日米安保条約が、第二次大戦における戦勝国たる連合国とりわけアメリカと敗戦国たる大日本帝国との、「国際規約上の占領国と被占領国」関係において、戦後処理の一貫として1952年、サンフランシスコ講和条約と同時に発効をみた、対日の暫定的非戦国家形成手段にすぎないことは、国際司法的に歴史の流れにおいては誰の目にも明らかなことだ。
国際司法とは雑に言うと世界基準ともいうべき実質であり、国際連合などというまがい物とは意味が全然異なる、「人類が普段により良い生存の在りようを模索しつつ文化的人間的合意性を希求する」結果として、絶えず検証を加えられるべき普遍的なコモンセンス、という意味で、人類が自己自身をその自主性への敵から守護すべき基準になるものだ。
浅学にして事実上の国際司法たる効果ある条文を知らないが、1960年の新安保条約締結が国民的合意に基づく真の国土防衛意思表明になっていないことは、その条文に何ら発展的独立性を加味しないで偏頗な軍事同盟的内容に変貌していることからもあきらかなことだ。つまり、当時の政権党たる保守党が強行に採決し成立させた、非民主的防共路線による憲法違反実質の、客観性普遍性を有しない外交姿勢と難ずるべき事案であろう。
この外交姿勢が今日の不健全な日米関係を派生させたことは周知の通りである。最も憂慮すべきことは、こうした外交が主に「西側」乃至アメリカの国家方針を我田引水して、これに追随もしくは無作為な同調によって、極東という位置に対ソ対中の塹壕を構築したということだ。
そして冷戦終結、東側陣営の消滅とともに無意味な戦線と化したはずの日米同盟が、対中、対北朝鮮、乃至対国際テロへシフトしていく、20世紀末から21世紀初頭にかけ、矛盾に満ちた再検証されるべき問題案件となったことは、今やどんな保守的な手合いにもうすうす感づかれている。
とりわけそれがこの国の南西部の海中に、弧を描く島々の一角に集中的に体現されている奇観は、所謂構造的差別の実証例として(実効性において全く役に立たない)国連人種差別撤廃委員会で取り上げられるまでになった。
勿論この構造的差別の元凶でもあり、沖縄県民が現実的国家的人種差別被害状況に置かれている、確定的継続的証拠でもある日米安保体制そのものを追究しなければなんの意味もないし、言い抜ける国家エゴのゴリ押しに正当でない論理的保証を主観的に定置させる限りは、永久に解消されない人民的不利状況が放置されるばかりだ。
問題は彼らの言い訳が、正当な普遍的根拠を有さないにもかかわらず、恰もひとつの有効な意見として無条件に荷重なしに人民に対置させる弾圧的不公平そのものだ。我々は例えば今回のオスプレイによる日本列島軍事要塞化方針、つまりは国土が、米海兵隊の常時戦時体制のための訓練基地化される事態に直面させられて、漸く国民的議題としての安全保障意義を問われる状況に立ち至った。
しかしながら堕落した文民的本質に覆われたこの国の主導的理念は、どういうわけか本来執るべき理念的独立性による本質的懐疑に立ち戻ることなく、既成の体制を無批判に受容し小手先の取り繕いに血道を上げる醜態に終始しているってわけだ。(中断)