えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・お経しょうばい

2018年09月08日 | コラム
 大きなお寺社へ行くと、外国人観光客が手水に群がっている。小さなお宮でもテレビでさんざ紹介されたおかげか、カップルの主に男性のほうが得意顔で手水のかけ方を彼女に教えている姿をちょくちょく見かける。彼女のほうは「へえ、そうなんだ。物知りなんだね」と彼氏を立てていながら目はつまらなそうにしている。

 神様や仏様のおわします場所に入るため、汚れを落とすために右手に柄杓を持ち左手へ水をかけ、清めた左手で右手に水をかける。最後に左手で水を受け、口をゆすぎ、また左手に水をかけ、ひしゃくの柄に残った水を伝わらせて一通り清める。だが濡れっぱなしの手が心地よくないのか、おおかたは清めた手を鞄から取り出したハンカチなどで拭いてしまう。良し悪しはともかく、理屈で堅苦しく考えるとハンカチは清められていないことになり、せっかく清めた手へまた穢れをくっつける次第となる。結局清めの手順は何だっんだ、という疑問もまた穢れかもしれないので、黙ってそのまま拝殿へ向かった。

 ある時、とあるお寺の手水舎の柱に白い布が翻っていた。手を拭くためにお寺が用意したのか、と手に取ると、それは般若心境が印刷された手ぬぐいだった。デザイン化された字ではなく、きちんとした書体でお経が布一杯に書かれている。悔しいがお清めという理屈にはかなっている。誰かがつっこみを入れたのか、それともお寺が考えたのは不明なものの、今のところこのお寺でしか見たことのない手ぬぐいなので、他のお寺社でも導入すればそれなりにレンタルなどのしょうばいになるのではないだろうか。そのお寺の授与所に行ったら手ぬぐいを色違い二色用意して販売していたので、お寺社周りをする方にも優しいといえば聞こえはいいだろうか。実質はしょうばいだ。しかもやり手の。
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