお出かけですか?」
   「はい、父の仕事場へお弁当を届けていますので」
   「では、用心棒を付けてくださいよ」
   「お金持ちの娘ではないので、用心棒など滅相もありません」
   「俺が用心棒になってあげましょう」
   「でも、お礼が出来ませんわ」
   「お礼なんか要りません、俺があの男の魂胆を見届けてやります」
   「賢吉さんに怪我でもさせたら、申し訳ありません」
   「俺は強いから、あんな男に負けませんよ、ぼら、腰に剣を下げているでしょう」
   「だって、木刀じゃありませんか」
   「木刀でも渾身の力を籠めたら、大人でもやっつけられます」

 翌日の昼前、賢吉はお園の古着を借り、鬘(かつら)がないので手拭を頭に掛けて父親の弁当を持って教えて貰った仕事場へ向かった。ものの数町も行ったところで、昨日の男が付けているのを感じた。
 どうやら、男は賢吉をお園だと信じている様子だが、父親の仕事場へ行くまでは手出しをしないつもりらしい。弁当を届けるのが遅れて、父親に感付かれないためだろう。

 仕事場では、五人の男が働いていたので、賢吉はその内の一人に声をかけた。
   「お園さんのお父つぁんは、どの人ですか?」
 いつもなら、可愛い娘が弁当を持って来るのに、今日は男の子が女装してやって来たので気味悪く思っているらしく、一旦は躊躇ったが指をさした。
   「あそこで鉋(かんな)を賭けている壮吉さんだ」

   「おじさん、お園さんの使いで弁当を持ってきました」
   「それは済まなかった、どこの誰かは知らないが、ありがとう」
   「おじさん、俺がどうして女に化けているか訊かないのですか?」
   「女装好きだからだろう」壮吉は興味なさげである。
   「もっと、不審に思ってよ」
   「何故だ?」
   「お園さんが、男に付け回されているから俺がお園さんに化けているのだ」
   「娘にちょっかいを出そうって野郎が居るのか?」
   「そうです、男の魂胆を、俺が見届けてやります」
   「やめておけ、相手は大人だろう、怪我をしても知らんぞ」
   「お園さんが危ないかも知れないのに?」
   「わしが行ってとっちめてやる、何処のどいつだ、教えてくれ」
   「俺がそれを調べる、わかったらおじさんに知らせるから、それから奴をどうするか考えればいい」
   「お園は、安全なのか?」
   「今日は、家を出ないように言ってあります」
   「そうか、ところでお前はどこの子だ」
   「俺は北町の目明し、長次の倅だ」
   「あ、あの長次親分のか」
   「おじさん、俺の親父を知っているのか?」
   「知っているとも、あっしは長次親分に命を助けられたのだ」
   「へー、親父がおじさんの命を救ったのか」
   「そうとも、あれは五年前のこと、話せば長いことだが…」
   「そんなの、後でいいよ、俺にはやることがある」
 弁当をその場に置くと、賢吉はとっていた手拭を再び頭に掛けると戻って行った。賢吉が神経を研ぎ澄ませると、確かに男が付けてくる気配がある。昨日の男に違いない。賢吉は、歩く速度を態(わざ)と落とした。
   「お園ちゃん、お園ちゃんだろ」
 男は猫撫で話しかけてきた。賢吉が黙って走り去ろうとすると、男は前に回って止めた。
   「よう、俺は与太郎というのだ、遊ぼうよ」
 賢吉は頭を振って、男を避けようとすると、尚もしつこく纏わりついてくる。
   「お園ちゃん、男を知らないのだろ、俺が教えてやるよ」
 賢吉は、「嫌々」と、首を振って逃げようとしたが、男は辺りに人が居ないのを確かめると、懐から匕首をだした。
   「俺は、お園ちゃんに惚れちまったのさ、俺のものになってくれないと、お園ちゃんを刺して俺も死ぬ」
 匕首を賢吉に突き付けてきた。それまで笑いを堪えていた賢吉は、とうとう噴き出し笑いをしてしまった。
   「ばーか、俺は男だよ」
 男は、咄嗟の判断が出来ないらしく、キョトンとして、手拭を外した賢吉の顔を凝視している。
   「お園ちゃんは、男だったのか」
   「お前、本物の馬鹿かよ、お園さんが男の訳がねぇだろ」
   「そうか、てめえ昨日お園ちゃんと一緒に居たガキだな」
   「今頃気付いてやがるの」
   「俺を騙しやがって、殺してやる」
 与太郎が匕首を向けると、賢吉は懐から十手を出した。与太郎は、一瞬ギョッとしたが、それが木製だと気付いて切りつけてきた。
   「おっと」
 賢吉は飛びのいて、与太郎の匕首を持った手首を力任せに叩きつけた。匕首は宙に舞い、地に落ちて転がった。賢吉はそれを追うと、蹴って道脇の草叢に飛ばした。与太郎の方に向き直り十手を左手に持ち替えると、懐から捕り縄をだして見せた。
   「俺の親父は目明しだ、番所に突き出して親父の手柄にしてやるから覚悟しな」
 与太郎は、痺れているらしい手首を振りながら、匕首を探しもせずに逃げ去った。
   「ガキに脅されて逃げて行きやがった、だらしのねぇ奴だぜ」

 賢吉は、お園の家に行くと事の次第を話し、右吉親分が詰めている番所へ与太郎の匕首を持って報告に行った。恐らく与太郎は性懲りもなく、また、お園を付け回す恐れがあるからだ。
   「長坂清心さまに言って、脅して貰いましょう、お奉行にお伝えして、百叩きにでもしてもらったら懲りるだろう」
 右吉は、北の奉行所へ長坂清心に会いに行った。

 翌朝早く、幹太が長次を呼びに来た。
   「親分、起きてくだせぇ、殺しです」
   「場所は?」
   「八丁堀紅葉橋の下の河川敷です」
   「そうか、行こう」
 長次は、支度を済ませると、飯も食わずに幹太と出て行った。賢吉は、朝飯の支度をすると、弟と妹を起こして一緒に食事をし、右吉親分の元へでかけた。
 右吉が寝泊まりしている長坂の屋敷に来ると、丁度心太郎が道場に出かけるところだった。
   「幹太さんが呼びに来て、右吉さんは父上と一緒に出て行った」
   「何か言っていたか?」
   「うん、殺しだって」

   「たしか、八丁堀紅葉橋の下の河川敷とか言っていたな」と思い出し、賢吉も行ってみた。紅葉橋の上に人だかりができている。
   「おう、賢吉も来たか」長坂清心が声を掛けてきた。
   「お役目、ご苦労さまです」
   「若い男が殺られた、怖くなかったら賢吉も拝んで行くか」
   「はい、怖くはありません」
   「背中から薄ノミで一突きだ、心の臓に届いているらしい」
   「薄ノミって、大工さんが使うあのノミですか?」
   「そうだ、殺しの現場はあの橋の上だろう、殺して橋の上から投げ落としたのだ、欄干に血が付着していた」
 大工が使うノミと聞いて、賢吉は表情を硬くした。お園の父親が脳裏に浮かんだからだ。賢吉の表情を見た長坂は、昨日長次から聞いた話を思い出した。
   「賢吉が助けた娘、それ何と言う名前だったかな?」
   「お園さんです」
   「そうそう、そのお園の父親は大工だと言っていたな」
 賢吉は、「ギクッ」とした。長坂は、思い出したようにホトケに掛けた筵を捲ると、右腕を確認した。
   「おっ、やはり痣がある、賢吉が右手に持った匕首を叩き落としたという男は、こやつだな」
 賢吉は、ホトケの顔を見て不安に襲われた。ホトケはまさしく与太郎である。
   「賢吉、お園の父親の名は何という」
   「壮吉さんです」
   「今、何処に居るのだ」
   「多分、仕事場だと思います」
 長坂清心は、その場に居た長次を呼び、大工の壮吉を連れて来いと命じた。
   「賢吉、壮吉の居場所を案内してやってくれ」
 長次は、壮吉と聞き、五年前のことを思い出したようだ。

 やくざが簀巻きにした男を大川に投げ込もうとしているのを目撃した長次は、分け入って身を挺して止めた。理由を聞くと、壮吉が入り浸っていた賭場で他の客の財布を盗み、入っていた三両を抜き取って、その金を全部博打で摩ってしまったのだという。壮吉は、「そんなことはしていない、摩ったのは自分が持ってきた金だ」と言い張った。
 長次は、三両を盗まれたという男の家に行き調べたところ、一旦財布に金を入れたが、亭主に博打をやらせないためにこっそり抜き取ったのだと女房が打ち明けた。
 長次は、よく調べもせずに無実の男を殺せと命じた貸元をふん縛って牢に入れた。壮吉はその長次から受けた恩を忘れていなかったのだ。
   「壮吉は、それ以来博打を絶って、真面目一途に働いている、その男が娘を守るためとは言え、人を殺すだろうか」
 たった一度会っただけの壮吉だが、賢吉は腑に落ちなかった。
   「娘に言い寄る男をとっちめてやるとはいったが、俺が止めたら素直に引き下がった壮吉さんだ、人殺しまでする筈がない」

 与力、長坂清心の命令である。憤慨する壮吉を宥(なだ)めすかし、番所まで連れて行った。勿論、咎人と決まった訳ではないので、お縄などは掛けずに「お調べ協力人」としてご足労願うのだ。
   「壮吉、咎人を詮議するのではないので、胸を張って与力様の前でありのままを答えてくれ」
   「あっしは、家へ戻って娘から初めて与太郎の名を聞いたのです、何処の与太郎かも知りません」
   「そうだろう、そうだろう、だがなぁ、下手人は大工が使うノミで与太郎を刺しているのだ、或いは壮吉の知った者の犯行かも知れないだろう」
   「あっしに、人殺しの仕事仲間などいませんぜ」
 壮吉は、飽くまで不服だった。一旦嫌疑をかけられたら、白いものを拷問にかけてでも黒くされてしまうご詮議である。奉行所の役人は、目明しの長次親分のような温情は持たない。氷のような奉行所役人の手中に入れば、生きては戻れないかも知れない。壮吉の脳裏に、女房と娘の悲嘆にくれる姿が浮かんだ。

 「賢吉捕物帖」第四回 お園をつけ回す男 (続く)

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