先日、京都国際高等学校が、甲子園の高校野球大会で優勝した。
この学校の前身は、在日韓国人向けの民族学校であるという。
現在は、在日韓国人でも日本人でも門戸が開かれているという。
在日韓国人と言うのは、戦争が終わって、日本が敗北し、朝鮮半島出身の人達のほとんどが朝鮮半島に戻っていたが、
日本に残った朝鮮半島出身者も少なからず存在した。
日本の敗戦によって半島は日本の国土ではなくなり、日本国籍を失うことになったため、一時的に特別永住者という資格を与えられることになった。
日本政府の関係者は、その人たちが亡くなれば特別永住者がいなくなって自然と問題がなくなると考えれていた。
二世・三世は、日本で生まれ、日本で育ち、日本の文化の中で育つのだから正真正銘の日本人で日本国籍を選択するのは当然の成り行きだろう。
ところが、その人たちの子供、二世、三世も韓国籍のまま特別永住者(世襲)となり、特別永住者が引き継がれることが多くなってしまった。
いわば、日本国の中に、別の国ができたともいえなくもない。
いろいろ、弊害が懸念される。※
この学校の前身は、在日韓国人向けの民族学校であるという。
現在は、在日韓国人でも日本人でも門戸が開かれているという。
在日韓国人と言うのは、戦争が終わって、日本が敗北し、朝鮮半島出身の人達のほとんどが朝鮮半島に戻っていたが、
日本に残った朝鮮半島出身者も少なからず存在した。
日本の敗戦によって半島は日本の国土ではなくなり、日本国籍を失うことになったため、一時的に特別永住者という資格を与えられることになった。
日本政府の関係者は、その人たちが亡くなれば特別永住者がいなくなって自然と問題がなくなると考えれていた。
二世・三世は、日本で生まれ、日本で育ち、日本の文化の中で育つのだから正真正銘の日本人で日本国籍を選択するのは当然の成り行きだろう。
ところが、その人たちの子供、二世、三世も韓国籍のまま特別永住者(世襲)となり、特別永住者が引き継がれることが多くなってしまった。
いわば、日本国の中に、別の国ができたともいえなくもない。
いろいろ、弊害が懸念される。※
ところで、
1905年(明治38年)日露戦争の後、初代韓国統監(1905)として韓国の国内改革に取り組んだ「伊藤博文」は、様々な考えの人で構成されて成り立ちも国民性も何もかも違う人々との併合をするべきでないと反対していたが、伊藤が暗殺されてまもなく併合することになった経緯がある。
1910年(明治43年)、当時、朝鮮半島は財政破綻国家で米国も手を引き、どこも引き受け手がないので日本が引き取り、併合した(富を搾取するための植民地ではない)。
統治した35年間、財政支援を続け、毎年、日本の国家予算の10%程度も支援した。
35年間のうち、支援をしなかったのはたった一年だったという。
併合後、日本は欧米の目を意識したこともあって、行政、司法、医療、教育などの制度改革、学校、病院、鉄道、道路、上下水道、発電ダムなどのインフラ設備を整備して、近代国家の基礎を造った。
朝鮮半島の人達は日本人になったことを大歓迎し、その後、それまでの歴史上で経験したこともない、平穏で豊かな生活を享受した。
ところが、戦後、伊藤の懸念が現実になった。
日本統治に大反対した人たちがいたからだ。
併合によって、特権を有していた支配層・両班が利権を失ない外国に逃亡、戦後、米軍と共に帰ってきた。
初代大統領・李承晩らである。
正統性を主張するために、日本と戦い続け、ついに半島から日本軍を追い出し、悪者の日本を排除して国土再建したという、反日ストーリーをつくった。
国の権力者としての地位を確保した李承晩は、
反日の象徴として、
サンフランシスコ平和条約が成立する直前に、勝手に李承晩ラインを設定して竹島を奪取した。
アメリカは公式文書で竹島を日本の領土と認めていたが、李承晩の行動を暗黙のうちに了解した。
ディバイド・アンド・ルール(分割統治)というやつである。
つまり、韓国と日本が互いに牽制することで、アメリカがアジアを統治するために都合がいいと考えたのだろう。
その結果、約4000人ほどの日本漁民が拿捕されて悲惨な状態で拘留されたり、死者もでたが日本政府はなすすべもなく、殴られっぱなし状態となった。
統治時代、台湾以上に朝鮮半島に支援をして国造りに貢献したが、戦後の米軍統治などもあって(GHQは米国、中国、朝鮮半島の批判を禁じた)、いまだに日本は無抵抗で殴られっぱなし状態が続いている。
※特別永住資格の問題のいくつか
二つの国籍を持つことの利権化?
通名を持つことで、戸籍上、二つの名前を持つことができる、以前は通名を複数持つこともできた?
差別だ、弱者だと主張することで行政上、好待遇を受けることができるので生活保護を優先的に受けられる?
複数の通名を持つことで犯罪逃れに利用される?
1905年(明治38年)日露戦争の後、初代韓国統監(1905)として韓国の国内改革に取り組んだ「伊藤博文」は、様々な考えの人で構成されて成り立ちも国民性も何もかも違う人々との併合をするべきでないと反対していたが、伊藤が暗殺されてまもなく併合することになった経緯がある。
1910年(明治43年)、当時、朝鮮半島は財政破綻国家で米国も手を引き、どこも引き受け手がないので日本が引き取り、併合した(富を搾取するための植民地ではない)。
統治した35年間、財政支援を続け、毎年、日本の国家予算の10%程度も支援した。
35年間のうち、支援をしなかったのはたった一年だったという。
併合後、日本は欧米の目を意識したこともあって、行政、司法、医療、教育などの制度改革、学校、病院、鉄道、道路、上下水道、発電ダムなどのインフラ設備を整備して、近代国家の基礎を造った。
朝鮮半島の人達は日本人になったことを大歓迎し、その後、それまでの歴史上で経験したこともない、平穏で豊かな生活を享受した。
ところが、戦後、伊藤の懸念が現実になった。
日本統治に大反対した人たちがいたからだ。
併合によって、特権を有していた支配層・両班が利権を失ない外国に逃亡、戦後、米軍と共に帰ってきた。
初代大統領・李承晩らである。
正統性を主張するために、日本と戦い続け、ついに半島から日本軍を追い出し、悪者の日本を排除して国土再建したという、反日ストーリーをつくった。
国の権力者としての地位を確保した李承晩は、
反日の象徴として、
サンフランシスコ平和条約が成立する直前に、勝手に李承晩ラインを設定して竹島を奪取した。
アメリカは公式文書で竹島を日本の領土と認めていたが、李承晩の行動を暗黙のうちに了解した。
ディバイド・アンド・ルール(分割統治)というやつである。
つまり、韓国と日本が互いに牽制することで、アメリカがアジアを統治するために都合がいいと考えたのだろう。
その結果、約4000人ほどの日本漁民が拿捕されて悲惨な状態で拘留されたり、死者もでたが日本政府はなすすべもなく、殴られっぱなし状態となった。
統治時代、台湾以上に朝鮮半島に支援をして国造りに貢献したが、戦後の米軍統治などもあって(GHQは米国、中国、朝鮮半島の批判を禁じた)、いまだに日本は無抵抗で殴られっぱなし状態が続いている。
※特別永住資格の問題のいくつか
二つの国籍を持つことの利権化?
通名を持つことで、戸籍上、二つの名前を持つことができる、以前は通名を複数持つこともできた?
差別だ、弱者だと主張することで行政上、好待遇を受けることができるので生活保護を優先的に受けられる?
複数の通名を持つことで犯罪逃れに利用される?