えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

知らない弱さ

2009年09月22日 | コラム
「でもシャネルを着るときは靴も帽子も全部シャネルにしなくてはならないの」

――シャーリー・マクレーン(「COCO CHANEL」パンフレットより)


:「COCO CHANEL」2009年8月 イタリア・フランス・アメリカ合作


『COCO CHANEL』、2008年にイタリア・フランス・アメリカ三国の合作で製作された映画である。表題どおり、一世の女性ガブリエル・ココ・シャネルの半生を描いた作品だ。1954年、70歳のココと、1903年から1920年代の若いココを行き来しながら、二人の女優がシャネルを演じる。冒頭、螺旋階段のてっぺんでモデルのまとうジャケットに、くわえタバコで無表情にはさみを入れるシャーリー・マクレーンの圧巻、首元のつまるブラウスに束ねた黒髪の巻き毛と、ガラス玉のように大きい瞳のバルボラ・ボブローヴァ。この二人は顔の造作がそんなに似ていない。ただ、その目の無表情な強さがよく似ていた。
 
 二人の女性のこの瞳が同じ質を保っているので、下働きのお針子・ココが、出会った男達から上流階級の生活を習い、ビジネスの輩とし、どんどんと才能を伸ばす場を作ってゆく流れも自然と受け止められる。ただ、精巧への階段を駆け上がるココの姿は華やかになるばかりだが、一方ココのすごさが何だったのか、という点がどうもぼけているような気がした。下着素材のジャージーを服に採用したり、動きやすい服を提供したり、と、ところどころで描かれてはいるのだが。
 
 たぶん、何を描こうか迷ったのだと思う。矢のようにまっすぐで鋭い才能か、女性の内面かをてんびんにかけた上、「シャネルはすごい」「シャネルを創ったココはもっとすごい」という暗黙の了解を押し付けての映画なのだろう。だが、ココが衝撃を与えた時代の背景を、意図的に語る場面がほとんど無いので、肝心のすごさはそこまで見えない。たとえば最初の愛人エチエンヌ・バルボアの前で、狩りの際ズボンで登場したココへの驚き、ジャージー素材を使ったことへの驚き、それをどう今の視点に引っ張ってゆくかが欲しかった。「愛と仕事のサクセスストーリー」以外のものを感じさせるのが、女たちの目だけなのはちょっと寂しすぎる。

(796字)

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