えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・青臭さの果ては

2017年03月25日 | コラム
深夜と夜の間際、お昼の前後、中途半端な時間時にテレビをつけるとまれに渋い顔――顔の部品が中央に集中するようにすぼんだ――が映ることがある。老若男女問わずエイリアンの体液に牛乳を混ぜた風味の液体が見えるガラスコップをそれぞれに持ちながら何やら感慨を味わっている様子だ。たまにその時々で活躍した横綱が手に持っていることもある。白鵬は確か持っていた姿を記憶しているが稀勢の里はもう持ったのだろうか。とまれ年を追う如くパステルカラーに変化するそれは改良を加える余裕ができる程度に売り上げがあるらしい。なので「個人差があります」のテロップの割には安定した通販のヒッターなのだろう。

ここで文末に仮定形がついてしまうところが「個人差」の宿命とはいえ十五年ほど前には「まずい」と役者に明言させていた飲み物なのか流し込むために形を整えた葉物なのか立場の不安定なそれは体によろしいとの評判を看板に売られ続けている。そのくせ原材料の青物はスーパーおよび八百屋もろもろの店先にしれっと混ざっていることはなく加工された粉末が緑茶などと肩を並べて売られている棚は近所で目撃した。地元のスーパーマーケットの棚からすら失せる気配がないということはやはり一定の実力があるのだろう。だろうばかりでしようもないが子供の頃お年玉をもらうために一気飲みを強制された身としてはリベンジの気力もわかないので堪忍していただきたい。ノビルあたりの雑草を生食する方がまだ堪えられそうな気もする。さわやかに「まずい」と言い放てる余裕は当時の私にはなかった。

昼休み時にぶらつく路地にスムージーの専門店があり、定番メニューに食い込んでいるそれは宣伝文句と写真を見る限り毒々しい青緑の路線を捨ててメニューに居つくことを選んでいる。車内広告をはじめとした宣伝で喧伝される野菜不足は高確率で解消できるのだろう。「まずい」と断言された時代からの客と新しい客を交えながら続けられているのはいいことだと取り敢えず目を背け、その他の物品にはあまり迷わない七百円を出そうかスムージー屋のカウンター前でうろついていると散歩中の二人連れが「えー、どうする」と首をかしげながら前を通り過ぎて行った。

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