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詩596 日刊ゲンダイ記事 森達也氏が危惧 オウム以降の日本社会は「集団化」が加速

2018年08月20日 08時45分33秒 | マスコミジャーナリズム

森達也氏が危惧 オウム以降の日本社会は「集団化」が加速

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/235550/1

先ず、最近の朝日新聞他大新聞、メデア・マスコミ・ジャーナリズムの大勢は、彼ら自身の商業主義(より利潤の多い情報網へシフトする)にのっとり、戦前あった大日本報告会的翼賛化(大新聞は全くこれの反省に立ってない)が進み、実質的にあらゆる情報媒体への我々の不信感はいよましに増しているが、大方の国民はほぼ無批判にこれらを受容、吸収し、情報源泉として信用しきっている。これが体制側の思うつぼで、今やモチカケ防衛省問題はどこへ行ったか、安倍の総裁選三選が既定事実と化し、この数か月で起こったこの内閣の様々な不祥事、不手際、失態などさえどこ吹く風で、まさに、あげて日本はpost truthの渦中に雪崩を打って巻き込まれてしまった。戦後最低の劣悪な安倍晋三内閣に対する支持率の異常な現象は、社会的集団心理で片が付く。おそらくは、ハンナ・アレントのいう所謂「モップ」が、つまり社会的落ちこぼれ集団の糾合強化激化(言わば同病相憐れむ仲間のチンピラやくざ的集結)こそ、今の世界や日本の「非常識」「不正義」「反知性」「非論理」「不倫」横行、跋扈、跳梁を促しているのであろう。そしてこの在り様は第三次世界大戦並みの不測の事態を準備しつつある、と思われる。「常識」「良識」「正確な情報把捉(リテラシー)」を一般的な国民に求めても、脆弱な基盤の上にある「仮想国民会議」的求心力からして、韓国並みの権力糾弾の(何をおいてもやってのける)「民主力」を期待することはできやしない。決定的に体験したはずの大団円に至るまでこの国はこの転落を止めることをしないだろう。まさに「永続的敗戦」心理で覆われている。「戦後ゼロ年」は現実のものだ。何度もこの国は敗戦を繰り返すだろうて。



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