えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・桜の蠢く街

2016年04月09日 | コラム
 二拍間を置いて気温が二十度を超えた日、桜は揃って花を開かせた。幾つかのつぼみを余韻に残して川べりに垂れる枝先まで桜独特の白とも紅とも言い難い花色に染めて水に浸している。日をまたいで桜は咲く。昨日まで黒々とした幹とつぼみの茶色で膨れた枝を寒々しく風に曝していた樹が次の日、手まりのような花の塊をつけて現れる。もって一週間の眺めであるそれは高架線の窓を通り過ぎる町並みへヤドリギのように主張する。ビルと家の狭間に枝を伸ばすもの、杉の緑を抱きしめるように枝が絡んでいるもの、そこに毎年のようにいたのだろうが冬の枝と夏の緑に花を忘れた一年後唐突に現れるのだ。

 吉祥寺から三鷹を下る列車が十五秒路線を走った左手に見える枝垂桜の濛々たる桜色が薄明りの夜に浮き出でる様はこの時に限られるもので、やがて窓へ背を向けたり窓に近づけないほど人に埋もれて日が過ぎると緑の図々しい押し出しが場を占めてそこは無くなってしまう。樹木よりも背の高い建物が当たり前にはびこる街で、墨よりも黒い枝が桜色の花を掲げている姿は先の夏を示してどこか寒々しい電燈を思わせながら散り始めている。
 
 アスファルトの石の隙間へ花弁が入り込み人に踏みしだかれた。中央線に面した堀に沿って植わる桜の枝が風になびくたび、花が散っていった。三人連れの先頭を歩く中年婦人が「桜の花は下向きに咲くのよ、だから見上げるときれいなの」と連れに言った。そう言われると桜を基にした模様は花が正面を向いてよく書かれている。少し前の季節を飾る梅が横を向いていたりつぼみのままだったりと表情が多彩な一方で桜は、五枚の花弁の揃った花か牛のように先が二つに割れた花弁のみかのどちらかに分れる。咲くか散るかの二択である。形の独特さから花びら一枚を描いてもそれが桜だと分かるほど散る姿を記憶されている木もそうはないだろう。
風が強く吹いた。桜はがくを残しながら気ぜわしく若葉を伸ばし、振り落すように花を散らし続けている。少し茶色がかった並木道には春の名残のぎりぎりに間に合った人たちが川辺の喫茶店に列を成して並んでいた。

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