沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩352 日本という国 16の5

2012年04月27日 10時16分58秒 | 政治論
 沖縄県民に対する、この国が冒している犯罪の数々は、ここにいくらでも並べることができる。いくらでも、ということは本質的に差別的に対している限りは一切がこれに該当すると言うことであって、該当しない場合でも、こうしたこの国の本質が、陰に陽に見え隠れしていることには変わりがないと言うことである。犯罪、と言う場合、単に国法に触れるという意味もあるが、沖縄においては、戦後連合国が戦争犯罪のひとつに措定した「人道に対する罪」の平時版という当てはめ方で考えられる国際司法上の事案になる。「国家もしくは集団による、一般国民に対する、謀殺絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為」と規定されたこの犯罪を沖縄に関して立証することは恐ろしく容易であろう。しかしながら国連同様国際司法の効力はなきにひとしい。ここでこの司法機関並みに日本という国を断罪するなら、きわめて理念的にしか対応できないと言う現実をまず直視することだ。国際刑事裁判所ローマ規定「政治的、人種的、国民的、民族的、文化的または宗教的理由ないし性的な理由その他の国際法違背と普遍的に認められる理由に基づく特定の集団または共同体に対する迫害」という文章には、沖縄に対する日本国政府並び一般的日本人が常態的に継続している行為と状況において明瞭に合致する内容を網羅しているではないか。世界一危険な軍事基地と、誰もが認めた(と、とるしかない)普天間飛行場に関し、いかなる理由があるにしろ現状改善のなんらの方策も実践しない政府は明らかにこの過ちを犯している。オスプレイ配備に関してはまさしく文字通りの犯罪的内実を醸している(アメリカの犯罪性はもちろん日本政府の黙認は許しがたい卑劣な行為だ)。岩国が拒否した海兵隊受け入れ未遂事件は、この国が沖縄に対して普段に有している差別的心情雰囲気に基づく、なんらの考慮もない即決性にみられる、許しがたい、極度に明白な差別政策傾向を如実に示した例である。これもまた誰が見ても明らかな事実である。全国知事会での千葉県知事の発言にはこうしたこの国の沖縄に対する偏見に満ちた実質的差別精神が代表的に語られた。曰く「我々の土地に火の粉を飛び火させるつもりか」この男の教養がどの程度か知らぬがおおかたその辺のヘッポコ雑誌から仕入れたろくでもない知識で埋まっていることだろう。要はこの程度の連中に権力を握らせているこの国の低劣な精神そのものに犯罪的堕落があるということになる。ところでこうした無自覚な、他者に対する犯罪傾向というものは、一体如何なる仕儀になっているのか、我々もよくよく反省しなければならないところがある。つまりは所謂「常民」と称すべき一般人民が、何事かにおいて巨大な「悪」を実践してしまうという、そのことにこんにちいわれる沖縄問題の本質があるからだ。常民の総体が国家であり、国家の決定は人民の総意とみなされる。しかるに沖縄県は、この常民の域に加入してない。常民にあらざる人民にほかならない。ここにこの国がローマ規定そのままに「特定の集団または共同体に対する迫害」を加えていると言う立件が可能になる根拠がある。数字的には74%という偏りに証拠がある。16年間放置された「普天間無条件返還」という「ふたんけいげん」偽善行為にもあきれた政治的怠慢による迫害事実がある。(中断)