えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・騒ぎのゆくさき

2015年01月10日 | コラム
「おじいさん、随分と騒がしいですね」
 買い物の袋を提げる人々の合間、元旦のショッピングモールですれ違った老夫婦のト書きのような一言が耳に届いた。
「もう歳末に買いだめってこともしないんですね」
「こんだけ賑わってりゃ、毎日買いにくりゃあいいんだからなあ。買いだめることもないだろうよ」
 
振り向くと老夫婦はフードコートの人ごみへ二人並んで去ってゆくところだった。その姿に二人よりも少し年上の、岡本綺堂の一節を思い出した。

『大晦日は十二時過ぎまで賑わっていた。
 但しその賑わいは大晦日かぎりで、一夜明ければ元の寂寥にかえる。さすがに新年早々はどこの店でも門松を立て、国旗をかかげ、回礼者の往来もしげく、鉄道馬車は満員の客を乗せて走る。(中略)
 新年の賑わいは昼間だけのことで、日が暮れると寂しくなる。露店も元日以後は一切出ない。商店も早く戸を閉める。』―岡本綺堂『綺堂むかし語り』旺文社

元旦の朝お雑煮を食べてからすぐに車へ乗ってアウトレットへ向かうようにいつの間にか家の中の習慣が変わっていた。静けさは大晦日の一夜、神社へ初詣にゆく深夜の道のりに預けられ、目覚めた後の外出に胸を躍らせながら慌ただしく朝の支度をする。赤と白の広告に急き立てられて車は買い物に向かい、商品を載せて家に帰る。立てられた門松も幟の陰に、福袋を求める長蛇の列がとぐろを巻いている。とぐろの尾がぶつかり合わないよう、店員たちは拡声器と看板を使い警備員の男たちはプラスチックの棒とコーンでさくさくと誘導を処理する。福袋を求めて黒山の人だかりは店を回り続け、沢山の福袋を抱えてぐったりと疲れ切り、家に帰る。

近所や遠くの知己へわざわざ挨拶にゆくこともなくなり、遠くの知り合いの家へ挨拶に行くこともない今は、血のつながった人たちと密着し続ける息苦しさから逃れる先は知らない人のいる店への回礼である。浮かれ騒ぎをつくろうとする後ろには、そうしたうすら寒い哀しさの後押しがあるのかもしれない。

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