沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩279 本土?の日本人よ

2011年01月02日 12時42分51秒 | 政治論
 彼ら(日本政府)が画策する普天間固定化(結果的実現)は負担軽減振興策の名の下に繰り出す本来容易な施策をさも「アメ」のように多用することで目くらます効果を狙い、ある日、出し抜けに辺野古を凌駕する米兵自衛隊ブル銃口が、反対派の目前に向けられるという事態へ移行するに違いない。戦後米軍の強制収用のやり口は、まさに不意をついて住民に襲い掛かった歴史である。今度は米軍ならぬ自衛隊がそれをするわけだ。一方こんなことは全く知らない本土の日本人がいる。彼らの未必の故意「黙認」という名の加担をこの国全体の罪として捉えたとき沖縄は確信する。彼ら為政者の野蛮な図々しさは敗戦で絶滅すべきだった旧日本軍的植民地陵辱蛮行精神なる奇怪な性向を物語り、皇民化教育と軍国主義乃至軍拡主義、あるいは奇妙な優越感の支配する対アジア沖縄観に基づく不埒な前近代的エリート根性が相変わらず根強くこの国にあることを物語る。敗戦はこの国にとって一体なんであったのか。日中戦の泥沼化とABCD包囲網が帝国を追い詰めたとき何故この国は軍部を抑制して非戦施策に転じなかったのか。ここにも文官による未必の故意「黙認」がある。軍部を抑えなかった文官広田弘毅がただ一人殺された極東裁判はこうした重大責任者を選抜する意味について日本国民に十分な説明をすべきだった。人が拠って立つその国土は君たちの私有地ではない。君たちは元々国から土地を借り税金を払ってそこに住している。しかし基本的人権を憲法で保証された君らは強制的にはそこを立ち退く必要がない。だから居住権財産権生活権に基づき辺野古は新基地建設に抵抗している。一方こうした住民の対極に対岸の火事状態の一般国民がいる。しかも決して対岸にはなく君らがまさに無作為に住しているその国土を守護する名目で存在するらしい日米安保こそ、辺野古の問題の核心であり、君らにとってある意味重大な本質的課題を示しているのだよ。だから辺野古の問題は決して対岸の火事ではなく隣家のもらい火に匹敵する。そのように思ってもさほど遠くない認識だといえる。君らの今している沖縄軽視無視は、君らの子供がしている「シカト」と変わりはない。いずれ自分に降りかかる火の粉を今避けえていると思っているかも知れないが、この国が誤った道を踏むときそれは徐々に君たちに襲い掛かる脅威となって現実化するのだ。