えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

<遊び心のプログラム>攻略情報を知ってからの遊び

2015年02月14日 | コラム
予めゲームの攻略情報を知っていてもゲームは十分に楽しむことができる。

ふっとそう思ったのは中古250円で買った『ドラゴンクエスト8』プレイステーション2日本語版(2004年)を、ゲームプレイ動画の閲覧をきっかけに遊びだした時だった。 その動画は総計135本から成るプレイ動画で、俗に裏と呼ばれるクリア後限定の要素までクリアしており通覧すればストーリーは全てわかってしまう。しかし2007年に投稿されたこの動画は削除の憂き目に会わず、時間単位で約四十五時間の動画を全て見てなおゲームを始める自分のようなプレイヤーは、動画に寄せられたコメントを見る限り他にもいるようだった。

ロールプレイングゲーム(以下RPG)の『ドラゴンクエスト8』は物語の主人公を操作してゲーム内の世界を遍歴し、一つの筋書きを追いかけてゆく構成だ。ストーリーは骨子である。その重要な要素を全て知った上でなおゲームの現物に触れようとする原動力は何だろうかと考えたとき、「自分で遊ぶ」という言葉に突き当たった。動画内で行われていない操作や作戦を「試したく」なったのだ。動画は沢山の情報を持っている、しかし、例えば「装備品の購入禁止」という制限のためにこの動画では店で販売されている商品が分からないなど、動画で見せられている部分以外にも多くの要素があることをプレイヤーは知っている。

なおかつ動画投稿者は初見のゲームであるにも関わらずおざなりに進めることを良しとせず、自分でさらに決まり事を設けることで新しく遊びを作っていた。たとえばRPGで推奨される進め方として「イベントをクリアして新しい街に到着したら装備を整える」「強いボスに敵わなければ主人公のレベルを上げる」など、本来は要素を制限することで新しいルールを作りだし、遊び方へ反映させている。その結果投稿者の動画には独特の足跡が作り出されていった。説明書にも攻略情報サイトにも攻略本にもない「ルール」と「遊び方」が動画では提示されていたのだ。

さて自分が実際にゲームへ触れるに当たって振り返ると二つの要素に気づく。一つは先述した「画面内で行われていない操作」を試したいこと、もう一つは「動画投稿者と同様、あるいは類似の条件で」遊びたくなったことだ。その上でさらに自分自身が楽しむために、動画投稿者の遊んだ条件を緩和してルールの改変も行った。たとえば動画では装備品の購入を一切禁止しているが、全滅した時に一つだけ購入をしても良いことにする等。何度も書くが情報のみを知りたいのであれば情報はWEBに十分すぎるほど溢れている。その上でゲームを遊ぶのは、情報外のことを知りたいからだ。それは経験である。

実際にプレイしていなくてもある程度はそのゲームについて語ることはできる。だがプログラムで制限されているとはいえ、全てのプレイヤーが全く同じ経験をすることは無い。動画で見逃していることを発見するかもしれない、情報では弱いとされていたアイテムも意外に役立つこともあるかもしれない。要素一つ一つを自らの手で試してみること自体が経験となり、多様な話題を生む。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <遊び心のプログラム>攻略... | トップ | <遊び心のプログラム>攻略... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラム」カテゴリの最新記事