えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

奥野信太郎「中国文学十二話」読了

2009年01月26日 | 読書
:NHKブックス「中国文学十二話」 奥野信太郎著 村松瑛編

タイトルにセンスが無いので今後は読んだらこういうふうにします。
(朝令暮改の可能性高し)
「雑記」の50回目は諸事情で取っておきたいので、
しばらくはこれで頑張ります。

さて。

ほんのりとご存知の方もいらっしゃると思いますが、
私は「三国志」が好きです。
ですがこれだけ好き、というわけでもなくて、
元々中国伝奇小説にお熱だったから、中国つながりで
「三国志」好きにもなった、という感じです。
わりとおおざっぱなものの読み方をしています。
そういう大雑把に対して、

『いったい文学史というものを読むときに一つ注意していただきたいことは、
(中略)なんといっても文学史は文学の歴史でありますから、まず作品を
読んでいただきたい』(本書P52より引用)

と厳しく叱り飛ばすのが本書と言うと大うそになります。
昭和39年1月20日から十二回にわたって、NHKのFM放送「朝の講座」で
放送したものの速記録を村松氏がまとめたものが本書です。

放送で流したものなので、基本的には先のようにずっと口語体で
書かれている、つまりですます調なので親しみがもてます。
その上、校正が入っているとはいえ、言葉遣いがとてもきれいなので
とても読みやすい。

だいたいわたしは、日本の人が日本語で書いた本に対しては、まず
言葉から入ってしまう、語り口がとても上手い人だとワーイと飛びつく悪癖が
あるのですが、この本はそうしてみると言葉も内容も満足でした。
「詩経」から始まり、「紅楼夢」で終わる。
こう書くとただの文学史論で終わりそうですが、
普通中国文学、というと、まず詩、次に詩、ちょびっと小説、という感じで、
どちらかといえば言葉、そして人にスポットを当てて、面白おかしく
取り上げるのが多かったりするところを、豊富な話題がカバーしている。

中国の歴史は非常に長いのですが、その歴史の中でポイントとなる箇所、
たとえば六朝から唐にかけては伝奇小説、
南北宋なら戯曲、
明から清にかけては散文とざっくりした流れがあります。
これ全部を、奥野氏の話題はカバーしきっている。
それだけでも面白いのに、時折加えられる考察が、

『ひと口でかたづけますと、この六朝文学と言うものは
非常に感覚的な文学であったといってよろしいと思います。
すべて、感覚を通して思惟の世界に踏み込んでゆく。
(中略)
まず感覚からそして思惟の世界への展開を見せるという、
これが一つの大きな特色ではなかったかと思うのであります。』

これは放送しながら喋ったものだからこそ、感覚的にとらえた本質を
喋ることが出来たのだろうと思います。
文学の一連の流れを追いながら、本質を適宜に突いている、
非常に親切な一冊でした。

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