沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩の終わり 昭和天皇の言動と大和民族の現代的犯罪性 1

2019年09月08日 07時09分56秒 | 政治論

 軍事評論家田岡俊次氏が言及(「米軍は日本を守ってなどいない! 田岡俊次が在日米軍を詳細分析して分かった実態」https://dot.asahi.com/aera/2019082100027.htmlするまでもなく、現在この国を深浅問わず牛耳っている日米安保体制は、決定的な意味で不実な幻想的国防体制であり、軍略的な意味での国防は、実質現今陸海空自衛隊の戦力で事足りると言える。(士気の事は不明)

 勿論、傭兵や用心棒という意味で存在する現行在日米軍は、大和民族にとって実質百害あって一利なしの張子の虎であり、ふてぶてしい金食い虫であり、即戦的な意味の日本における実質的軍事的防衛媒体とはなっていない。当然、戦時的状況下では在アジア米人の救出が米軍の絶対至上任務であり、戦場に放置された一般日本国民が優先、無傷に救出されることは先ずあり得ない話だ。しかも、現代ミサイル戦略上の意味で言えば、米軍の存在はむしろ中短距離弾道ミサイルの格好の標的となり、在日米軍基地とその周辺並び他の日本国土は、又しても業火の下に焼き尽くされるだろう。即決対応が最大限要求される緊急事態での米軍の在り様は、米国議会憲法の認応なしに超法規的に動くとはされてない以上、「核の傘」も「用心棒」も全て、今後とも、現実的な効用を示すことなど金輪際あり得ない幻想性に満ちているのだ。

 このような空疎な実情にあって、しかも(思いやり予算等)巨額な防衛費として、国家予算を不実に圧迫する無益有害な米軍乃至米国の日本支配を、隠然と推進許容助長させ、日米のトップダウン的な(地元民、国民の意向を完全に無視して強行される)安保国防思潮を蔓延らせて、現代の大和民族全体に堕落した民族的風潮(幻想的国防思潮をもって安穏に暮らし続ける国民性 平和ボケ)を永らえさせた張本人こそ、恐らくは、戦後すぐ「天皇メッセージ」を発し、明かに憲法違反の政治的外交的イニシャチブを執った、ほかならぬ昭和天皇だということは間違いない事実だ。それが今回の、当時天皇の側近だった者の家族により公表された天皇拝謁記内容に如実に立ち現れていた「拝謁記」にあったのは「昭和天皇の反省」じゃない 戦争責任回避、侵略への無自覚、改憲再軍備主張、沖縄切り捨て https://litera.com/2019/08/post-4921.html

 天皇メッセージによって米国裁量に丸投げされた沖縄に関して言えば、海兵隊が本土内地ヤマトゥの地で激越な基地反対闘争に遭い、結局大戦時に米軍が「分捕った」つもりの沖縄本島に都合よく押し付けることで、7割以上の米軍専用施設をのさばらせた、この、国の対沖縄処分に見る理不尽な、説明のつかない差別性こそは、隠然とその命脈を保ち続ける戦犯最高責任者たる昭和天皇が齎した、「防共」「反共」「国体護持」「皇統維持」の天皇エゴイズムが、何気にこの国の主体的オピニオンリーダー化しているとしか言いようがない。この事実はここ沖縄の地に住んでみた者には、これまで確信に近いものとして否応なく感じられてきた。そして、この「隠然と」ヤマトゥを支配し続ける皇統というものこそ、現代日本においてこの国の政治家はじめ民族自体を、post truth的「反知性」「非論理」「無責任」「非倫理」な傾向へ、雪崩を打って巻き込んだ元凶なのだと。

 今更昭和天皇の戦争責任問題を取り上げても、あらゆる既定事実(戦後75年の時間淘汰が醸す事柄)は真実をいよいよ曖昧にぼかしてしまうだろう。当然、現自公政権に見る明らかな戦前価値観の復興再現目論みのような、甚だしいアナクロニズムも出来する話だ。彼らの目論見がヒトラーナチス並みに現実的に成就完遂するとは俄かに信じがたいのだが、やがて失墜し凋落し消失する運命だけは何となく想像できる。

 とはいえ、沖縄に関しては、皇統が絶えない限り、ヤマトゥによる差別的処遇の餌食になり続けるに違いない。昭和天皇が沖縄をはなから差別したのだ。彼が戦後一度として琉球の地を巡幸できなかった理由は最早、こういう彼自身の言動が然らしめた必然的な運命であろう。民俗学的なアプローチがされてない「天皇と民衆」という課題は、向後真剣な検証、追究、研究姿勢が要求される。もし憲法改正が必要なら、まさに第一章全部こそ削除改正の第一と言える。(つづく)