悲しみの型が「悲しみの型」に見えてしまうのは、観客の目の問題だけなのだろうか。
蝉丸と逆髪、二つのオモテが織りなす能『蝉丸』では、動きに恵まれた逆髪と異なり蝉丸は殆ど首を動かさずに悲しみを作り上げなければならない。蝉丸に許された動作は真直ぐに立つか、背を伸ばして座るか、首を大きく傾ける仕草を削いだ感情を押し殺すための所作のみである。それ故「臥し転びて泣きぬ」という詞に合わせて前かがみになり顔の前へ押し抱くように出す両手と、同じく捨てられた身の姉逆髪と二人で目の下へ交互に手を被せる二つの蝉丸に許された悲しみの型は観客の哀れみを強力にいざなう。
ただ今回の蝉丸はどうにも落ち着かなくて、面すら緊張にこわばる無表情に留まっていた。一方の逆髪もまた似たような尻の座りの悪さを感じたものの、立ち居振る舞いが蝉丸よりも多いおかげで「正気を保ちながら狂わなければ生きていけない」女を、オモテが型に依って生かしていた。だが、逆髪の物狂いの悲しみは弟の蝉丸の悲しみの深さで決まる。
彼を見つけた途端、今までにこやかに狂っていた女の足取りが止まり、手慰みの笹を落として呆然と立ち尽くした後にはっと正気が戻るのだ。そのため折角二人で向かい合い悲しみを放出する瞬間も蝉丸の無表情で「型」に留まり、悲しむことを顕すまでには至らなかった。オモテは動きに合わせて勝手に表情を作ってくれる。しかし、動きがない時のオモテの顔は役者の佇まい一本で決まってしまう。
それでも観客が悲しみを受け取ることができるのは、型が悲しむことを示しているためであり、連綿と伝えられた型に従うことでオモテも生きるよう能は巧みに仕組まれている。
蝉丸と逆髪、二つのオモテが織りなす能『蝉丸』では、動きに恵まれた逆髪と異なり蝉丸は殆ど首を動かさずに悲しみを作り上げなければならない。蝉丸に許された動作は真直ぐに立つか、背を伸ばして座るか、首を大きく傾ける仕草を削いだ感情を押し殺すための所作のみである。それ故「臥し転びて泣きぬ」という詞に合わせて前かがみになり顔の前へ押し抱くように出す両手と、同じく捨てられた身の姉逆髪と二人で目の下へ交互に手を被せる二つの蝉丸に許された悲しみの型は観客の哀れみを強力にいざなう。
ただ今回の蝉丸はどうにも落ち着かなくて、面すら緊張にこわばる無表情に留まっていた。一方の逆髪もまた似たような尻の座りの悪さを感じたものの、立ち居振る舞いが蝉丸よりも多いおかげで「正気を保ちながら狂わなければ生きていけない」女を、オモテが型に依って生かしていた。だが、逆髪の物狂いの悲しみは弟の蝉丸の悲しみの深さで決まる。
彼を見つけた途端、今までにこやかに狂っていた女の足取りが止まり、手慰みの笹を落として呆然と立ち尽くした後にはっと正気が戻るのだ。そのため折角二人で向かい合い悲しみを放出する瞬間も蝉丸の無表情で「型」に留まり、悲しむことを顕すまでには至らなかった。オモテは動きに合わせて勝手に表情を作ってくれる。しかし、動きがない時のオモテの顔は役者の佇まい一本で決まってしまう。
それでも観客が悲しみを受け取ることができるのは、型が悲しむことを示しているためであり、連綿と伝えられた型に従うことでオモテも生きるよう能は巧みに仕組まれている。
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