沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩395 「人間の国」でない国にいる我々 16

2012年10月31日 21時26分23秒 | 政治論
 アメリカ合衆国という国の「国家安全保障」という名の恐るべき謀略諜報活動を一つの「人間的立場」(そんなものがあるとすれば)において眺望すると、この国は、世界中、CIAの基本的スパイ活動は勿論あらゆる意味での悪の執行ゲリラとして各国の犯罪者を糾合しかつアメリカマフィアを巧みに買収しては暗殺、選挙妨害もしくは政治工作暗躍を可能にしているという、本来なら到底想像もつかないドス黒い手段で殆どの敵対可能国家、民族、集団、個人に対しその抹殺、弱体化、乃至政治的経済的画策による攪乱、を生起せしめているという驚くべき実態に気づかずにはいない。彼らには(つまりアメリカ国籍の大部分の人民には)、この「国家安全保障」という名の絶対的王座に対し完全な「愛国的」隷従精神が備わっていて、己に直に降りかかる危難に直面しない限り大アメリカ帝国への絶対的忠誠心は揺るぎないものとして持続される。つまり己に直に降りかかる危難に直面しない限り(ハワイのオスプレイ拒否は命がかかっているからだ)、「国家安全保障」における如何なる「悪」も必要悪とされ、例えば如何なる「殺人行為」も正当化されるという国家資質になっていると考えられる。この事実を当のアメリカ人に明したとしても彼らは一向に驚かないだろうし当然だというであろう。彼等の「愛国心」は信仰に近い。この明らかな先住者(インデアン)征服民族は弱肉強食優勝劣敗原則において「自由」であり「民主的」なのだが、その酷薄なまでの自己防衛本能の敷衍するところ、諸外国に対して、「自由」は体の良い「囲い込み」(つまり柵の中の自由)に、「民主主義」は傀儡性が極まった権力にのみ仕方なく付与され、「内政干渉」と指弾されない程度で隠密裏にその国家運営に関与し方向づけし最後に恫喝することで頭初の目的を達成する。恐らく初代以来この国を領導した歴代大統領のすべてにおいてこうした国家性格は伝統的に受け継がれてきたのであり、最近ではあのカーターもクリントンでさえ日本で信じられてきた「良識派」の痕跡すら見当たらない真実を知ることになろう。彼らはブッシュ父子があからさまに実行した無差別爆撃を含む戦争と同質の行為を繰り返してきたはずだ。
 日米関係がいかなる仕儀になっているかを沖縄(ここも日本なので!!)についてみると、国家の74%の軍事基地をアメリカに提供している、この、沖縄に関する偏頗性が後付け的に生じたことは歴史が証明している(最初から西太平洋の戦略的拠点だったわけではない、冷戦後の安保こじつけ論から生まれた)、戦後の位置づけは極東の防共最前線としての日本列島だった(沖縄が特殊にそうだったわけではない、つまり地政学はうそである)、従って荷重の異常性は差別的に沖縄に傾いた事実を示しているし、沖縄に戦略的重要性を持たせる論理的欺瞞はとりわけ「沖縄の基地負担軽減」という理念の発生とともに加圧された、つまり沖縄から基地を撤去することは決して日本から基地を撤廃することでないのにかかわらず(日米安保が有効な限り)、日米政府の2+2は「辺野古」という県内の別の土地に普天間を移設拡充することでしか、「戦略的重要性」を担保しないという論理的錯乱を引き起こしている。だがこれはアメリカ合衆国の陰謀にほかならない。何故なら「普天間」は「無条件撤去」すべき基地なのに新たに別の場所に、より充実した基地を設置しようという彼等の明らかな便乗行為を生んだのだった。ここに繰り広げられている「ウソ」はアメリカの独壇場である「国家安全保障」絶対優先思潮が醸し出した問答無用のヤクザ的押し込みにほかならず、当然ながら彼らの言う「国内問題」という逃げ口上はなんの意味もない詭弁である。彼等自身がまさしく望んで、普天間固定化か辺野古新基地建設かどっちだと日本政府に迫ったのは明らかであり、「どっちでもありえない」というのが沖縄県民の正当な主張なのである。(中断)