犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

辰巳ダム裁判>控訴審判決言い渡しが迫る

2015年11月06日 | 辰巳ダム裁判
ひっくり返すことはできそうもないが!

 11月9日(月)午後1時半、辰巳ダム裁判、控訴審判決言い渡しがあります。

 一審判決では、原告の主張が採用されず、国の反論が採用されました。そのため、控訴審では、こちらが証拠を示して主張し、これを立証するため、証人をたてて証言をしてもらうことが必要でした。そのために、証人を立てたのですが、一審と同じ証人(大学教授等)のため、裁判所で採用されませんでした。治水では、統計学的な分野、地すべりでは、地すべり鑑定、などの証人確保を目指しましたが、残念ながら、達成できませんでした。控訴側に立証責任があるため、実質的な立証ができず、厳しい判決言い渡しとなることが、予想されます。
 しかし、この辰巳ダム裁判は、もともと、行政の裁量を問題にした裁判であり、「基本高水」(想定洪水)が過大だ、その過大を根拠にした辰巳ダム建設は、造る意義がない(無駄だ)というものです。つまり、行政の裁量による、基本高水の決め方が杜撰で裁量が逸脱・濫用で違法だ、と指摘しているものです。
司法は、「専門技術的な判断をともなう裁量を尊重する」という姿勢で、行政の裁量を幅広く認めていますので、争う前から、結果が見えているようなものなので、もともと司法で争うのは、なじまないテーマでした。それを、あえて、真っ正面から取り組み、弁護団の代理人の方々に、「基準に違反して、考慮すべきことを考慮しないで、裁量の逸脱・濫用であり、違法である」という主張で、膨大な資料と準備書面を作成してもらい、戦ってきたものです。
 表面的な成果はほとんどないという結果になることが、予想され、法律論的には、国は違法ではないというになりそうですが、司法が、積極的に辰巳ダムを支持していることにはならず、膨大な議論の中から、一言でいえば、技術的合理性が乏しい、ということが見えてきていると思います。
 例えば、国の主張は、国の基準にしたがい、マニュアルどおりであるが、現実にあっていない、一方、原告の主張は、独自の考えに過ぎないと国が批判するが、現実の現象に合致している、住民の実感とも合っている、というものです。
 ささやかな抵抗ですが、行政のやっていることは適正なことばかりではないので、批判すべきは批判して、行政を質していくべきで、行政に対して少なからぬインパクトは与えていると思います。ひっくり返すというようなことはできなくても、これが、手間暇がかかり、牛歩の歩みの民主主義というものでしょう。
コメント
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