えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

<遊び心のプログラム>実況と動画

2014年09月13日 | コラム
 プロバイダ契約や自前のホームページなど面倒事なしに、大容量の動画を誰でもインターネットへ投稿できることが広まるにつれてコンピュータゲームのプレイヤーは当然のように「自らが遊ぶゲーム画面」の動画を投稿し始めた。アクション、ノベル、RPG、ジャンルを問わずに多様な“遊び方”を投稿する者が数を増やす中、画面だけにとどまらずまるでスポーツの解説者のようにゲームプレイヤー自身の言葉を音声として付与した“実況動画”が登場した。

 実況動画とは、プレイヤーが遊ぶゲームについて解説や感想などをゲームを遊びつつ“実況”する動画である。喋ることはプレイヤーに応じて様々だが、人気のあるプレイヤーの中には企業から依頼されてラジオのような看板番組や発売直後のゲームを宣伝のために実況しつつ遊ぶ者もいる。かくいう筆者もそうしたアマチュア番組製作者の動画を楽しむ一人だが、自分が遊んだことのないゲームを誰かが遊ぶ様を眺めているのはテレビのように気楽だ。あくまで実況の対象となるゲームを遊ぶのは画面の向こうのプレイヤーであり閲覧者ではない。閲覧者の立場はプレイヤーではなく観客である。

 たとえばホラーゲーム「サイレントヒル4」や「零」などアクションゲームを中心とした『訛り実況』というシリーズがある。タイトルの『訛り』はプレイヤーの独特の口調に対してファンがつけた呼称である。このプレイヤーは一度ゲームを隠し要素含めて自身で遊びつくしてから、多くは最高難易度で幽霊やゾンビを巧みにかわしながら淡々と喋り目的を果たしてゆく、プレイヤーの遊びとしては二段構えを取っている。画面で行われる操作は無駄がなく、かつ説明が要を得てわかりやすいため未プレイの人間でもゲームの見どころや面白味を窺い知ることができる。閲覧者である観客は、彼の上手な遊び方を楽しみながら一人では怖くて出来そうもないホラーゲームの世界を堪能することが可能だ。

 『訛り実況』に限らず、実況動画では閲覧者を退屈させないようプレイの過程をカットや早送りで省略する手順が良く取られる。テレビ番組と同じく美味しいとこどりを閲覧者はしているわけで、プレイのために必要なコントローラの操作やロード時間など、実際のプレイで体験する要素を忘れてしまいそうになる。この要素が曲者で、製作者側からしてみれば過程を含めて全体を味わってほしい所を、抜書きの実況動画でさも遊びきったような錯覚に陥り実機を触らない閲覧者の存在が彼らを苛立たせる。けれども一方で、そうした実況者が省略したものを見たいと思い立ちゲームを手に取りプレイヤーとなる者も存在することを制作側は見逃していない。先に述べたような人気実況者への依頼が一例である。

 実況で紹介されたり映像で流される裏側にも楽しみが隠れていることはコンピュータゲームもスポーツも同じである。他の人の遊び方を自ら紹介してくれるゲーム実況は興味深く楽しめる動画コンテンツであることを、閲覧する側は自分も手に取る、あるいは既に遊んだ知識を踏まえて彼等の「遊び方」を注意して観るのも一興だと思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ・滴り落ちる | トップ | <遊び心のプログラム>ゲー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラム」カテゴリの最新記事