えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・『マカリーポン』雑感

2020年08月15日 | コラム
「マカリーポン」とはタイの妖精だ。木にぶら下がる果物ほどの小さな美女で、木からもぎ取ると七日で死ぬ。ミイラもあるらしい。死ぬ直前に「ワクワク」と鳴き、マカリーポンをもいだ男は四か月の間人事不省に陥るそうだ。と、『現代百物語』に書かれていたので、南国の妖怪譚かと気楽に構えて岩井志麻子の『マカリーポン』を開いたが案に相違して『現代百物語』の延長のような連作小説だった。

 新宿歌舞伎町に住む岩井志麻子が近所の奇妙な歳の離れた姉妹に目を留めるところから始まる。この姉妹も『現代百物語』に登場済みで、『マカリーポン』が二〇一二年の書き下ろし作品のためシリーズ1から3のどれかに書かれていた。それに岩井志麻子が下世話な妄想に近い想像で肉をつけ、語り部を務める。紙一重で単純な焼き直しに陥らないのは、彼女たちの物語を他の『現代百物語』のハナシと絡み合わせているためで、ひそやかに八話のハナシの裏側に立つ姉妹を名乗る二人の女の影が一冊の本をつなぎとめているのだ。

 物語は現実の岩井志麻子が送る日常と、彼女がメモとして書き留めたとされる短いハナシを一セットとし、時にハナシはハナシに登場する幽霊たちが彼女に書かせた体を取る。短いハナシの大半は『現代百物語』に登場するものだ。小説の強みはハナシを思う方向へ自由に決めつけてしまえることで、ハナシの登場人物はほぼ亡くなったとされる。ある意味手っ取り早い割り切りで怪談を次のハナシへあとくされなく渡すには都合が良い。第二の人生をタイの美女につぎ込み有り金とパスポートを巻き上げられて人生に絶望する男も、日本からタイに逃げて夜の店を成功させながら理不尽に殺される女も、金があると錯覚されて同じくタイに住む日本人に殺され「マカリーポン」の幻に抱かれながら死ぬ男も、皆どこかで日本のその姉妹に直接にしろ間接にしろ岩井志麻子を通じてにしろ集約されてゆく。

 後味は悪い。古典の怪談物語がいかに救いに溢れているか錯覚しそうなほど痛ましい。著者であり語り部の岩井志麻子がここで果たしているのは大手の葬儀屋のようにハナシの死骸を文章で飾り立て、ばらばらの縁のないハナシたちを一つの物語にまとめあげて送り出すことだ。日陰者の彼らを文章に仕上げたいという著者の欲望は嘲笑や軽蔑よりも時に惨い仕打ちとなる。

 第一章のハナコこと葉菜子は岩井志麻子の『チャイ・コイ』という作品の毒気に中てられ、作家への優越感を得るためだけに『チャイ・コイ』のモデルとなったベトナムの愛人を抱きに行く。ところが普通のOLの彼女の稼ぎでは岩井志麻子の財力に届かず、岩井志麻子の与える贅沢に慣れた愛人は金を求める。葉菜子の金は無くなる。けれども岩井志麻子を超えたい一心で彼に執着する葉菜子は金のためにOLを辞めて水商売の底辺におちる。ベトナムの愛人は歯並びが輝きそうな笑顔で志麻子のほうが金持ちだから好きだよ、と作家を慰める。葉菜子は死んだかもしれない、と、岩井志麻子はそれを締める。これが繰り返され「猛烈に選民意識の強い負け犬たち」は「マカリーポン」のごとく岩井志麻子の刹那的な食い物と化し、元のハナシの精彩を吸われて無味乾燥な姿で文字へ印刷されるのだ。

『マカリーポン』では最後に姉妹は住んでいるアパートの火災に巻き込まれてきれいに退場するが、現実の彼女たちがどうなったかは分からない。個人的には『マカリーポン』で実は母子だと結着される彼女たちよりも、『現代百物語』の下手な整形の目立つ顔ながら妹の容姿を貶める姉へ徐々に妹が似てきているというほうがより後味が悪いように思う。いずれにせよはかない妖精「マカリーポン」の「ワクワク」の断末魔はどこにも聞こえない。
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