えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

そんなに騒がしくない小人たち(読書記)

2014年03月19日 | 読書
 ジョン・ブラックバーン「小人たちがこわいので」読了。伝奇、SF、人間恐怖入り混じり少し煩雑の気は感じるが1974年の発表年を観れば相当。川原泉「小人たちが騒ぐので」の元ネタには違いない。文章の抜書きをしようにも際立って文に優れた何かがあるわけではなし凡な文の印象。翻訳の所為かもしれないが説明くさく、主人公たちの味わう恐怖の種類が多彩な分ひとつひとつの出来事の怖さが断片的で、一本の怪談を集中して聞いている時のような怖さの起承転結には欠けている。文章が平坦なことがかえって読む分には気楽。

 これがフィルボッツのように飾り立てた文章、ラヴクラフトのような当人の頭の中をそのままにさらけ出すような川の流れのような文章であれば分量は倍増し、恐怖の方向性が書き手の手腕をさらけだすように散漫になるか、より際立たせるかのどちらかになるだろうか。少なくともフィルボッツはちょっと嫌だ。「赤毛のレドメイン家」の解説者が探偵小説ではなく描写へ評価をすり替えていたのは時代の感覚により仕方無いとはいえ、まだそんなに古くない小説でそれを蒸し返すようなまねは勘弁。

 飛行機の音に呼びさまされる、誰が聴くかもわからない飛行機の音が記憶を呼び覚ましてゆく場面がよい。その飛行機に乗っている人は何も知らぬまま、目的の場所へたどり着くまでの時間を過ごしている。中にはオチの飛行機の乗客のような人物もいるかもしれないが、宅の家の上空を通るアメリカ軍や自衛隊の音が静かに過ごす屋内へ滑り込む時は、紛れ込んだ異物への不快感が呼びさまざれざるを得ない。それだけに物語の肝をつとめる古代の怪奇の力の弱さを残念に思う。

 飛行機の音の不条理な恐怖から呼びさまされた恐怖は飛行機のそれを上回ることなくダイナマイトの前に沈む。クトゥルフTRPGを思い起こしてしまうのはこちらの知識が悪い。どちらにしろ例の彼の影響を忠実に受けていることはまず間違いないだろう。キリスト教の知識が無ければアイルランドの複雑な情勢と絡みつくプロテスタントとカトリックという差が醸し出すものも理解できない身がとやかく言う問題でもない。ただ電車内の読み物としてはきっちりと整った読みやすい文なので頭に優しい本だと思う。

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