佐渡は梅雨の雨が降り続いています。
土が濡れて畑仕事ができないくらいで、丁度いい
休養のようになっています。
テレビのニュースでは各地での集中豪雨、ゲリラ豪雨の
様子が連日続いて、被害も深刻です。
サッカーのワールドカップが終わってからは明るい話題がありません。
私事では、今日は、平成3年に亡くなった父の命日。
明日は、一昨年の8月15日に亡くなった母の3回忌法要を
行うため、故郷の岩船に帰省します。
明日朝一番のフェリーに乗船予定です。
母は、老衰で89歳で亡くなり、臨終には私と妹が立ち会いましたが
入院中は義姉と妹に充分な看病をしてもらって天寿をまっとうした
といえます。
父が亡くなったのは74歳で今なら若い部類といえます。
この平成三年は私にとっては最悪の年でした、
今でも記憶から消えないつらい日々の連続する年でした。
この年の一月二九日に実家から単身赴任して能登半島の
先端の港町で暮らしていた兄の突然の大量吐血による
危篤状態の連絡を受け驚いたところへ死亡の連絡が
追いかけて入り、とるものもとりあえず家族を車に乗せ
滋賀から能登半島先端まで吹雪の中を走り、途中で
故郷から来た、母、妹夫婦、義姉と合流して病院で
変わり果てた兄と対面し、遺体を引き取って実家へ戻り
あわただしく葬儀を行いました。享年47歳、余りにも
若い一生でした。
長男の兄を喪った父の落胆ぶりは予想だにもできなかったほどで
またたくまに気力、体力が衰え、体調を崩して入院し
腸閉そくで開腹手術を行いましたが、結局は体力回復せず
兄の死後半年でなくなりました。
入院してからは、ほぼ毎週末に車で帰省し、月曜日朝帰宅した足で
出社する生活でした。
丁度、会社の永年勤続の報償金や、報償休暇が支給された年でしたが
すべて、帰省で使いました。
親に先立つ親不幸といいますが、子に先立たれた親の落胆ぶりを
目の当たりにして、決して自分は親より先んじることはあっては
ならぬと心に誓いました。
もう19年経ちましたが、この年の事はいまだについ昨年のように
鮮明に記憶に焼き付いています。
土が濡れて畑仕事ができないくらいで、丁度いい
休養のようになっています。
テレビのニュースでは各地での集中豪雨、ゲリラ豪雨の
様子が連日続いて、被害も深刻です。
サッカーのワールドカップが終わってからは明るい話題がありません。
私事では、今日は、平成3年に亡くなった父の命日。
明日は、一昨年の8月15日に亡くなった母の3回忌法要を
行うため、故郷の岩船に帰省します。
明日朝一番のフェリーに乗船予定です。
母は、老衰で89歳で亡くなり、臨終には私と妹が立ち会いましたが
入院中は義姉と妹に充分な看病をしてもらって天寿をまっとうした
といえます。
父が亡くなったのは74歳で今なら若い部類といえます。
この平成三年は私にとっては最悪の年でした、
今でも記憶から消えないつらい日々の連続する年でした。
この年の一月二九日に実家から単身赴任して能登半島の
先端の港町で暮らしていた兄の突然の大量吐血による
危篤状態の連絡を受け驚いたところへ死亡の連絡が
追いかけて入り、とるものもとりあえず家族を車に乗せ
滋賀から能登半島先端まで吹雪の中を走り、途中で
故郷から来た、母、妹夫婦、義姉と合流して病院で
変わり果てた兄と対面し、遺体を引き取って実家へ戻り
あわただしく葬儀を行いました。享年47歳、余りにも
若い一生でした。
長男の兄を喪った父の落胆ぶりは予想だにもできなかったほどで
またたくまに気力、体力が衰え、体調を崩して入院し
腸閉そくで開腹手術を行いましたが、結局は体力回復せず
兄の死後半年でなくなりました。
入院してからは、ほぼ毎週末に車で帰省し、月曜日朝帰宅した足で
出社する生活でした。
丁度、会社の永年勤続の報償金や、報償休暇が支給された年でしたが
すべて、帰省で使いました。
親に先立つ親不幸といいますが、子に先立たれた親の落胆ぶりを
目の当たりにして、決して自分は親より先んじることはあっては
ならぬと心に誓いました。
もう19年経ちましたが、この年の事はいまだについ昨年のように
鮮明に記憶に焼き付いています。