不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

日本人>中国とのつきあい(日-5)

2013年03月20日 | 雑談など
  中国とのおつきあいで問題になるのは、中国国内問題とアジアの覇権の二つ。

 中国国内問題がただならない明白である。
特に1989年天安門の後は、江沢民が反日教育に力を入れ始めた。そこで、南京大は中国にとって上等のネタだ。これはアメリカのお墨付きもある。東京裁判で連合国側(アメリカ)が日本の戦争責任の有力証拠の一つにしている。アメリカは原爆投下や空襲で数十万の非戦闘員を殺戮(戦時国際法重大違反)しているので、連合国側への批判をかわすための非常に良いネタとしている。南京では、実際に日本軍が戦時国際法違反になるほど行為を行ったかどうか確認できていない、米国人ベイツ教授やフィッチ牧師の伝聞をもとにした新聞記事があり、それでも二万人だったに過ぎない。両方の利害が一致して、南京大虐殺がでっちあげられている。靖国参拝、歴史教科書問題などにしても、相手にしなければよかったが、相手にしたためにつけ込まれて政治問題になっている。こうなると、やくざのけんかと同じで、参拝するとメンツをつぶされたと因縁をつけるようなもので、子供のけんかに類する話である。つまらない話でも国対国ということになると威信を賭けた啀み合いになり、収拾がつかない。それが現在の状態である。

 アジアの覇権の問題はつまらない話ではない。アジアに2つの大国はいらない、日本が邪魔で、抹殺するか、属国化するかしなければならない。中国では、日本を属国化するシナリオを作っている。日本人の感覚からすれば荒唐無稽の話であり、日本人にはこのような考えは及びもつかない。その上、日本人は周りの国々の人たちは「平和を愛する諸国民」とも教えられてきた。お隣の国がとんでもないことを考えているとは夢にも思っていなかったのであるが、中国という国はひょっとしたら、とんでもないことを考えているのではないかと気づき始めた。尖閣諸島をめぐる衝突からである。

 日本を属国化するシナリオの一つは、琉球の支配である。中国人民解放軍がお金を出して、中華民族琉球特別自治区委員会成立させ、琉球国旗も作っている。沖縄県民と見わけが付かない工作員も多々入り込み、左翼系の運動家と連携し、反米闘争などをやっているらしい。日本語のみならず沖縄人の生活習慣を熟知した琉球特別中国人部隊もすでにできて、有事の際には、中国本土からすぐに派遣できるという。中国が公表しているわけではないので、実際にどの程度のものか不明な点も多々あるが。

 中国が堂々と公表しているものに、日本を侵略する法律がある。1992年年2月制定の領海法である。尖閣諸島を「釣魚島」として自国の領土であると明文化している。俺のものだと宣言したのである。法律に従い、即時、日本から強引に取りあげなかったのは、反撃されまた取りかえされる、時期尚早と考えているからである。取り上げても反撃できないということになればすぐにでも取り上げられる。奪取すると宣言しているのであるから! さらに恐ろしい法律は、2010年7月から施行された「国防動員法」である。有事が発生すれば、国内外の中国人民は人民軍の指揮下におかれ、中国のために活動しなければならない、つまり、日本国内の中国人は日本を破壊する工作員となるのである。

 対する日本では、中国に対抗して反撃するためのこのような法律はおろか、平常時の諜報活動をすることを取り締まる国内法もないのである。すでに沖縄では研修生や留学生を装った人民解放軍の工作員が大手を振って活動している。

 さらに、日本は平和憲法を後生大事に守り、自縄自縛でろくに反撃もできないことになっている。これを改正すると戦争になると考えている者さえいる。日本が自縄自縛でも侵略されなかったのは、アメリカ軍が駐留しているためである。反米闘争でアメリカ軍を追い出せば、中国の日本支配の準備は整う。反米基地闘争に中国の工作員が入り込んで支援している噂はたびたび耳にするが、中国人民軍のシナリオからすれば必然の行動である。まず、アメリカ軍を撤退させた上に、アメリカが日本から手を引くように誘導して、仕掛ける機会をねらって着々と準備をしているのである。フィリピンのスービックからアメリカ海軍が撤退すると、フィリピン近海のスカボロー礁への侵出を始めた。

 平和憲法を守れと言う主張がある。軍隊を保持しない、武力で紛争を解決しない、という考えは理想的に見える。しかし、非現実的である。日本国内で平和憲法を守れと主張する政治家が、北朝鮮や中国を訪問したときに、相手に「軍隊を保持しない、武力で紛争を解決しない」という憲法を作るように説得したなどという話は聞いたことがない。そんな主張を相手に突きつけても笑われるだけで、武力で侵略されてきた人たちにとっては夢物語である。軍備を整える周囲の国々とっては、平和憲法で縛られている日本が一方的な侵略対象にしか見えないだろう。

 日本が中国の覇権に対抗するには、2つしかない。日本自身が強大な国になって、中国の侵略を諦めさせるか、あるいは、アメリカ、親日の東南アジアと連携して中国に対抗できるような強大な勢力になるかである。戦前は前者だったが、これからは後者しかない。

 中国は強大な軍事国家になりつつあるが、戦争には弱い。日清戦争で負け、日中戦争でも日本軍に負け続けた。しかも日本と戦争していたのは蒋介石の国民軍であり、毛沢東の共産党軍ではない。日中戦争当時、共産党軍は日本軍とほとんど戦わず、山へ逃げ込んで隠れていた。戦後の人民軍はベトナム相手の中越戦争でも苦戦した。弱いのはわかっているから、相手が弱いと判断しなければ戦争をしかけてこない。まして、日本に5万人の米軍が駐留しているのに戦争をしかけてくるわけはない。

 兵隊も士官も弱い。日中戦争では、追いつめられるとまず指揮官が逃げる。兵隊が逃げないように後ろに督戦隊がいて逃げようとする兵隊を撃ち殺す。トーチカでは、足に鉄鎖で巻いて拘束し、兵隊が逃げないようにする。このような軍隊が強いわけはない。

 中国自身もよくわかっていることであり、戦闘に強い軍隊を養成するというよりも、核兵器、ミサイル部隊に力を入れている。核兵器は全世界を敵にまわすことになるのでまず使えない。ミサイルはたくさん抱えているが必ずしも脅威ではない。多分にミサイルも不良品、欠陥品が多いのではないかとの疑いからだ。造った直後に橋が壊れるというお国柄である。ミサイルだけはすべて良品だとは信じがたい。まして、実際に使うかどうかわからないミサイルをあの中国人が注文通りに作るとは思えない。手抜きをして賄賂に変えているはずだ。人民軍のリーダー達は恰幅がよくてデブである。軍事費のかなりな部分は横流しで彼らの懐へ環流させて、裕福な生活をおくっている。中国の軍隊は脅威ではあるが割り引いて考えないといけない。

 そんな中で比較的、脅威であるのがサイバー部隊だ。弱い兵隊でもかまわない。強い軍隊のアメリカにも対抗できる。弱い軍隊が強い兵隊に対抗できるソフトの戦争である。人民軍が大いに注力している。

 弱い軍隊しかもてない中国の最大の戦略は、「戦わずして勝つ」が基本である。戦略の一環の「法律戦」が前述した「国防動員法」である。中国国内で有事が発生した際に、日本に住む中国人も対象に、動員令が発令され、人民軍の指揮下に入るのである。中国と日本の間に有事が発生した場合、67万人の在日中国人が人民軍の工作員となり、日本で破壊活動をすることになるのである。加えて、「心理戦」、「世論戦」を合わせた「中国共産党の戦わずして勝つ戦略の三つの戦い」である。これに対して日本では、有事の際に、在中日本人14万人をどのように救出するのか、人質となるのではないかと心配している。戦わずしてすでに負けていることになるのかもしれない。

 さらに、平常時から、中国人を送り込んで相手を懐柔する工作である。贈賄、接待、招待、ハニーとラップ、宣伝なんでもありである。情報工作費が、数千億円単位の規模とか。日本では、官房機密費が14億円? つい最近、村山富市、加藤紘一、鳩山由紀夫などが相ついで中国を訪問した(招待された)。手なずけられて、呼ばれるとホイホイ出かけて、向こうの宣伝活動に一役買っている。平時も、戦時も情報工作などのソフトの戦争では負け続けということになるかもしれない。

 表の戦争に弱い中国は、裏の戦争あるいはソフトの戦争に特化しているのではないか。日本は、中国からの人、もの、金、情報の流れをコントロールする、法律、しくみを作って対抗しなければならないだろう。とはいっても当方は中国の脅威はかならずしも切迫しているとは思えない。

 中国は、近いうちにアメリカを抜いて世界第一の経済大国になると言われている。少し前にはソ連と同じように崩壊するといわれていたにもかかわらずである。しかし、中国型共産主義市場経済がこのまま発展を続けるのは疑問がある。
ともに働いて冨を生み出し、平等に冨をわかちあうのが共産主義である。冨を独り占めする者があればこれを革命で倒して平等を勝ち取るのが共産主義である。
→ 現在の中国は、市場経済を取り入れて経済発展して一部の人たちが莫大な冨を持っている。人民の革命でこの連中を倒し、冨の平等を勝ち取らなければならない。
 ということになる。プロレタリアートよ立ち上がれ、ブルジュアを倒せである。

 ところが、人民の革命の旗振りの中国共産党が、倒される立場のブルジュアになっている。共産主義はお題目だけで毛沢東の時代に終わって、すでに資本主義の市場経済社会になり、中国共産党はすでに中国独占資本党になっているのである。冨を抱え、いかに延命して保身するか、それが現在の中国共産党の姿に見える。

 資本主義市場経済は、平等という価値観よりも、自由という価値観が優先して動く世界だ。自由という価値観を標榜して、人々が自由に考えれば、中国共産党の一党支配は矛盾である。一党独裁の中国共産党は、自由を弾圧せざるを得ず、この矛盾がいずれ破綻に到達する。いずれ混乱が起きて、経済大国が一気に萎むときがくるのではないか。

 すでに、共産党員自身も中国共産党政府を信用していない。1万8千人の裸官(汚職官僚)が海外逃亡し10兆円を持ち出している。ほとんどの高級官僚は係累を海外に送りこみ、いざというときに備えている。国民は国(共産党)を信用していない。また、大躍進政策、文化大革命では数千万人の人たちが命を失っていることなどを国民は薄々にも知っているだろうから、人民は中国共産党をあまり信用していないだろう。

 破綻しないように自由を認め、中国共産党の一党独裁を止め、共産主義という呪縛が消滅すれば、砂漠の砂が風によって拡散していくようにバラバラに溶解して、中国は昔ながらの緩い関係の連合体のようになるのではないか。チベット、ウィグル(東トルキスタン)、内モンゴル、満州国、漢民族主体に分裂していくことになるのだろうか。

 このようになれば、隣国の日本としても、中国は脅威ではなくなる。だから、弱体化するまで、ソフトの戦争を持ちこたえなければならない。(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人>朝鮮とのつきあい(日-4)

2013年03月19日 | 雑談など
 一番、馬鹿馬鹿しいのが「慰安婦問題」である。
 娘を30円、40円で身売りをしていた、それも合法の時代の貧困問題が、現在の人権問題で弾劾しようというのだから、あほらしくて椅子から転げ落ちそうになる。韓国で2人目に名乗り出た老婦人は、3年間弱で2万6千円も稼いだそうである。当時、5千円あれば東京に家1軒建った時代という。ばりばりのビジネスウーマンだった。それがなぜか、最近では「セックススレイブ(性奴隷)だった」ということになっているらしい。当時の人気であこがれのセックスワーカー(風俗嬢あるいは売春婦あるいは慰安婦)だったのではないか。
 
 強制しなくても応募者は大勢いただろう。強制されたとすれば、大多数は親に売られた前借金のためである。嫌な思いをしたというのであれば、文句をいうのは親かあるいは置屋のおやじに言うべき筋合いのものであり、何で日本政府に文句をいうのか。原因は日本軍あるいは日本政府としても、責任は親か置屋のおやじである。文句は責任者に言わなければならない。

 慰安婦問題は現代社会では女性の人権に関わる敏感な問題であるが、冷静に考えればこれほど馬鹿馬鹿しい問題はない。秦郁彦によれば、「第二次世界大戦当時の戦地での性政策には大別して自由恋愛型(私娼中心。イギリス軍、米軍)、慰安所型(日本、ドイツ、フランス)、レイプ型(ソ連、朝鮮[29])の3つの類型があった」であり、日本軍は規律を守り、強姦を防止し、性病の蔓延を防ぐために慰安所を設けたので、非難されるどころか、評価されるべきものだった。非難している韓国はレイプ型であり、ベトナム参戦の時は、ライダイハン(韓国兵と強姦されたベトナム女性との子供、1万人規模とも?)問題を起こしている。

 日本軍は、日本国内はじめ、台湾、ベトナム、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ビルマなどのアジア一帯に進駐したが、韓国のような慰安婦問題などは起きていない。起きないのは当たり前であり、もし悲惨な事例が有ったとしてもそれは悪どい置屋の問題であり、日本軍の問題ではない。

 慰安婦問題もどちらかといえば、朝鮮国内問題である。もともと歴史がある。李王朝の時代は、毎年、数百人から3千人の美女を清王朝へ朝貢しなければならなかった。売春婦大国の素地があったといって過言でない。今でも20万人を超える女性が風俗嬢であり、10万人程度が海外で働き、そのうち半分は日本で活躍しているという。たまたま、一時的に日本軍の兵隊がお客さんだったというだけのことである。フィリピンルバング島から帰還した小野田 寛郎少尉によれば、当時兵隊の給料が7円50銭、お金が貯まると朝鮮銀行へ預金に行ってくるといって慰安所へ行った、1.5円だった。ちなみに、置屋と本人は半々だったらしい。

 朝鮮の団体、その団体と意を通じた変な日本人の団体が、国連やアメリカ議会など働きかけて、訴訟をおこしたり、非難決議をさせたり、アメリカで銅像や碑を作っているらしい。「20万人の朝鮮女性を性奴隷にした」と。日本の留学生が、韓国の留学生に責められて困っているらしい。少し、調べれば簡単にわかるので、勉強して反論してほしいというところである。日本人は相手をおもんばかって反論しないので、誤解される。是非、頑張って反論してほしいところである。

 竹島問題も出鱈目だ。独島なんて記載した古地図はいっさいない。100年ほど前にかってに竹島を独島だと言い始めただけだ。戦後のどさくさにまぎれて李承晩ラインを引いて強引に竹島を占領してしまった。日本海の中にあるのはまずいということで東海ということにして、韓国国内の図書館のすべての古地図に「東海」のシールを貼って直して歩いているという。世界の地図も東海と呼ばせようと運動もしている。馬鹿げた話だ。東海と呼びたければ国内でそう呼べばいい。日本海と呼ばれているのは世界の人が日本の近くにある海だから、日本海と呼んでいるだけである。世界の人が東海と呼ぶわけはない。朝鮮海とでも読んでもらいたければ、頑張って朝鮮が日本よりも存在感の大きな国になればいいのである。

 歴史教科書問題にしても、朝鮮に都合のよい歴史を創作しているので、日本の歴史観とは違うのは当然である。向こうは向こうでかってに好きなように創作すればいいのである。相手にしないことである。これは、すべてのことについて同じだ。

 ある韓国を熟知した日本人教授が、「助けない、教えない、関わらない」の三原則で朝鮮とつきあうことが肝要であると述べた。「助けて、教え」たために、サムスンやLGが日本の市場を奪い、ソニー、パナソニック、シャープが大被害を蒙った。他人が作り出した市場を後発で日本の技術を模倣して、しかも、国をあげて支援する巨大投資で競争に勝ってきた。韓国には絶対に「教え、助け」てはならない。この三原則を忘れると、ひどい目にある。

 韓国は、隣の住人だから、つきあわないわけにはいかなないが、必要最小限のつきあいでいいのである。ところで、日本国内の在日朝鮮人とはそういうわけにはいかない。
日本の裏社会のやくざの6割ほどは朝鮮人である(3割は民、1割は民でない日本人という目安らしい。)。パチンコ、金貸し業の世界はほとんど朝鮮人である。加えて、宗教界(創価学会、統一協会など)もそうである。国民の知らない間に在日特権が拡大し、税の優遇措置などでどんどん拡大したらしい。この業界の豊富な資金力で、政界、財界、メディアなどに大きな影響を持ち、一時は北朝鮮の大きな資金源だったようだ。また、在日朝鮮人は、優先的に公営住宅に入り、生活保護世帯も日本人の約5倍、無職の人も圧倒的に多い(どうして生活している?、働かなくても生活できるのである。)。在日の人たちが日本人にならずに在日朝鮮人として日本に住むのは大いに理由があるのである。

 また、他の理由もある。本国へ帰りたくない事情があるのである。戦後、日本国内の朝鮮人はほとんど本国へ帰った。終戦時、210万ほど日本国内にいた朝鮮人がのうち、約60万人ほどの人たちが日本に残った。残った人たちのほとんどは全羅道、済州島(韓国内では地域差別を受けている)の人たちである。朝鮮は、大差別社会でいろいろな差別があり、地域差別もひどい。ソウルから離れるほど差別される。全羅道の人たちは帰国して差別を受けたくなかったので日本に残ったのである。残った人たちは、本国の人たちからパンチョッパリと侮蔑されている(半分は日本人という侮蔑用語、チョッパリは日本人のこと)。強制的に連れて来られたというが、強制的に日本という天国に連れてこられたのであり、日本人は感謝されても非難される理由はまったくないのである。

 だから、この人たちは、日本に残り、日本人にならざるをえないのだが、在日特権があるのでならないのである。通名(日本名)と本名(朝鮮名)と二つ持てることも特権の一つである。通名をいくつも作って悪さをする者もいるらしい。犯罪が発覚すると通名を言い、本名を隠すのである。大手のマスコミでも、通名しか公表しないところもある。朝日新聞?。

 在日特権は犯罪の温床にもなっているともいえるのである。いずれにしても、在日特権を廃止して、在日朝鮮人は、帰国あるいは日本に帰化するべきで、それも半強制的にしてもらわないといけない。向こうから因縁をつけられるたびに、日本国内でガタガタといざこざを煽られないためである。国家100年の計に立ってそうするべきである。日本が圧倒的に強大であった時代は、日本は朝鮮人のあこがれの国であり、併合されて大いに喜んだのである。朴 正煕(パク・チョンヒ)は日本軍人として陸軍士官学校を首席で卒業し、満州で日本国軍人として働き、戦後は、韓国復興の立役者となった。現朴大統領の父である。だから、日本は強い大きい国になれば、朝鮮はなびく。強く大きくなりたくなければ、朝鮮とはおつきあいしないということである。いずれにしても、内なる在日朝鮮人の去就をはっきりしてもらわないと戦後の日本は終わっていないことにもなり、これからの日本の杞憂が残ったままになるのである。

 そして、北と南に分裂したままの朝鮮半島の杞憂も残ったままである。ドイツもベトナムも自力で統一したが、朝鮮はいまだに分裂したままで、これからも自力で解決しそうにない。その上に、北も南も内部対立がひどいようだ。ときどき、分裂したのは「日本が悪いからだ」というわけのわからない寝言をいう朝鮮人がいるが、他人のセイにしているようでは永久に統一できそうもない。統一しなくても、日本にとっては痛くも痒くもないのだが、下手に統一の動きから混乱が生じて難民が10万人単位で日本へ押し寄せれば大変である。受け入れないわけにはいかない。55万人の在日朝鮮人でも重荷であるのにこれ以上の重荷を背負わされてはたまらない。

 追記
 朝鮮人は、額に汗して働くのは下人と考える。このような考えの人たちを10万人単位で受け入れれば、どのようになるのか、こちらが住みにくくなる。来て欲しくない(-_-;)。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人>朝鮮と中国のつきあいはほどほどにしなければならない(日-3)

2013年03月18日 | 雑談など
 戦後、日本はアジアでいち早く、経済発展をした。中国は戦後賠償を放棄したが、ODAを始めさまざまな支援をした。韓国にも戦争を戦ったわけでもないのに、賠償にかわる莫大な支援をした。漢江の奇跡といわれるほどの発展をとげた。両国が大いに発展した結果、どうなったか。

 感謝されるどころか、靖国参拝、歴史教科書問題、慰安婦問題などをあげて反日意識が高まり、歴史を直視して謝罪せよ、心からの謝罪がない、賠償せよ、あげくのはては、天皇が来て謝れである。

 当方は、団塊の世代、中国への侵略、朝鮮の植民地支配で多大な迷惑をかけたと教えられてきた。あまり、疑ったことはない。政府も何度か謝罪をしてきた。少し、調べてみた。驚いた。

 南京大虐殺、靖国参拝、歴史教科書、慰安婦問題などあまり大した問題ではない。というか、なんでこんなことが問題になるのかということである。南京大虐殺にしても、国際法で違反したことがないとはいえないだろうが、この程度のことは中国全土で発生していたことであり、南京という、いささか規模の大きいところで発生した戦闘で被害が少し拡大したという程度だ。毛沢東も南京大虐殺の南も非難していない。社会党の田辺誠がお金を出して記念館を作らせ、朝日新聞の本多勝一が火をつけて、日本の左翼が自民党政権を揺さぶるネタにつかったのを中国が横取りしたものだ。靖国参拝も歴史教科書も慰安婦問題も朝日新聞などが火をつけ、あおり、自民党政権を非難するために、このネタを中国や朝鮮に持ち込んだものである。中国大使館にご注進して外圧を利用して政権を攻撃する手口である。

 いずれのネタも非難されるほどのことではなく、すべては、日本の朝日新聞などが火をつけるまで、まったく煙がたっていなかった。この放火が、戦後何十年も経ってから突然に大火になってきた。中国や韓国が非難を始めた。「やくざの因縁」と同じで、無視して反応しなければ、相手は諦める。ところが、反応したのである。

 反応して返答すると、そこから因縁は始まる。「お前がひどい目にあわせた。非人間的なあつかいを受けた。謝罪して賠償しろ。なんだかんだ、、、、」である。理由はどんなことでもいい、相手が反応するものであればいい、反応すれば、お前がやって悪いと思っているからだ。(やっぱり、想像通り←ここがポイント、事実ではなく、こうであったはずという想像から始まっているのでここで反応するとそれが証拠となり、事実だったということになる。)、お前が悪い、となる。

 何でこんな言いがかりをつけてくるのだろうか。それも国のトップから全員、口裏をあわせたように言ってくるのは、この理由はなんだろうか。前項で分析したように、国のなりたちから出来上がった国民性である。弱みをみせると、徹底して叩いてくるのである。

 対策はただ一つ、弱みを見せないこと、つくらないことであるが、そもそもこんな作り上げたフィクションはどれだけ繰り返してもいずれ徐々に明らかになってくる。うそも1万回言えば本当になるというが、それには条件がある。誰かが本当のことを言えばそれをつぶす嘘を繰りかえさなければならない、体力のいるメンテナンスが必要だ、相手を圧倒する大国でなければ対抗できない。いずれ、国の信頼、威信まで失うことになる。だが、なぜそこまで追及して相手を追い込むのだろうか。そこまでしなければならない理由があるはずだ。

 中国は、国内問題とアジアの覇権の二つ。国内に2億人を超える不満を持った都市流民、あるいはまた、不遇をかこっている退役軍人が1億人いるという、ちょっとしたきっかけで1万人規模の暴動が中国全土を起きているという。また、チベット、ウィグル、内モンゴルの住民弾圧、民主化運動の弾圧、法輪功(ファールンゴン)などの宗教弾圧、治安維持費は軍事費を超えている。共産党への批判を封じるための切り札が反日である。それから、アジアの覇権である。アジアに2つの大国はいらない、日本が邪魔である。中国人は潜在的にいつか日本人に痛い目をあわせてやりたいと思っているらしい。

 反日は向こうの国内問題だから無視して、相手にしないことだ。中国へ進出する人たちはそのつもりの覚悟で準備をおこたらないようにすることだ。覇権については、隙を見せると侵略の誘惑を誘うことになるので、対抗できる軍事力を備え、法律を整備し、宣伝戦、情報戦にも怠らず、アメリカとの同盟強化を図ればいい。

 朝鮮の方は少し、やっかいだ。国家のアイデンティティの確立のため、日帝36年間の植民地支配、日本が悪いということにしておかないと国家が成り立たない、深刻な問題だ。これも国内問題だから、国内で勝手にやってもらえばいいが、どうしても解決しなければならない問題がある。在日朝鮮人の問題である。2011年現在、55万人である。

 在日朝鮮人は、否応なしに関わらなければならないから、本国へ帰還してもらうか、帰還しないのであれば日本人になってもらうようにしなければならない。在日朝鮮人は原則として、一時的な滞在者に限定するべきである。現在のように、在日朝鮮人として、永久に日本に住み続ける、外国人参政権を付与せよ、などという朝鮮人は消滅してもらわないといけない。国同士が対立して争いになったときに、本国の朝鮮側について日本国を混乱させる工作員になってもらっては困るのである。因縁を無視して関わらないようにするために、日本国内で騒がれると鬱陶しい。(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人>支那人と朝鮮人は日本人と違う(日ー2)

2013年03月17日 | 雑談など
 何という非礼な人たちか、頭がおかしいと考えたくなるが、これも大変な誤解だろう。全く別の人たちがお互いに自分の評価基準で考えているので、お互いに相手がおかしいと感ずることは当然なのである。国民性というものは、歴史的、地政学的などの外的な要因などで長年月かけて醸成されるものであり、違って当たり前である。

 中国(支那はChinaと同じ語源である‘秦’からきているが中国人は良い字でないと嫌う。)と日本の違いを断片的に比較してみただけでも想像がつく。中国というのは多民族国家で、隣の集落でも言葉が通じないことも多々あるという。夜になると襲われないように農民も城壁で囲まれたところへ帰って休息したという。相手と意志が通じず、何を考えているかわからないので信用することができない、信用できるのは、城壁内の家族、親類、仲間だけだ。頭にあるのは、自分が生きるだけで、他人のことは考えない、他人は利用できるだけの存在ということになって何の不思議はない。国あるいは政府などはなから信用していない?。他人を踏み台にして生きる力はすごい。世界中のどこにも華僑がいることがその証明だ。

 朝鮮も同様だ。地続きの朝鮮半島には力の持った外敵がたびたび侵入した。反抗する力が乏しいので、生き残るために強大な敵にこびへつらった。長い歴史は、大陸に出来る王朝の属国として服従と屈辱の連続だった。これが国民性に大きなトラウマをもたらしたという。強い者には徹底してこびへつらい、弱い者は徹底して叩く、「池に落ちた犬は棒で叩け」である。こうして、朝鮮人の「大きに(大)つかえる(事)」という事大主義の国民性がつちかわれた。弱みをみせると徹底してつけこんでくるのである。こうして生きなければならなかった悲惨な歴史の積み重ねがある。つい最近まで続いた厳しい身分制度もこうした人々の精神が破綻しないように下へ下へとストレスを発散させるしくみとして有効に機能したと分析できる。一番上の両班(ヤンバン)がを気に入らないと打擲して片端にしたなどということもあったとか。一番下の身分は、つまり奴隷である。ストレスはこの奴隷で行き止まりである。奴隷がストレスを感じれば、抹殺されるのである。

 100年ほど前まで奴隷制度があったとは、日本人としては信じがたい。人を商品として売り買いしていたのである。当時の日本円にして30円、40円ほどとか。現在の価格で30万円程か。娘も同じような値段で親に売られたのである。貧しい一家を支えるためにである。このような悲惨な過去を正視することはできないだろう。このようなストレスは、はけ口があれば一気に吹き出すのである。

 こうあって欲しい、こうあるべきだが歴史になる。これに合った事実を拾ってくる。ないのは誰かが消した、奪った。それは誰だ、日本だということになる。日本人としては、隣人のよしみで支援をするが、奪った者が返すのは当然だ、足りない、遅い、誠意がない、言われ放題になる。

 1910年に日韓併合して、アジアの一等国民になった時代は朝鮮人にとって最も幸せな時代であったろう。過去の歴史をあまり、直視する必要はなく、日本の歴史をみればよかったからである。ところが、戦後、連合軍(アメリカ)に戦勝国扱いをしてもらい、独立してみたもののはたと困った。

 属国である間は気にする必要はなかったが、独立した国家として国づくりをしようとしたときに、歴史からその正統性を確立することができなかった。100年ほど前まで存在した李王朝も清の属国で悲惨で貧しい姿があった。イザベラ・バードの『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』に詳しい。朝鮮人とは何か、そのアイデンティテイを獲得するために、仕方がないので創作することにした。ウリナラファンタジーとかいわれているものである。世界一優秀な民族で世界の文化は朝鮮から始まった。現在、落ちぶれているのは誰かが邪魔をした、奪ったからだ、それは日本だというものである。
 
 日本人から見ると、ほとんど気が狂ったようにしか見えない。ところが、当の朝鮮の人たちは大まじめなのである。大統領以下大勢の政治家が大きな日本国旗を敷いた上を土足で歩いている写真を見たことはないだろうか。ほとんど狂人集団にしか見えない。向こうからすると大いに真面目なのである。朝鮮をひどい目にあわせて朝鮮の発展を邪魔してきたのは日本だと考えているからである。こちらの問題ではない、朝鮮自身の長い長い悲惨な歴史の上に作られた国民性の問題なのである。

 相手を理解してほどほどのおつきあいはいいが、それ以上のおつきあいはしない方がいい。(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人>福沢諭吉は「支那と朝鮮は関わるな」という警告を残した(日-1)

2013年03月16日 | 雑談など
 最近、若い人たちも国の安全保障や日本の歴史などのことについて関心を持つようになったようだ。戦後日本の教育で、軽視あるいは放置してきた問題である。国をどう守るかなどと話題にするなら、すぐに軍国主義の復活などと結びつけかねない気分があった。国という存在自体がうさんくさいという意識すらあったような気がする。

 ところが、最近、竹島や尖閣諸島の領土問題などで国同士のトラブルが発生してみると、相手には国という強固な意志を持った存在があり、このような存在に対してこちらはどう対応するべきなのか、つまり国の安全保障はどうするのかなどと考えざるを得なくなった。

 領土を強引に奪われても手出しができない?、憲法で「武力の行使は、国際紛争を解決する手段として永久に放棄する」ので取り戻せない?、憲法を改正した方がいいのではないか?ということで、憲法改正についても抵抗無く議論ができるようになったようだ。つい少し前までは、改憲などは当分とても無理だろうという考えが大勢だったように思う。

 改憲を党是としていた自民党もつい最近まで弱腰で、改憲派の安倍晋三は一時、首相になったもののその後は泡沫に近い存在だった。ところが、李 明博や習近平のおかげもあって再び首相になると急に存在感がでてきてオーラがでてきた? 国家観が乏しく国益もぞんざいにした民主党政権の後でますますその差が明瞭で、安倍内閣の支持率は60%を超えている。

 中国の領海侵犯などが繰り返される事態となり、外敵の侵略が非現実的なことではなくなった。(憲法前文)「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」て作られた日本国憲法の前提が崩れつつある。平和主義を標榜して、友好関係を維持するために、問題が起こるたびに相手を刺激しないように怒らせないように譲歩を積み重ねてきた。譲歩することでされにつけ込まれ、相手を居丈高にさせた上に、日本全体を腐らせてきたのではないだろうか。

 福沢諭吉は「支那と朝鮮は関わるな」という警告を残した。日本人の国民性とは全く違う、別の人たちであり、日本人の謙譲の精神などは全く通じないのである。譲歩すれば、相手は譲歩しなければならない理由があるのだろうと考えて押し出してくるだけなのである。援助すれば援助しなければならない負い目があるからだと考えて感謝はしてくれない。関われば関わるほど馬鹿を見るのである。(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする