沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩282

2011年01月06日 10時57分26秒 | 政治論
 いずれにしろ反対住民というのは危険地帯から遠ざかれば遠ざかるほど減数するのは人情で現に名護市合併がなかったならいわゆる地域住民の民意は決して多数決原理によって希釈されることもなかったわけだ。事ほどさように普天間危険性除去も県内移設の愚策さえなかったなら容易に可能だった話で、最後は議会制民主主義の最大の矛盾に突き当たる。久志住民に始まる局地的闘争が名護市沖縄県と温度差を内蔵したまま拡大希釈され、本土の活動家を巻き込むに至ってはこの国の安全保障全般にわたる再検証さえ求められることになる。しかしながらこれはこの国のあらゆる政治的愚行を意味するのであり、決して沖縄周辺住民の過誤ではないし、かかる政治的アマチュアになんらかの政治的判断を押し付けたこの国の為政者の情けなさを表しているに過ぎない。当然ながら事ここに及んでは普天間辺野古問題は日本全国的問題に変えていく必要があり県民は彼らに下駄を預けてしまってよい。但しこの国がアメリカの言いなりにしかならない現状を正確に認識し彼らを批判しつつ彼らの強硬路線を警戒し、実力行使に対し実力抵抗するしか己が生活を守る手立てはない。ここで流される血はこの国の悪政を物語り憎むべき国情を表しており、同時にこの国の国民の戦後65年で培われた無知蒙昧が明かされる。また国連という機関は少しも国同士が連合していない機能不全のまやかしの連携主体であり、アメリカがこれを無視して単独行動する横暴がまかり通っている限り、国際的にはなんらの補助もないと覚悟するしかない。今や孤立無援の沖縄県民闘争と化した現段階では施政権返還時に舞い戻り、あの条件付密約付返還の屈辱を反芻し、決してこの国に騙されないことを心に刻み、純粋に戦争準備発進新基地を自分の住む豊饒の海近くには許さないと誓うことだ。