えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・贈り物の加齢

2018年08月11日 | コラム
 毎年家族には誕生日プレゼントを贈る。まだきょうだいが若かったころは、よくヴィレッジヴァンガードを利用しては「ふざけんじゃねえよ」と怒鳴られた。時々中身を投げつけられた。クマの手形の孫の手や、辛いお菓子の詰め合わせなど、決して安くない費用とひねる頭と時間などそこそこに手間は掛けられているのだが、年々中身を見るだに袋ごと投げつけられるのでやめた。そろそろ相手の好みに合った、使ってもらえそうな、あるいは食べてもらえそうなものが店から無くなったからだ。

 それは店のありようが変わったことではなく、受け取るこちら側が店に用意されているものをそれほど有難がったり、面白がったりする部分が鈍くなっているせいである。趣味が変わったと言えば聞こえはいいかもしれないが、内実は案外に物事を「つまらなく」思うことが増えたところにあるのかもしれない。周囲は俗にテロリズム行為と呼ぶこの詰め合わせの中身を楽しそうに訪ねてくるが、風水上最悪と言われる黒曜石の矢じりや市で手に入れた寛永通宝やキンキラキンのトランプをを詰め合わせて奥さまやご家族に手渡したという話は聞かない。「おとな」なのだ。

 一度だけBEAMSのまともな買い物をし、物に比して無相応なほど大きな袋を用意してもらった。中身はBEAMSの商品と、後はだいたいのいつもだったヴィレッジヴァンガードの詰め合わせ。最初はまったく不審の目で見ていたきょうだいは、BEAMSのロゴに安心して袋を手に取った。中を覗いた。危うく贈り物のメインであるBEAMSの保温ポットが頭に直撃するところをかわしながら、その年で最後とした袋のたたきつけをかわしに物陰へ隠れた。

 以来誕生日は欲しそうなものを普段の生活から推量し、まともな店でまともな商品を選び、まともな店のロゴが入った袋で手渡すのだが、長年培った不審はよほどのことではとれないらしく、未だに受け取る時の手はどこかゆっくりである。

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