沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩 30

2007年09月02日 01時32分53秒 | 手記
 彼の父は彼の通う小学校の校長だった、彼の家は、小学校の校門の中にあったので雨が降ろうが雪が降ろうが傘を必要としなかった、小走りに10歩ほど行けば校舎に入っていたのだ、彼は父が校長であるために得した記憶を持たない、むしろそのために負う何がしかの心理的負担を他の子供らの些細な言動に見つけていた、しかし彼の性格は彼らに対し差別的な気持ちを持つほど専制的でもなくましてそのために世俗的優越感をもつこともない、どちらかと言えばできの悪い子にさえ好かれるタイプの少年だった、当時はまた用務員の居室とされた一隅に校長の浴室が置かれ、この風呂焚きを用務員がこなしていたのだが、焚きあがるとその子供が「お風呂沸きました」と教えに来る慣わしだった、子供だった彼は勿論そこになんらの疑問ももたなかったし、反対の立場の子供はどうだったかとはまさか考えもしなかった、だがあるとき彼の同学年となる子供のいる用務員が新任したころ、この慣わしは持続されたのだが、図らずも会合の場で鉢合わせたとき、目と目があった瞬間「いけ好かない」と小声でささやかれた、