犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

辰巳ダム裁判>控訴審判決の感想

2015年11月12日 | 辰巳ダム裁判
 裁判所は、「控訴を棄却する」と判示し、控訴した原告は、「不当判決だ」と反発し、控訴された国は、「主張を認めていただいた。今後も適正な業務に努める。」と引き取る。ほとんど99%筋書き通りである。

 司法の場では、法律論上の観点から、行政の裁量の逸脱・濫用を裁判官に認めさせるのは超一流の学者/技術者でも困難だろうから、気持ちだけは自称一流で技術は二流の当方には荷が重い。しかし、法律論上で全力を尽くしてくださった弁護団の先生方には感謝であるが、当方としては負けてがっくりというわけもない。

 この辰巳ダム裁判を通じて再確認したのは、辰巳ダムはダム問題の総合デパートであることに加えて、国の治水行政の縮図であるということである。
 
 基本高水の決め方を通じて、犀川の治水を見る。
 犀川には、3つの治水ダムがある。一つ目は、昭和40年度完成の犀川ダムである。既往最大洪水を基本高水として計画された。二つ目は、昭和49年度完成の内川ダムである。超過確率概念を入れて100年確率値を基本高水として計画された。三つ目が、平成23年度完成の辰巳ダムである。これも内川ダムと同様に100年確率値を基本高水として計画された。

 これらの計画の相違は、一つ目のダムは、過去の一つの降雨観測記録あるいは流量観測記録だけを根拠としていること、二つ目のダムは、過去の連続した降雨観測記録を根拠としていること、三つ目のダムは、過去の連続した降雨観測記録ならびに流量観測記録を根拠にしていることである。
 超過確率概念導入による基本高水の決め方は、当初、科学的、合理的な目標設定のための手法であったようだが、治水関係者の恣意的な運用でねじ曲げられてしまった。これが、辰巳ダム裁判でのやりとりを通じて準備書面を詳細に読めば、浮き彫りにされると思う。

 現時点で明らかにできることとはつぎのとおりである。
 「新基準」では、過去の連続した降雨観測記録を解析して求めたピーク流量を流量確率評価などで「検証」することを求めている。辰巳ダム裁判では、検証したかどうかが大きい争点であったが、蓄積された観測記録が十分でない、ある程度の正確さで推定できないので、流量確率評価の検証はしなくてもよいと判示された。毎年の最大値が30~40年分の蓄積が必要だが、辰巳ダム計画時点では、20数年分しかなかったというものである。ちなみに、内川ダム計画時点では、流量観測記録は無い。
 
 流量観測記録は年々、蓄積されていく。裁判が長期化すればするほど蓄積する。辰巳ダムが供用開始する前年の平成23年には、年最大流量の観測記録が34年分蓄積した(辰巳ダム運用後は犀川大橋地点のダム調節無し流量の計算がより複雑になるので入れていない。平成27年までに統計を左右するほどの大きな雨はない。)。このデータで流量確率評価をした証拠を裁判所へ提出し、国が主張している基本高水ピーク流量1750m3/秒は、100年確率値ではなくて、2000年確率値であることを示した。これに対して、国は、独自の考えにすぎないと反論しただけである。自ら、データで流量確率評価をして反論していない。ましてや、控訴人の主張は、誤りだとも言っていない、単に独自の考えだと指摘しているにすぎない。というよりも、こちらの考えを認めたといっても過言ではない。

 34年分の年最大流量から流量確率評価の100年確率値は900m3/秒強である。20世紀の100年間に起きた最大規模の洪水とも近似しており、住民の実感とも一致するものだ。裁判で過大な想定洪水ではないとの判示がくだされても、法律論上の判断であり、現実的、技術的判断は、過大な想定洪水である。

 裁判では、平成19年の国の事業認定処分が違法か違法でないかを争っているだけで、基本高水が現実と一致して妥当かどうかは別のものである。かりに、平成27年現在で国の事業認定処分が違法かどうかの判断を仰いだとしても、比流量(検証のようで検証でない)による検証をしていると主張しているので、法理論上は違法ではないのだろう。

 「それでも地球はまわっている」ではないが、1750m3/秒が100年確率と言っても過去100年間で900前後の洪水しか発生していない。河川整備検討委員会の玉井教授は、100年確率の洪水は100年間で1回よりももう少し多い頻度で発生すると説明していたが。
コメント
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