沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩397 沖縄からの沖縄移住者のメッセージ 15

2013年01月09日 13時36分04秒 | 政治論
 「自由」というのは「自らに由る」ということだが、「自」というのは、「おのずから」や「みずから」など、どちらかと言えば「本能的」、「自然に」「自分本位に」といった傾向の「自己」を含んでいるようであり、「はき違える」という意味に使われる「社会」のなかの「自由」は常にどちらかに転ぶリスクを抱えていると言える。
 「由」は物事の原因、起源、由来、由縁など、事象に深く関係する根本の主体を示唆している。
 「自由」の対義語は「専制」「束縛」「統制」というのだが、ありのままに見るなら「自由」もまた「専制」「束縛」「統制」の軛から逃れられない質にある。「本能」も「自然」も「自己」もその原理的機能要件は峻厳そのものだ。もしこれらに忠実にあろうとするなら、もしかすると「自由」より「奴隷の身分」を選ぶ方が楽かもしれない。
 沖縄は米軍基地の存在によって、あるいは米軍を配する日米安保によって県土に住する「自由」に関しなんらかの「束縛」「専制」「統制」傾向を甘受させられている。基本的には(安保条約による米軍への国土の開放規定により)県土の5分の1を米軍に提供しなければならず(その地代は当然得られているがこの提供の大部分は日米政府の強制による)、しかも政府関係者の証言によれば「海兵隊展開は軍事的に地政学的に沖縄でなくともいい」のであり、他県に移設する政治的努力が望まれるのに関わらず(沖縄の声には耳を傾けずあるいはそのふりだけして)これを他県において説得するありふれた交渉機会を合目的的に捉えた形跡はなく、その故にまるで既成事実であるかのように「招かれざる客」として傲然と居座っているのが現今在沖米軍であり、彼等が理不尽にもかかる図々しい「居直り強盗」まがいの態度で厚顔無恥な植民地政策を臆面もなく継続しているのは、彼らの国民性に善悪問わず鎮座ましましている「愛国心」「忠誠心」なる前近代的情念によって強靭にも支えられている、「国家安全保障」絶対主義のせいである。
 これの故に沖縄県民の自由な居住意思は敗戦前後から根本的に阻害され、国内法的自由の守護さえ日本政府のアメリカ一辺倒姿勢によって打ち砕かれている。
 移住者である筆者は移住する前にはこうした実態について切実な関心などありもしなかったし、又沖縄から見た本土人の、情けないほどの「同胞」に対する無関心ぶりを今にして自己反省せざるを得ない。筆者がこうした事がらを書き連ねるのは筆者の趣味でもなんでもない。今あなたが持っている本土人としての沖繩認知は、無関心か間違っているかあるいは正確さを欠いているということを、筆者の「言論の自由」において伝えるためだ。この自由は沖繩において深く自覚させられた。自由は、束縛専制統制が現実にあって初めてその本来の価値を示す。(中断)

詩397 沖縄からの沖縄移住者のメッセージ 14

2013年01月09日 07時12分14秒 | 政治論
 仲井真のバカ野郎が沖縄振興策に乗っかって「金を出してくれるならみんな大喜びです」と安倍晋三に言ったとか、甚だしい与党自民党政権おもねりそのものである。つまり政権交代で一番嬉しいのは当然このバカ知事にほかならず言わば孤立していた日米安保堅持主義者の「この世の春」が到来したというわけだ。自公のうすらトンカチ共が水を得た河童さながら「辺野古推進」を声高に叫ぶのを聞くと虫唾が走るのは筆者ばかりではあるまい。沖縄県民はこの国の堕落した倫理的荒廃ぶりに辟易している。(中断)