【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

重役出勤

2011-04-19 18:58:28 | Weblog

 「重役出勤」といったら日本では「定刻より遅れてゆっくり出勤すること」です。マクドナルドなどでの「なんちゃって管理職」に関する裁判がありましたが、判例でも「管理職の定義」の一つが「自分の勤務時間を自分で決定できること」だったはずです(逆に言えば、「重役出勤」をしたら「遅刻だ」と怒られる人は本当の「重役」ではない、ということ)。
 しかし、トップダウンで組織を動かす人は「その日組織が何をするべきか」を、皆が出勤する“前”に決定しておく必要があります。もちろん前日とか半年前に決定しておく、でも良いですけれど、瞬発力が要求される業種の場合は「最新情報」に基づいておかないと、組織の仕事がその分遅滞します。情報をアップデートし、その評価と決定を“重役出勤”してきた人に決定してもらわなければならないのですから。だから真の「トップ」が行なう「重役出勤」は、社員が揃う“前”、つまり早朝出勤になるはず、というのが私の推定です。

【ただいま読書中】『一等三角点のすべて ──都道府県別図──』多摩雪雄 編、新ハイキング社、1986年、1600円

 地図を作製する場合、まずは平地の基準点を2点決めて(A点とB点)その間の直線距離を正確に求めます。これが基線測量です。次に、その2点からなるべく正三角形に近い一点(C点)を定めて基線の両端からの角度と距離を求めます。これが三角測量。この最初のA・B・Cが一等三角点になります(距離は大体40~45km)。これを繰り返すことで全国を網羅して地図の骨格をつくり、次いで一等の間に二等~四等の三角点を細かく設定していって、最終的には等高線が細かく書かれた地図が完成する、という仕組みです。地図は一度できたら完成、ではありません。地殻変動などをチェックする必要がありますから、三角点は「測量法」で保護されています(壊したら、懲役または罰金です)。
 一等三角点は最上部が18cm角高さ82cmの御影石(二等と三等は15cm角、四等は12cm角)で、重さは24貫(90kg)だそうです。山頂に担いで上がった人は大変だったでしょうね。
 都道府県で一等三角点が一番たくさんあるのは北海道ですが(ダントツの224箇所)、一番少ないのは大阪の4箇所です。この一等三角点を結ぶと日本列島がきれいに三角形で覆われています。なお、三角点はふつう地面に深く埋めこんであってその先だけが出ているものですが、たまにビルの屋上に設置されている場合もあるそうです。本書には、東大図書館屋上とか、六甲山米軍レーダー基地内とか変わり種がいくつか紹介されています。
 各都道府県ごとにその位置が図示されていますが、トップバッターは南千島諸島。今でもちゃんと保存されているんでしょうか?
 ぱらぱらめくっていて、やはり気になるのは自分の出身県。地図を見ると、知らない山がやたらと多い、というか、登ったことがあるのは二つだけです。しかも、どちらでも三角点を見た覚えはありません。みなさんも、「三角点」をどのくらい見た経験があります?
 「三角点のファン」というものもこの世には存在するそうで、日本中の三角点を尋ねて歩いたりするそうです。知力と体力の両方が要求される“趣味”のようですね。



放射線量測定値

2011-04-18 18:42:00 | Weblog

 新聞に「各地の放射線測定値」が載っています。これを見て思うのが「昨日との比較は?」「昨年との比較は?」です。今日の値だけ見ても、よほど突出した数字になっていれば別ですが、小数点以下の変動をどう評価して良いのか、なかなか難しいんですよね。
 そういえば私の子供時代、「先日中国で核実験があった。今日の雨には濡れないように」「頭が濡れたら禿げるぞ」なんてことが言われていましたっけ。あの頃の測定データとの比較も詳しく知りたくなりました。

【ただいま読書中】『二十世紀のパリ』ジュール・ヴェルヌ 著、 榊原晃三 訳、 綜合社、1995年、1553円(税別)

 アメリカでは「カスター将軍の最期」よりほんの少し前、南北戦争の時代のパリに、ジュール・ヴェルヌという作家がいました。1863年、本書を執筆当時彼は35歳、テアトル・リリック劇場の秘書をしながら劇作家を志していましたが、作品は失敗続きで、やっと『気球に乗って5週間』が売れただけでした。「これからは科学だ」。将来を模索しつつ彼は決心します。そして、最新科学の成果を盛り込んだ小説を書こう、と。本書の原稿は出版者の拒絶で長らく金庫に保管され、タイトルだけが伝えられていた幻の作品です。
 作品の舞台は「100年後」つまり1960年代です。
 「教育金融総合会社」の授賞式で、ラテン詩部門で一等賞を取ったミシェルが賞品の『よき工場主になる手引き』を大臣から受け取るとぽいと捨てて退場するところから本書は始まります。20世紀は金融と機械が支配する「工業の世紀」であり、多くの人にとって芸術には意味がない時代なのです。
 帰宅するミシェルが乗るのは、首都圏高速鉄道です。高架橋で、列車は蒸気機関車ではなくて圧搾空気で動きます。線路の間の太い導管の中を軟鉄の円盤が圧搾空気で駆動され、列車は車輪の間の磁石でそれに引っ張られる、という仕掛けだそうです。リニアのご先祖様みたいなメカニズムですが、19世紀半ばに発明されているものだそうです。自動車も走っていますが、動力はガスエンジン(1859年発明)。ガソリンエンジン自動車はまだ存在していませんでした。照明は、ガス灯と電灯が混在しています。
 孤児のミシェルは後見人の意向で銀行に就職します(ミシェルはまだ未成年なのです)。銀行にあるのは、巨大な金庫と巨大な計算機。紙は木材から12時間で製紙され、ガスエンジンで動く複写機が吐き出した書類は、写真電送機で各地に送られます(これらの機械がすべて18世紀に発明されていたというのはオドロキです)。
 芸術家肌のミシェルに、実用と効率一点張りの銀行の仕事は拷問でしたが、幸いなことにそこで同じ境遇の友人を得ます。自分の本性を隠して仕事をしている、音楽家キャンゾナスと軍人ジャックです。「20世紀」には、彼らも居場所がないのです。そして、運命の出会いをした恋人もまた、文化を愛するという点で「社会からの脱落者」でした。
 「社会の不適格者」としてのミシェルはついに失業し、出版されるあてのない詩集を執筆します。そして……
 小説としては破綻気味だし、ミシェルにはあまり魅力がないし、ということで、出版者に突き返されたのもわかります。ただ、今となってはこの本は貴重な「19世紀の記録」です。著者が描いた未来世紀はすべて19世紀に確固たるルーツを持ったもので構成されているからです。私が特に印象的だったのは「科学」と「技術」が厳密に区別されていないこと。ただそれは仕方ないでしょう。21世紀でも、それが区別できない人は多いのですから。



破傷風

2011-04-17 19:17:42 | Weblog

 被災地で、瓦礫の片付けをしていて負傷し、それが原因で破傷風になる人が何人も出ているそうです(「がれき撤去で破傷風感染 宮城県が注意呼び掛け」(4月13日河北新報http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110413-00000012-khk-l04))。土の中にはまず間違いなく破傷風菌がいるので、とにかく怪我をしないように気をつけるのが一番ですが、まだ電気も通っていないような地域では、破傷風の抗血清は十分あるのかも気になります。

【ただいま読書中】『東京大空襲 ──あの日を生き抜いたナースたちの証言』日本テレビ、2008年、1143円(税別)

 2008年に日本テレビが制作したドラマ「東京大空襲」の元となった証言集と、ドラマのあらすじやメイキングです。
 今年の1月6日の読書日記に書いた『碧素・日本ペニシリン物語』にも、東京大空襲がちらりと登場しました。“使える”医師や看護婦はほとんど戦地に送られた状況で、残された医療者が空襲下で苦闘する話(大空襲下で編成された救護班は、陸軍軍医学校の医師14名、看護婦20名、トラック7台でした。それで帝都全域をカバーしろ、ということ)でしたが、本書では看護婦の体験に焦点が絞られています。空襲による重症の熱傷や外傷などに対して赤チンを塗る、化膿した傷に対しては湧いてくるウジ虫をピンセットで取る、破傷風には麻薬(抗血清はもうほとんどありませんでした)、その程度の「治療」しかできない状態だったところへ、大空襲だったのです。(慶應義塾大学病院では、敷地一坪に一発の割合で焼夷弾の筒があとで見つかったそうです)
  しかし、あたりが燃えていて、でもまだ上で爆音が聞こえる状態で、腸チフスの入院患者を避難させようと看護婦が担架で運んでいるところに戦闘機の機銃掃射を受けた、という体験談には、ぞーっとします(弾は左胸と左腕の間を抜けて、腕の内側に火傷を残したそうです)。戦闘機としては、日本機が上がってこないので全然お仕事がないからせめて地上を撃っておこうジャップを少しでも減らすのは世界平和のためだ、だったのでしょうが、撃たれる方はたまりません。そもそも非戦闘員を撃つのは国際法違反ではありませんでしたっけ?
 ドラマに出演した岸恵子は戦後の映画「君の名は」で「スター」になりましたが、子供の時に横浜空襲を体験していたんですね。大人に放り込まれた防空壕から脱出して公園の松の木によじ登って助かっているそうです(その防空壕は全滅)。
 先日読んだ『死よりも悪い運命』(カート・ヴォネガット)には、ドレスデン空襲がいかに悲惨だったかの話が登場します。で、欧米人にとって「ドレスデン」は悲惨な事件であると同時に「恥」なのですが、それは「白人が白人を爆撃した」からだと彼らが考えているのではないか、というフシがあの本からは感じられます。だとしたら「白人が黄色い猿を大量に殺した」ことは、別に「恥」でもなんでもないことなのでしょうね。



消費のプチ促進

2011-04-15 18:56:01 | Weblog

 消費ががくんと落ち込んでいるそうです。そりゃ、自粛するとか、プチ贅沢するくらいなら募金しようか、とか、あまり景気のよい話はありませんものねえ。ただ、水とかカップラーメンとか「買いあさり」はあったわけです。だったら、消費を刺激するためには、テレビでみのもんたにでも「実は○○が放射能よけに良い」とか言ってもらいます? 毎日一品ずつ“刺激”してもらったら、とりあえず消費はプチ促進されるかもしれません。

【ただいま読書中】『近世菓子製法書集成(2)』鈴木晋一・松本仲子 編訳注、平凡社、2003年、3000円(税別)

 第1巻は基本的に和菓子がほとんどでした。例外は「古今名物御前菓子秘伝抄」で、「あるへいたう(有平糖)」「かるめいら(カルメロ)」「こんへいたう(金平糖)」「かすてら(カステラ)」といった“洋菓子”も少数含まれていました。カステラは、卵をかき混ぜたところに砂糖と小麦粉を入れて良く練り、平鍋に流し入れて金属製の蓋をしてから火を上下において焼く、というダッチオーブンのような手法を使ってます。しかしこれでは泡立てが不十分でただの分厚い卵焼き(+小麦粉)になってしまいそうな気がしますが。
 本書には「南蛮料理書」(年代不詳)「鼎左秘録」(嘉永5年(1852))「古今新製名菓秘録」(文久2年(1862))が収載されています。
 「南蛮料理書」は45項目。「なんはんのひのさけのしやうの事(南蛮の火の酒の製法)」「てんふらりのしやう(てんふらりの製法)」「とりをやきて(鳥を焼いて)」「ほねぬきの事(骨抜き)」「たまことうふ(卵豆腐)」といった“南蛮料理”やその技法も載っていますが、お菓子(“洋菓子”(のようなもの))がなんと27項目を占めています。「はすていら(ミートパイのようなもの)」「はん(パン)」もお菓子の所に混ざっていますが。江戸時代の人間には「食事」で食べるものではない、という分類だったのかもしれません。ちなみにパンは、小麦粉に甘酒を混ぜて膨化させてます。イースト菌の代用でしょうが、これはこれでけっこう美味しかったかもしれません。現在の鶏卵素麺にあたる「玉子素麺」のレシピもあります。味はたぶん現在のとそれほど変わらないでしょうね。
 「鼎左秘録」は、序文によれば「茶人必携」だそうです。本文と付録からなりますが、本文はお茶うけの「砂糖漬け」の作り方です。いやあ、こんなものを砂糖漬けに?と言いたくなるものも混じっています。生姜・金柑・瓜・西瓜あたりは良いですよ。美味しそうです。茄子・蓮根・牛蒡・人参・百合根・空豆・独活あたりもなんとなく味の想像はつきます。たぶん美味しいでしょう。しかし、豆腐・椎茸となると「本気?」と言いたくなりますし、「松の緑」「麦門冬(薬草です)」となると何が何だか…… 本当にそんなものを喜んで食べていたのでしょうか? 付録の方は、真っ当にお菓子のレシピが並んでいますが、その後半は「わさびがないときの代用(すった生姜と芥子を等分に混ぜる)」「松茸の貯蔵法」「柿の貯蔵法」「餅や酢を黴びさせない方法」「胡椒を粉にする方法(茶碗に入れてひょうたんのお尻でする)」といった「お婆ちゃんの知恵」が並んでいます。日本ではこういったノウハウ集が人気があるんですよね。
 「古今新製名菓秘録」では、広く諸家の製法を調べてその中ですぐれたものを載せているそうです。レシピのスタンダード化ですね。材料の分量も一応標準は書くが各人が好みで加減すること、となっています。古い料理書は「秘伝を口伝で授かっている」といった感じでしたが、このへんになると「レシピを読んでいる」という感覚が持てます。ちなみにこちらにも「茄子の砂糖漬け(小ぶりの茄子の所々に切れ目を入れて砂糖液で煮詰める)」「松の翠の砂糖漬け」などが載っています。「砂糖は万能の調味料」だったのかな?


残虐行為

2011-04-14 18:51:11 | Weblog

 「インディアンが白人の頭の皮を剝ぐ」ことは、西部劇での“常識”の残虐行為です。もちろんそれは西部開拓時代の“常識”をベースにしています。しかし実際には白人側も、インディアンの死体をひどい目に遭わせていました。たとえばインディアンの頭蓋骨は、凝った櫛を作るのに使われたため、ドッジ・シティでは一個が1ドル25セントという高値で取り引きされましたし、腕や脚の骨は磨かれてナイフの柄にされました(出典『カスター将軍の最期』)。インディアンは少なくとも、白人の死体で“商売”はしなかったんじゃないかな?

【ただいま読書中】『カスター将軍の最期』デイヴィッド・H・ミラー 著、 高橋泰邦 訳、 早川書房、1967年

 「リトル・ビッグ・ホーンの戦い」は「カスター虐殺事件」として知られています。しかし、わずかな事実に多くの主観的な解釈がくわえられて詳細は混乱しています。著者は未開拓の資料源を発見しました。「インディアンの証言」です。著者が動き始めるまで「インディアンのことば」は無視され続けていたのです。1935年に著者はスー族およびシャイアン族へのインタビューを始めます。1876年の戦いについて証言できる人(インディアン)は現存していました。著者は長い時間をかけて(最後のインタビューは1955年)実際に戦闘に参加した71名の老インディアンにインタビューを行ないました。
 本書は“その日”(1876年6月25日日曜日)の日の出から始まります。
 まず登場するのは、10歳のインディアンの少年が射殺される場面です。この銃声が、大会戦の始まりでした。
 カスター将軍(正しくは陸軍中佐)は、クロウ族とアリカラ族のインディアンをスカウトとして使っていました。そのスカウトがスー族の野営地を発見します。大軍でした。しかしカスターは、数では劣っていても、練度と装備に勝る(銃器だけではなくて馬もインディアンに比べたら大柄で力に優れている)騎兵隊が奇襲をすれば勝利は間違い無しと踏みます。しかし、騎兵隊はすでに発見されていました。そしてインディアンには「逃げる気」はありませんでした。
 野営地には多数の大酋長が一族を引き連れて集結していました。その人数は1万2千以上、戦闘員はその1/3でした。ただし武装は貧弱です。主力武器は弓矢やナイフ、こん棒です。
 カスター側の第7騎兵連隊は、人数は600ですが全員が連発カービン銃を装備しています。さらにカスターには、次の大統領選出馬のためにここで派手な勝利を稼いでおく必要がありました。全滅させるのは無理にしても、インディアンの大軍を蹴散らして彼らをまとめて保留地に追放できれば「勝利」を喧伝できます(だからカスターは新聞記者を同行させていました)。
 戦いは、インディアンの大野営地に対する騎兵隊の突撃で始まりました。女子供老人は逃げだし、戦士たちは戦いの準備(顔や身体に彩色をしたり戦のための衣裳を着たり)をします。そして反撃が始まりました。本隊に先行して突撃したリーノー隊は壊滅します。その直後、カスターの本隊が野営地の反対側から突入しようとします。挟み撃ちにするはずだったのが、タイミングがずれてしまったのです。250騎に対するは、川の向こうに潜む5人の戦士だけ(銃が4丁、弓が一張り)。カスターは伏兵を恐れて一時逡巡しますが、ついに突撃命令を出します。そこに、リーノー隊を撃破した戦士たちが突入。カスターは左胸を撃たれて落馬します。「暁の明星の息子」(または「ロング・ヘアー」)と異名を取った男が“落ちた”のです。インディアンにとってはこれで戦いは終りでした。“大酋長”がやられたのですから。しかし騎兵隊は、全員が下馬し円丘に集結します。逃げずに陣を組んで戦いを継続したのです。死馬をバリケードがわりに勇敢に戦い続けますが、約30分後には本隊は全滅していました(インディアンには精密な「時」の概念がなかったため、太陽の傾き加減で著者が時刻や経過時間を推定しています)。なお、インディアン側の損害は、32名の死者でした。
 この勝利は、インディアン側には高くつきました。独立100周年にケチをつけられた白人は、「英雄カスター」の死の“責任者”としてまずリーノーを名指しし、ついでインディアン討伐に本腰を入れるようになったのです。インディアン最後の勝利は、すでに始まっていたジェノサイドの正当化をもたらしたのでした。



世代間ワークシェア

2011-04-13 19:03:13 | Weblog

 若者の失業の多さを思うと、日本の将来が心配になるのは、震災の有無にかかわらず同じことです。ふっと思ったのですが、世代間のワークシェアリングは不可能なのでしょうか。たとえば「55歳定年制」の復活です。ただ、単に早期リタイアだけ進めるとそれはそれで「老」の側がきついので(そもそも55歳は、今では「老」とは言いにくいですよね)、再就職はする、ただしフルタイムではなくてハーフタイムで。同時に、子ども手当ではなくて大人手当(55歳超が受給資格)を配るのはどうでしょう。金額はかつかつ生きていけるだけ。全員ほぼ平等。
 面倒くさい年金制度をきわめてシンプルにしてみました。
 もちろんこのままでは実現は難しいでしょうが、とにかく何かを大きく変えないと、日本はこのままじり貧になっていくと思えて仕方ないのです。

【ただいま読書中】『死よりも悪い運命』カート・ヴォネガット 著、 浅倉久志 訳、 早川書房、1993年、1845円(税別)

 現在ハヤカワSF文庫に入っていますが、SFではなくてエッセイ集です。1980年代に著者が行なった講演やインタビュー、エッセイなどを、後日の回想文でつなぐという手法で編まれていて、著者は「自伝的コラージュ」と言っています。
 口調は、いつものヴォネガット流のままです。
 母の精神病(真夜中を過ぎると突然夫に対して純粋な憎悪と軽蔑を浴びせかける)が、アルコールと睡眠剤によるものではないか、という話から、祖父と父が建築家であること。子供たちのこと。ヘミングウェイについて、そしてヘミングウェイが称賛した数少ない作家の一人であるネルソン・オルグレンについて。
 著者の子供時代、黒人がリンチに会うのは日常茶飯事でした。そしてその犯人がつかまらないことも(その前の前の世代では“インディアン”に対するジェノサイドが行なわれていました)。それらと合衆国憲法との関係について、著者は本当にシビアなことを述べます。合衆国が「自由のたいまつ」だったことがあるのか? 「規律ある民兵」に武装の自由があるのは、誰に襲われるという恐怖からなのか?(“身に覚え”があるのか?)
 著者は捕虜となってドレスデンにいたときに、連合軍の無差別爆撃を受けました。まったく軍事的価値がない都市に英米軍が焼夷弾を振りまいたのです。その時の体験がのちに『スローターハウス5』を生みますが、このことに関する講演での著者の口調は、いつもに増してシニカルです。そこで著者はこうまで言います。「最近の爆撃は、見せ物だ」。のちの「テレビで見る戦争」の予告のようです。
 そして「死よりも悪い運命」について。反核の話ですが、著者はこの“説教”を教会でやっています。よくもまあ教会が著者にそれを許したものだ、というか、著者はたしか無神論者として通っているのではありませんでしたかねえ、よくもまあそんな人に教会で話すことを依頼したものです。
 ガチガチの右翼から見たら著者は「反米主義者」に見えるでしょう。それは著者が合衆国の“恥”を直視しているからです。ただ、私からみたら他人を攻撃することで“恥”を否認する態度の方が、よほど非愛国的なのではないか(というか、人としてどうか)と思えます。著者は個人の(従軍、捕虜、飢餓、そして友軍に殺されかけるという)経験をベースに「殺すことも殺されることもまっぴらだ」と発言しているのであって、その経験を他人が「愛国心」を根拠に軽々しく否定することはできないのですから。



計画

2011-04-12 19:18:50 | Weblog

 計画停電に計画避難……小学生の「夏休みの計画」を思い出したのは、私だけ?

【ただいま読書中】『神様はつらい』(世界SF全集24)ストルガツキー兄弟 著、 太田多耕 訳、 早川書房、1970年

 ソ連の作家が作品のタイトルに「神様」を入れるとは度胸があるとまず思います。共産党支配の国に「神」は存在しないはずなのですから。
 森林地帯でピクニックをする若者たち。石弓や空気銃を携え、ウィリアム・テルごっこに興じています。次の章では舞台は中世を思わせる世界へ。しかしここは地球ではありません。「しゃっくりの森」「イルカン公国」「野蛮国」「父の木」「シウ鳥」なんて(この)地球には存在しませんよね?
 そこで孤独な騎馬行をしている貴族は、第1章で登場した若者の一人です。もう若くはないようですが。地球人の彼らは「この惑星」に派遣されてきたのでした。しかし惑星は悲惨な状況でした。無知と愚鈍が知性を迫害し、灰色の突撃隊員がかつては貴族だけが歩けた往来の真ん中を闊歩し、読み書きができる・一緒に酒を飲まない、などといったことが拷問と死刑の理由となっているのです。貴族ドン・ルマータ(を演じているアントン)はそのことに危機感を覚えています。何かをしなくては。しかし、なにを? 地球の実験歴史学研究所はその回答をくれません。社会機構を変革する技術力を持っていながら、それを駆使することは禁止されています。地球人の任務は、観察と記録なのです。
 やがてクーデターが起き、首都は争乱の渦となります。灰色の軍団は皆殺しとなり変わって黒色の軍団が国を支配します。ドン・ルマータはその中でも観察者として生きのびます。しかし、彼の優れた肉体的な力と知力と背景としている文明の大きな力に気づいた人は、ドン・ルマータのことを「神」(あるいはその化身、手先)として助力を求めます。「その気」になれば、たとえば政権をひっくり返すことは簡単です。しかし、ドン・ルマータ(あるいは、アントン)はそれをしません。しかし……
 愛する女性キーラを失い、アントンは一人で地球に帰還します。キーラ自身が自分の故郷に裏切られていたため、アントンはなんとか地球に一緒に連れ帰りたいと願っていたのですが。ふるさとを失ったキーラ、ふるさとを遠く離れ異世界で別の人間として生きているドン・ルマータ。彼らの「ふるさとへの思い」はどこかで断ち切られてしまっています。それはつまり、著者の「祖国を愛しているのに、現在の国はその愛にふさわしい素晴らしい形をしていない」という苦い思いの反映かもしれません。異国の人間の、後知恵の深読みかもしれませんが。



時刻

2011-04-11 18:54:49 | Weblog

 現在の職場では、私には大体20分または30分刻みでスケジュールが入っています。これが現在の私には最大効率を発揮させるのにとても良い「時の刻み」なんです。若い頃には1時間くらいは集中力が続きましたが今はもう若くありませんから、こうやって「ダッシュ!」気分転換「ダッシュ!」」というパターンがよろしいの。それでも、午後にびっしりお仕事が入っていると、「終業時刻はまだか」と悲鳴を上げたくはなりますが。

【ただいま読書中】『近世菓子製法書集成(1)』鈴木晋一・松本仲子 編訳注、平凡社、2003年、3000円(税別)

 江戸時代のお菓子のレシピ集です。本書に収められているのは「古今名物御前菓子秘伝抄」(享保3年(1718))「古今名物御前菓子図式」(宝暦11年(1761))「餅菓子即席手製集」(文化2年(1805))「菓子話船橋」(天保11年(1840))。江戸時代を代表する菓子製法書としては「古今新製菓子大全」が知られているそうですが、これは「古今名物御前菓子秘伝抄」と「古今名物御前菓子図式」の合本だそうです。
 私が好きな「羊羹」は「古今名物御前菓子秘伝抄」では「やうかん:小豆のこし粉一升に、白砂糖にても黒砂糖にても三合入、葛の粉一合、小豆の粉弐合入、ませ合、一尺四方の箱、高さ弐寸程の箱へいれ、むし、二時ほとさまし、形はいろいろにきり申候」。「古今名物御前菓子図式」では「匕羊羹(すくひやうかん):小豆のこし粉、水気をよくしぼり、百目、葛の粉廿匁、うどん粉廿匁、塩見合。白沙糖二百目に水五合入れ煎じ、塵と砂を濾、右の四味を引鉢にて揉合せ、右の煎沙糖少宛入れ、もみ合せ候て、外に水弐合入れ、右の水合て七合をよくかきまぜ、甑の内に、四角なる箱のさし底のなき篗(わく)を置、木綿の敷布水にひたし、わくの内へ敷、尤、蒸釜の上にかけ置、右のやうかんを流し入れ、随分かたまる迄つよく火を焼て蒸なり。能蒸り候へば、ふき上がる也。其時しばらくさまし、金杓子を水にぬらし、菓子椀に装出す。尤、寒気の節、茶菓子に宜し」とあり、さらにそれに続けて「羊羹:上の通に拵、葛三匁引、うどん粉五匁引、水八合にして、其外右に同断。しかし、つめたく成までさまして宜し」。
 同じ名前のお菓子なのに、随分レシピが違うものです。店とか地方によってやり方が違っていたのかもしれません。あるいは時代の違いかな。ともかく18世紀には上質の砂糖がふつうに手に入るようになっていたことがわかります(それでも異物の混入はあったらしく、「古今名物御前菓子秘伝抄」の「有平糖」では準備として「上々の氷砂糖を一度洗っておく」と指示があります。今の料理レシピでそんな指示はしませんよね)。
 「餅菓子即席手製集」では十返舎一九が序文を書いていますが、編者はその序文にも、本体の文章に厳しい態度です。「わけがわからない」とか「ひどい宛字をしたものだ」とか。たしかに「やうかん」を「羔寒」ですからね。これだと「こうかん」です。
 「菓子話船橋」では「蒸羊羹」「難波羹」「練羊羹」「小倉羹」と羊羹が分化しています。かつて羊羹は「羊羹」「砂糖羊羹」に分類され、甘葛が使われなくなって「砂糖羊羹」だけになることで「砂糖」が取れてただの「羊羹」1種類になりました。それが、寒天を用いる練羊羹類が作られるようになってそれまでの「羊羹」がわざわざ「蒸羊羹」と呼ばれるようになったのです。他のお菓子についてもわかりやすく書かれていて、これは江戸時代にはお菓子作りをする人たちには“聖書”扱いをされていたかもしれません。
 ここでは羊羹に注目して通読しましたが、それぞれの書物に何十というお菓子が載っています(「古今名物御前菓子秘伝抄」などは105種類)。江戸の人間がこんなものを食べていたのかと想像するだけで、何か甘いものが欲しくなってしまいました。そういえば食糧貯蔵庫に羊羹が一棹あったっけ。



読んで字の如し〈木ー10〉「本」

2011-04-10 19:30:16 | Weblog

「本質」……本の品質
「腕一本で稼ぐ」……もう片腕が泣いている
「絵本太閤記」……幼子のための太閤記
「大日本帝国」……こんどは小日本帝国を作ろうか
「日本猿」「日本鹿」「日本酒」「日本海」……日本の猿・日本の鹿・日本の酒・日本の海
「中央本線」……対義語は辺境本線?
「一本参った」……さ、次の勝負だ
「一本歯」……ちょっと残念な顔
「千本ノック」……ドアが壊れる
「熊本」……熊の本
「脚本」……脚の本
「西日本」……西日の本

【ただいま読書中】『オペラ座の幽霊』ジョン・ベレアーズ 著、 三辺律子 訳、 アーティストハウス、2003年、1600円(税別)

 「ルイスと魔法使い協会」第6弾です。
 第4/第5では4人組が「女同士」「男同士」に別れてそれぞれ冒険の旅をしましたが、こんどは大人二人はフロリダへ。ルイスとローズ・リタはニュー・ゼベダイに残ります。二人には「ニュー・ゼベダイ」の歴史についての宿題が出されていました。面白そうなのは他のグループに全部取られてしまって、残ったのは、町の真ん中で忘れ去られていた「ニュー・ゼベダイ・オペラ座」。ローズ・リタのお祖父さんが設計した建物です。早速調査に出かけた二人ですが、ルイスはそこで幽霊に出会い警告をされます。「オペラはおそろしい運命をもたらす!」と。
 ルイスはオペラ座で古い未発表のオペラの楽譜を見つけました。町の人たちは、オペラ座を再興させそこでこのオペラを上演しようと動き始めます。しかし同時にニュー・ゼベダイの町は、不思議な霧で回りの世界から孤立してしまいました。出ることはできず、長距離電話は通じず、ラジオの電波も届きません。頼りのツィマーマン夫人とジョナサンおじは、遠くフロリダです。
 味方になってくれそうなのは、〈カフィーナウム郡魔法使い協会〉。ところがメンバーは全員どこかに封じ込められてしまっています。敵はとても強力な魔法が使えるのです。ルイスとローズ・リタは絶望から泣き出してしまいます。しかし、次に来たのは、怒り。魔法の音楽、魔法の石像、そんなものに負けてなるものか、と。
 古い書物をめくり、二人はオペラの秘密を知ります。それは複雑な魔法の呪文だったのです。その結果は、死者が解き放たれるのです。何のために? 邪悪な目的のために違いありません。では二人は何ができるのでしょう。「わたしたちなら、なにか考えつけるはずよ」ローズ・リタは自分たちを奮い立たせます。「だって邪悪な魔法と戦うのはこれが初めてじゃないもの」。
 たしかまだ12歳(か13歳)の子供たちです。どうしてここまで“強く”振る舞えるのでしょう。その理由の一つは彼らが口にする「これは、自分の責任だ」ということばにもありそうです。
 二人がやっと見つけた“味方”は、魔法の力があまりに弱かったために魔法使い協会に入ることができなかったイェーガー夫人(魔法の杖の代わりにスプーンを振るという、キュートなご婦人です)。さて、“使える”戦力はとりあえずこの3人で全部です。強力な魔法使いに対して、魔法で太刀打ちすることは無理。ならば、魔法に関する深い知識と知恵と勇気と、あと何があればいいでしょう?
 おどろおどろしい雰囲気が満載のコワイ本ですが、あちこちにさりげなく混ぜられた歴史の蘊蓄(今回はロジャー・ベーコンが意外なところに登場して、私はふき出してしまいました)、ユーモア、なにより主人公たちの魅力的な人物造型。大人にもお勧めしたい本です。



義務

2011-04-09 18:30:47 | Weblog

 「ノブレス・オブリージュ」(高貴さに伴う義務)は、本来貴族の世界のことばでした。貴族の特権を正当化する機能もあったのかもしれませんが、特権階級はただ特権を教授するだけではいけない、という覚悟を示したことばとも言えます。
 現在貴族はそれほどうらやましい存在とは言えません。今の日本での特権階級としては、もちろん権力者とか大金持ちがあげられるでしょうが、新しい特権階級として「情報強者」があるでしょう。で、この新しい特権階級の人たちには、どんな新しい「ノブレス・オブリージュ」があるのかな?

【ただいま読書中】『ヒトラーの秘密図書館』ティモシー・ライバック 著、 赤根洋子 訳、 文藝春秋、2010年、1900円(税別)

 ベンヤミンは、ヘーゲルの「ミネルヴァの梟は黄昏を待ってようやくその翼を広げる」を引用して「コレクターは死後ようやく理解される」と述べました。本書は、本のコレクターとしての点からヒトラーを論じようとする試みです。アメリカ議会図書館に収蔵されるヒトラーの蔵書の一部(1200冊)を中心に、何を読み何を読まなかったか、どう読んだか、どんな書き込みをしていたか、などが論じられます。

 最初の本は、1915年。前線で伝令兵として勤務するヒトラー(26歳、伍長)は、休息で過ごすフォルネーの町でベルリン建築史の本『ベルリン』(マックス・オスボルン)を購入しました。これは、建築を切り口としたベルリンのガイドブックですが、著者はその本の内容およびそこにヒトラーが残した痕跡から、ベルリンが醜悪な建築スタイルの寄せ集めであり「世界の首都」としてふさわしい形になるべきだと考えていたとします。戦争中ヒトラーは10日間の休暇を2回もらっていますが、どちらもベルリンに行き、博物館や有名な建築物を見て歩いています。そのポケットにはこの『ベルリン』が入っていたはずです。そして、著者がこの本を開くと、砂粒が一つ落ち、ページの間には短い黒髪が一本挟まっていたそうです。
 次は『戯曲ペール・ギュント』。人間関係が希薄だったヒトラーにとって、パトロンで親友で父親がわりだったディートリッヒ・エッカートからの献本です(1921年)。エッカートは有名な反ユダヤ主義者で、ヒトラーの思想に最大の影響を与えました。さらに、ヒトラーを政治家として売り出すにあたって、プロデューサーとなり、たとえば写真を公開しない(顔を見たかったら演説を聞きに行くしかない)といった手段を駆使しました。政治家の階段を順調に上がっていったヒトラーですが、知性溢れるライバルのディッケルには、それまでヒトラーが活用していた口車も恫喝も通用しませんでした。そこでヒトラーは、乱読によって理論武装すると同時に、集団の力学を使うことで国家社会主義ドイツ労働者党を自分が独裁的にふるまえるナチス党に改編し、ディッケルを追放します。
 ミュンヘンでのクーデター失敗で投獄されたヒトラーは、恵まれた獄中生活の中、『我が闘争』執筆に熱中します。しかし、せっかく出版されたのにこの本は、はじめは極右からさえ酷評されました。第1巻は初刷りがやっと売り切れましたが、第2巻は700部売れただけでした。そこでヒトラーは「第3部」を構想します。第一次世界大戦での従軍体験を書こうと。当時ヒトラーは第一次世界大戦文学を集中的に読んでいました。特に『火と血』(ユンガー)には強い印象を受けたらしく、鉛筆で多くの書き込みがされています。それを著者はゆっくり分析します。たとえば「戦争とは競合生産を恐ろしいやり方で比較することである」というユンガーの文章にヒトラーが疑問符を書き込んでいることは「将来ヨーロッパの戦場で下されることになる有害で誤った判断を暗示するものである」などと。『第3巻』で展開されるのは、様々な思想のパッチワークにヒトラー流のひねりがくわえられた、一種の社会的ダーウィニズム論だそうです。ただ、この完成原稿は出版社の金庫にしまわれ、出版されることはありませんでした。理由は不明です。
 ヒトラーの蔵書に残されたものの中で、彼の思想(と最終的な行動)に最も明確で測定可能な影響を与えたのは『偉大な人種の消滅』(マディソン・グラント)でした。ヒトラーはそこから「偉大な民族」の歴史的概念と「不適格者の消滅」を学びます。グラントはアメリカで優生学の主張を強硬に行なっていましたが、彼によると世界の古代文明はすべて(古代中国文明も)北欧の金髪碧眼人種が基礎を作り、それを劣等民族が奪って文化を汚染しながら発展させていったもの、だそうです。笑っちゃいますが、この本が、ヒトラーだけではなくて、アメリカでも移民法や断種法の制定に重大な影響を及ぼしたと知ると、笑いが凍りつきます。ヒトラーはグラントに「この本は私の“聖書”です」と手紙を書きましたが、1933年1月にナチスが政権を掌握すると“国策”になりました。
 「陰謀」もあります。キリスト教弾圧を進めるヒトラーに対してヴァチカンは、「反共」を旗印に手を結ぼうといろいろな働きかけをしました。司教フーダルは『国家社会主義の基礎』を書きヒトラーに献本します。カトリック信者として育てられたヒトラーの内に眠る(と司教が信じる)「善根」に働きかけるために。ただしこの陰謀は結局未発でした。ナチス党の幹部たちはそういった本を本能的に警戒しましたし、ヒトラーの内部にはそもそもカトリックの教義などはカケラも残っていなかったのです。
 ヒトラーが愛読した分野の一つが神秘主義やオカルト(たとえば「ノストラダムスの予言」)でした。そして軍事関連(ヒトラーの蔵書を調査したフレデリック・オクスナーは、全14,000冊の半分が軍事関連で、そのすべてに読んだ跡があると報告しているそうです)。その「知識」でヒトラーはナチス・ドイツの政治指導者であると同時に軍事指導者であろうとします。しかし、老練な職業軍人たちが“素人”の軍略にそうそう簡単に従うわけがありません。ヒトラーはここでも「知識」だけではなくて恫喝や口車に頼って事を進めます。戦局はやがて悪化。そこで慰めになったのは、探検家ヘディンとの交流でした。ヘディンはドイツを擁護する『大陸の戦争におけるアメリカ』という本を出版し、その中で第二次世界大戦を起こした張本人は英米、特にローズヴェルトだと名指しをしました。
 そして最後の日々。ヒトラーが読むのは『フリードリヒ大王』(カーライル)。王の生き方を学ぶだけではなくて、18世紀にヨーロッパ列強によって滅亡の瀬戸際だったプロイセンが「ブランデンブルクの奇跡」で救われたことの再現を望んでいたのでしょうか。しかし、奇跡は起きませんでした。
 ベンヤミンは、個人の蔵書はその人の人生の要約である、と考えました。ヒトラーに関してはたしかにそれは当たっていたようです。ただ、その「読み方」はヒトラー独特のものです。ヒトラー自身のことばおよび著者の分析から見えるのは「文脈や歴史を無視して、自分にとって都合の良い“文字列”を見つけ、部分引用をする」態度です。こうした「知のパッチワーク」によってヒトラーは自分の内部の空虚さを埋め、周囲に虚仮威しを繰り返していたようです。結局それは「他者の知性と尊厳に対する侮蔑」でしかなかったのですが。
 労作です。なにより視点が独特な本で説得力があります。本と歴史が好きな方は、お暇があったら、ぜひ。