えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

<遊び心のプログラム>電車とゲーム

2015年12月12日 | コラム
 数年前に『モンスターハンター4G』が携帯機で発売された時は、発売から数週間の電車は両手で携帯機を握りしめてイヤホンで耳を塞いだ背広姿の大人で埋まっていた。たまに女性がプレイする画面を覗けば『とびだせ!どうぶつの森』の柔らかな色彩を歩き回るキャラクターが見えた。

 それから時が経った先月二十八日に新作の『モンスターハンターX』が発売されて二週間、車中の風景は変わる様子もなく駅のホームでは盛んにスマートフォンを歩きながらいじくるなと叫びたてている。うつむいて人は片手の親指で画面をフリップしながら吊り革に掴まり、席へ座り、急ブレーキで倒れ込みながら肘鉄を他人の脇腹に喰わせつつじろりとぶつかった相手を睨み付け、スマートフォンの画面へ戻ってゆく。雪崩のような人の乗り降りの流れには両手を使う機械と睨めっこできる猶予や余地は無い。

 操作に両手を使うゲーム機を電車で操る人は体感的に減った、と思う。新作のゲームが携帯機で発売されていても、電車でそれを起動させている人はぐるりと見渡して車両に一人いるかいないか、たまに両手で機械を抱え込む人がいてもよく手元を見ればその薄さでスマートフォンだとわかる。PSVitaが占めていた両手にはスマートフォンが埋まっている。LINEなどのSNSで連絡を取り合う人と同じ程度、その手ではゲームが遊ばれている。

 両手の指の数だけあるボタンの組み合わせとタイミングを要求されるアクションゲームと専用の機械に対して、画面の接触センサーさえ無事ならば指一本で済むスマートフォンはゲーム専用に作られていないためにものとしての汎用性に優れていることは当たり前のように理解できる。ゲーム機に対して何かを「付け加えれば」スマートフォンと同等に電話が出来たり、インターネットに接続して通信することは可能だろうが、そこには「付け加える」という過程が生じる分不便が目立つ。メールを打ち込んだ指の動きそのままでゲームが出来てしまう機械に対してコントロール専用の機械と言う概念もそのうちなくなってしまうのかもしれない。

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