えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

注意書き

2009年04月05日 | 雑記
先週は前哨戦みたいなものでしたけれど、
これからはもっと、慣れるまでとものを考える余裕が
できるまで時間がかかると思います。
なので、この先あまり更新ができないかも知れません。
いつも見てくださる方ほんとうに、ありがとうございます。
書き続ける意思だけは持とうと思っています。公私と言う言葉を
初めて使えるようになりました。
公私ともども、綱渡りです。

温室育ちは、外に出ないとまず、自分が温室育ちだということすら
わからないのですね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さんぽ日和

2009年04月04日 | 雑記
「日曜日に遅くまで飲み歩いたりしないでくださいね」

金曜日。
オードリー春日とアンガールズ山根を足して二で割った気味の、
人事の方が無表情に告げました。

じゃあ土曜日に行こう。

遅くに降りたプラットホームのポスターで行き先を決めました。
そういうわけで、プチ「いざ鎌倉」を敢行してまいりました。

目的はみっつ。
ひとつはポスターにあった、「春のシャガールとルドン」展。
この会場が神奈川県立近代美術館・鎌倉なので、行き先を鎌倉にしたのです。
ひとつは、週末雨になるからその前に、満開のさくら。
そして最後のひとつはパンケーキ。

表面がきつね色で側面がひよこ色のふわふわのアレです。
小町通の喫茶店、イワタの、厚みが4センチくらいある分厚いのを、
前回鎌倉に降りた時逃してしまい、しかも最初に訪れた時は
食べ残してしまったので、リベンジしました。もう行かないです。

ここを最終地点に決めて、最初の目的地を美術館に決めて、
適当なお散歩ルートを頭の中で組み立て、出発です。

鎌倉駅に降りると花曇りの空が出迎えてくれました。
小町通を横目にまっすぐ歩いて、人混みに沿って歩いてゆくと
真っ赤な鳥居と、鶴岡八幡宮へ続く参道が現れます。
さくらは、満開でした。
鴇色をぐっと薄めた色の、手まりが枝にいくつも鈴なりになって
咲いています。四人並んだらいっぱいの参道に、写真を撮ろうと
とどまる人をすり抜けなければいけません。

さて、八幡宮です。
巨大な鳥居をくぐるとすぐ、左手に大きな池が見えます。
その池にうかぶように立っている白い、四角い建物が、
神奈川県立近代美術館・鎌倉です。
参道をそれて、脇道に入ると一気に人けが失せました。
誰もいません。
まさかの休館にどきどきしながら周り込み、チケットを買って
入場です。

(ほとんど)誰もいません。

シャガールです。ルドンです。
静かな会場でした。不思議に思いました。
特にルドンは、二年前渋谷のBUNKAMURAで開かれた
「ルドンの黒」展にも出品されたものが、
たくさん展示されているにも関わらず、
わずかな人が過ぎ去ってゆくばかりなのです。
確かに大規模な展示ではありませんが、
収蔵された作品が個人の寄贈から成り立っていることもあり、
とてもしっかりしたコレクションなのです。
静かに見られたことは嬉しかったのですが、
もったいないと思いました。

今回の白眉はシャガールの「馬の日記」シリーズです。
シュールレアリズムの詩人の妻、クレール・ゴルの小説の挿絵なのですが、
モノクロの挿絵にまず気が引かれます。
この中の一枚、多分べったりとした色の奔流と奇妙な馬ばかりに集中
する視点がはっと醒めました。
一枚だけ、左を向き座る女性のシンプルな絵があるのですが、
彼女は写実的に描かれているのです。
その描線は勢いがあります。何より正確なデッサン。
ああやっぱり、シャガールも勉強した画家なのだ、と理解できました。
カラーのリトグラフでは「サーカス」中の「自転車乗りたち」が
一番落ち着いていてよかったです。
ルドンは「悪の華」中の「逸楽よ、しなやかなる幻影よ!」の後ろを向いた
女のデッサンが秀逸でした。
これは、二年前にも見たのですが、当時は意識していなかったので、
今回気づけたことが嬉しはずかし(見てたことを忘れていた)でした。

ルドンを出て建長寺の方まで歩くと、別館があるのですが、新しい
収蔵品はそこまで目を惹くものがなかったので割愛します。
問題は建長寺でした。
すっかり晴れて、空にさくらが映えて、よい眺めで、
一通りお寺を廻り、半僧坊のある奥へと向ったのはよかったのですが、
途中で謎の記念碑を見つけ、山中へと分け入り。
さらに謎の脇道を見つけ、山奥へと分け入り。
てっきり、小さいお堂でもあるのかな、と思ったら、
道、道、道。舗装なんかありません。


「ここはどこにつながっているのだろう」

もう引き返せなくなっていたので先へ進みました。
気のせいか脇から人の声が聞こえますがかまわず進みます。
階段が見えます。その先は家っぽい壁に阻まれています。
諦めかけましたがとりあえず登りました。
道はつながっていました。

半僧坊に。


ほんとです。

「鎌倉ものがたり」にも登場する烏天狗が住む、半僧坊は
見晴らしがとってもよいところです。
富士山の見える、富士見台が、お堂の左手にあるのですが、
富士見台の脇に微妙な階段があります。
何も知らない私はそこをもくもく登ってきたのでした。
富士見台でシャッターを切っていた男の人が私を見下ろしました。
ふいっと顔を背けました。

なかったことにされたようです。

ただ、けもの道でいいことが一つだけあります。
最初だけ過ぎてしまえば、わりあい平坦な山道なので、
登りは階段よりもずっと楽ちんでした。

と言うわけで、今度私と鎌倉にゆく方は、半僧坊に行く、と
言うと、雨が降らない限り確実にこの道を連れまわされます。
楽しいですよ。覚悟してください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

棟方志功「板極道」読了

2009年04月03日 | 読書
あっという間でした。
(0404:少々書き換えました)

:『板極道』(はんごくどう)中公文庫 棟方志功著 昭和51年初出

「その強靭とあの底ぬけの善意と愛と感謝、 ユーモアと爆発を
伴ったそれらの混淆体が棟方志功そのものであった。
そしてその混淆体は常に満々と充溢していた。」―解説より(草野心平)

まるで手塚治虫のように、だんご鼻に黒縁メガネ、帽子から額の出た
自画像どおりのおじいちゃんです。
晩年の写真、分厚いメガネの裏でいっぱいに目を細め、
広がった鼻の下になんともあどけなく口が開いています。
とにかく可愛ゆい。
ことばも、文章も、湧き出る情愛も、笑顔も、
なにもかもすべてが可愛ゆい人です。
ずっと最初から、棟方志功というヒトは棟方志功のままで
育ってきたのだな、と思います。

『板極道』は、棟方の自書伝です。青森の寒村の光景から始まって、
「絵キチ」と半分からかい、半分愛称のように筆を滑らせる
棟方の原風景は、出雲にはぐくまれた河井寛次郎の、素直な民芸の
感じ方とよく似ていると思います。
棟方の父親は腕のよい鍛冶屋で、父の刃物が重用されるのを幼い頃から
見てきた棟方の絵筆は、誰からも学ぶことなく自分の目だけを頼りに、
心のままに描かれたものでした。

お父さんが鍛冶屋で、しかも棟方もそれを手伝っていた。
それは、手を使うという作業が実に自然に、棟方に染み付いていたことでは
ないでしょうか。手をもっと立体的に、直接的に使う表現として、木版に
辿りついてよかったなあと思います。
溢れるばかりの線と、勢いと、空気の動く版画は、当時の誰よりも
どくどく脈打っていて、初めて棟方志功はいいなあ、と思いました。

でも、のっけから前書きをねだる棟方の可愛ゆさはたまりません。
苦笑しながら目だけニコニコの谷崎潤一郎と一緒にノックアウトです。
前書きは読んでいただきたい、他を引用します。

「わたくしは、何としてもゴッホになりたいと思いました。
プルシャンブルーで描かれたゴッホのひまわり、
グルグルして目の廻るような、輝きつづく、あんなひまわりの
絵が描きたかったのです。」――本文より

もうここだけで可愛ゆさ爆発です。

「なんとしても ごっほになりたいと おもいました。」

鏡花に次いで萌え萌えです。
こんなこと書いても、ここまで読んだ読者は、このセリフに
にやつくことはあっても、眉をしかめることはありません。
ほんとに可愛ゆいヒト、うらやましい!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はじまりました

2009年04月02日 | 雑記
新しい生活リズムが始まってまだ、ほんの少ししか
時がたっていませんが、慣れる事よりも、
どうやって進もうかを考えすぎて、
急いで焦って、あがいています。

ああこんなものか、と思えるまでまだまだ修行が足りません。
――
 仕事が仕事をしています
 苦しいことは仕事にまかせ、
 さあさ我らは楽しみましょう
――
までずいぶんと道遠し、なのです。


でも電車の中で読書だけは進んでいます。
棟方志功はまっすぐて素直で可愛くて、ずるいのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする