えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・『二十歳のエチュード』(角川文庫版) 読書記

2017年02月11日 | コラム
:絶えない絶唱へ

「《その時、彼ははたちだった。》と書き出して、《その時、彼ははたちだった。》と結ぶんだ!」
 そう友人の橋本一明へ一節の言葉を託すと原口統三は昭和二十一年の十月二十五日に逗子の海へ沈んだ。「原口統三は、氷のようです」と、去年観た『遊侠 沓掛時次郎』の舞台で主人公の少女が作り笑顔で涙をこらえながら叫んでいた場面を思い出す。そして「ランボーは、炎のようです」と続ける少女へ男は「よく読んだ」と笑顔を向けていた。『二十歳のエチュード』にはちらほらとアルチュール・ランボーの影が差している。ランボーだけではなく彼が影響を受けた人々のことばが『エチュード』には記されているが(本書は『老子』の引用から始まる)、たぶんわかりやすく目に見えて比較できたことばがランボーだったのだろう。

 現在の東京大学の旧第一高等学校に通い高い教育を受け、詩人としての将来を嘱望されながら自らの原稿を焼いて原口統三は正確には十九歳十ヵ月で亡くなることを選んだ。死の直前まで彼は書くことをやめなかった。一度は焼き捨てた自分の言葉で書き綴ることをとうとうやめられなかった。どちらかといえば、背伸びして人を見る若者の冷ややかさが漂っている文だ。けれどもそれは決して冷たいものではなく、自分に対しても他人に対しても客観的であろうとあがいてなりきれなかった人の体温がにじんでいる。身の回りの物すべてを売り払い、旅費を捻出して一か月を旅に過ごす間に出会った人を書き留めておく筆致は温かい。

「「むらさき」という粋な名前のみやげ物屋がおばあさんの独り暮らしの棲家でした。(中略)「むらさき」というのは源氏物語の「紫の君」をとったのだそうです。(中略)若い頃の彼女はあたかも「紫の君」にそっくりの境遇であり、そしてまた源氏そっくりの青年と結ばれていたが、はかない結果になった、というわけです。」

 挿絵を入れてほんの二ページほどの掌編だが、奈良の老婆と会話を重ねる彼の姿は気取りがなく穏やかだ。それでいながら、ことばに対して誰よりも繊細な感覚を持つがゆえに「潔癖」「純潔」といったようなものに囚われた彼はこう書かざるを得なかった。

「表現は畢竟、それを受け取る人間にとって、年と共に姿を変えてゆくところの品物にすぎない。君がもし、僕のことを覚えていてくれるのなら、時として君の蛍雪の窓にも訪れてくるであろうあのマルセル・プルウストの夜に、君たちを怖(おび)やかした統さんの高笑いと、自慢の長い睫毛とを思い出してくれたまえ。」

 その時、彼ははたちになろうとしていた。

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