沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩571 沖縄県知事選の結果は中央権力の封建遺制的在り様を示すだけだ

2014年11月03日 10時16分49秒 | マスコミジャーナリズム

 昨日の毎日新聞にこういう中見出しで沖縄県知事選の実情を伝える記事があった。http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/politics/mainichi-20141102k0000m010120000c.html

 首長に結束崩れ 普天間県内移設「反対20 容認4」 

 これを読む人は、特に本土では一様に「やっぱりな」という感想を持つことになろう。この容認4という数字は、オール沖縄建白書提示の時の勢いが脆くも失速したということを意味することになるわけだ。実際この傾向は昨年末、自民党代議員たちの、石破に言い含められて背後に鎮座するみじめな敗残兵を演出している写真とその後の自民県連の変節、更に極めつけの知事承認劇が醸し出した「流行性感冒」のようなもので、彼らが如何に中央政権の恫喝に屈したかをまざまざと見せつけられた県民にとって、草の根的な思いの「オール沖縄」には何の変更もありはしないという自己確認が必要だという意味に過ぎなかったのである。これまで沖縄県の多くのトップが県民を裏切る結語を繰り返してきたことは周知の事実だ。従って、様々な意味でこの国の政府の手によって正当な「代議制民主主義」表現民意の根幹を切り刻まれてきた(選挙結果を斟酌しない野蛮な封建遺制状態)沖縄県民は、こうした「代議者」のbetorayalというものは主に中央集権体制が強圧的に覆いかぶさって押し付けた結果であることを熟知している。今知事選の結果もどちらにしろ中央集権の権力者たる自民党政権にとってこれを「無視」するか「勢いづくか」のどちらかにしか作用しない、と思っていた方がよい。従って実力行使には実力抵抗しかなく、台風の力や強風高波の勢いを借りてでも絶対に辺野古の海を汚されてたまるか、という根強い闘志が求められる。(つづく)