【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

水防

2011-04-08 18:44:08 | Weblog

 これからの堤防は、山からの洪水と海からの津波と陸からの汚染水とを防ぐものでないと、だめなのかな?

【ただいま読書中】『奥尻 その夜』朝日新聞「奥尻 その夜」取材班、朝日新聞社、1994年、1165円(税別)

 “その夜”午後10時17分11秒、奥尻島から北西約60km、深さ34kmでマグニチュード7.8の地震が発生しました。地震波は14秒で奥尻島に到達、島に設置された地震計の針を振り切ります。停電、崖崩れ、そして「津波が来る」の声。
 札幌管区気象台は、北海道日本海側に大津波警報を出します。大津波警報は1983年の日本海中部地震以来のことでした。奥尻町役場は独自の判断で10時20分に、気象庁より2分・NHKより4分早く、行政防災無線で全島の住民への避難勧告を始めました。しかし、津波は猛スピードでやって来ました。第1波は10時20分、そして大津波はそれから2分後に。
 そこにあったのは「津波てんでんこ」の世界です。「着替えてから」「靴はどこだ」と探していた人は波に呑まれます。「ちょっと待って」と言った人、それを待った人も津波に呑み込まれます。「ちょっとお祖母ちゃんが心配だから」と寄り道をした人も。津波の前に「ちょっと」はないのです。奥尻島は日本海中部地震でも津波に襲われていました。しかしその時の波の高さは4m。時間的にも余裕がありました。それでも死者が二人出たのですが、その時の体験がかえってアダになったのでしょうか。津波を甘く見たのか、ぐずぐずして逃げ遅れた人が多かったようなのです。実際に、助かった人の調査では、生死を分けたのは海岸からの距離ではなくて、地震直後すぐに高台に逃げたかどうかだったのです。なにしろこの時の津波が到達した最高の高さは30.5mだったのです。
 津波に襲われた町は、火にも襲われました。瓦礫の山のあちこちで灯油タンク(家庭用の屋外タンク)が爆発します。島全体に消防車は10台ありましたが、道路は寸断され消防自動車は動かせず応援は来ません。消防団員も集まれません。青苗地区で起きた火災は11時間燃え続け、189棟、約1万9千平方メートルを焼き尽くしました。
 奥尻には航空自衛隊の分屯基地がありました。丘珠や倶知安からそこを目指して自衛隊のヘリが飛びます。札幌の日赤は地震発生から30分以内に動き始めました。受け入れ体制の整備をし、緊急派遣チームを待機させます。市立函館病院の救護班も準備しますが、北海道側が霧のためヘリがなかなか飛べません。結局朝になってやっと救護班を乗せたヘリが離陸できました。
 翌朝、町役場の保健師は、孤立した松江地区に漁船でアプローチします。精神的ショックだけではなくて、ふだん飲んでいる薬がないため不安を訴える人も多くいました。
 空港で自衛隊のヘリ(と医者や看護師)の到着を待ちわびている人たちの前に、一番に現われたのはNHKのヘリでした。たまたま島内にいたNHKの取材班のビデオテープをピックアップするためです。その後も多数の報道機関のヘリがやって来ましたが、医者や看護師を同行させたヘリは一機もなかったそうです。
 島には5つの「孤立防止用無線」(電話回線が切れた時でも北海道と連絡ができる回線)が設置されていました。ところが全島が孤立することが想定されていなかったため、回線は一つだけ。どこか一つが話をしていたら、他の無線は使えないのです。ただ、防災行政無線は威力を発揮しました。町役場と桧山支庁の連絡ができたのです。
 島では、燃料も水も失われました。タンクも簡易水道も破壊されたのです。港は瓦礫や沈んだ車のために船が接岸できません。
 町役場・北海道警察・自衛隊の反応の早さには瞠目します。情報が限られているどころか、ほとんど情報がない状態でも、最悪の場合を想定して準備と行動を始めるのですから。それでも現実はその「想定」を越えてしまったのですが。それに対して、「情報がない」ために何もできない東京の人間や、「それでもこれをするしかない」と選挙運動を続ける候補者も登場します(ちょうど衆議院選挙中でした)。ずいぶん対照的です。
 東日本大震災では、この「奥尻島」が、津波が押し寄せたすべての集落で繰り返されたわけです。私は一瞬呆然とします。本書を見る限り、東日本大震災で何が起きるかの“予告”が、奥尻でほとんどすべてされているではないですか。一体我々は「過去」から何を学んで、そしてなぜそれを生かすことができなかったのでしょう。



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窒素ガス

2011-04-07 18:55:18 | Weblog

 原発に窒素ガス、と聞いて連想したのは、イエローハットかオートバックスで熱心に勧められた「タイヤに窒素ガスを」です。いや、私はやりませんでしたけれど。
 爆発的なアイデアを思いついてしまいました。どうせなら液体窒素を注入したらどうです? 「窒素ガス」だけじゃなくて「冷却」もできそうですが。爆弾を凍らせて処理する爆破物処理班じゃないって? というか、気化による圧力上昇で文字通り爆発的になりそうではありますが。それ以前に、冷却ショックで格納容器が壊れちゃうかな。

【ただいま読書中】『魔女狩り人の復讐』ジョン・ベレアーズ 著、 三辺律子 訳、 アーティストハウス、2002年、1600円(税別)

 「ルイスと魔法使い協会」の第5弾です。
 1951年6月、ルイスはジョナサンおじさんとヨーロッパ旅行の最中です(親友のローズ・リタは足首の捻挫でアメリカに居残り、この時期にお隣さんのツィマーマン夫人と別の冒険をしている最中でした)。二人が訪れたロンドンは空襲の記憶が新しく、まだ配給制度がしかれたままでした。楽しい見物の後、二人は親戚のバーナヴェルト家(本物のマナーハウス。ルイスたちの遠い先祖が住んでいた家)を訪れます。そこでルイスは感じます。「この屋敷は、邪悪だ」と。
 清教徒革命の時代、屋敷の当主マーティン・パーナヴェルトは「魔女狩り人」プルイットによって告発され拷問を受けました。魔女狩り人が急な病で倒れたために告発は中途半端に終わりましたが、没収された財産を取り戻すのには長い歳月が必要でした。そして、そのことを書いた古い本を読んでいたルイスは、屋敷の秘密が、庭園の生け垣の迷路の中にあることを知ります。ルイスは、屋敷で得た新しい友人バーティと深夜の探検に出かけ、そこで邪悪なものを解き放ってしまいました。正体の分からない邪悪な影が屋敷を覆います。それに対して戦いを挑むのは、男の子二人。ただし一人は事故で視力を失っています。
 嵐に襲われ停電した屋敷で、ルイスは、真の「魔女」は、魔女狩り人のプルイットであることを知ります。そして、それを見破ったマーティン・パーナヴェルト自身もまた魔法使いであったことを。屋敷は邪悪な魔法の支配下に入ってしまいます。しかし、ルイスは、ありったけの勇気をかき集めて行動を開始します。
 おおルイス君、しばらく見ない間に君はずいぶん成長したんだね。男子三日会わざれば、です。本筋には関係ないかもしれませんが、健康的な生活のせいか、ウエストもベルトの穴二つ分縮まってます。脱メタボ。さらに、大切な秘密を信頼できる人に打ち明けること、そして、自分が臆病であることも打ち明けることができるようになっています。さらにさらに、これまでは常に誰かに助けてもらうばかりだったのに、こんどは、魔法にはまったく素人で盲目のバーティをリードする役割を与えられ、それをなんとかこなそうと努力をするのです。
 ルイス君、おじさんは君の成長が、嬉しいよ。



修学旅行

2011-04-06 18:46:07 | Weblog

 「一体これでどんな『学』を修めることができるんだろう」と現役の学生時代には不思議でした。おっと、今でも不思議です。
 18~19世紀の英国では、貴族の子弟が国際的な見聞を広めるために長期間(半年~1年、あるいはそれ以上)ヨーロッパ大陸を家庭教師と共に旅をして回る「グランド・ツアー」が行なわれていました。それが日本に導入されて、日本お得意の“盆栽化”が行なわれた、ということなのでしょうか。ちょうど「レモネード」が「ラムネ」に、「シードル」が「サイダー」になったように。

【ただいま読書中】『印籠と薬 ──江戸時代の薬と包装』服部昭 著、 風詠社、2010年、1429円(税別)

 「水戸黄門」で「印籠」は日本人に広く認知されていますが、もともと中国では文字通り「印判入れ」でした。それが日本では印判だけではなくて食物入れ(重箱のようなもの)や床の間の置物として用いられ、やがて小型化して携帯用薬入れとなりました。そこには茶の湯の影響(たとえば棗)もあるそうです。江戸時代を通して印籠は薬入れとして使われましたが、江戸前期には装身具としての機能もありました。贈答品として多く用いられたのは、元禄から幕末まで。例外的に、仏像を組み込んだもの(移動厨子)や、徳川斉昭のように懐中時計を印籠に組み込んだ人もいました。
 各地で特色ある印籠が製作されましたが、その一つ「琉球堆朱」は1968年の琉球切手に取り上げられています(なお、切手に取り上げられた印籠はこの一つだけだそうです)。製作上のキモは、気密性です。薬を長期間保存するためには蓋と本体がぴったり合う職人の技が示されたのです。
 旅人は薬を何種類も携行しましたが、そのすべてが印籠には入りません。そこで袋や懐に入れることになります。複数の薬を所持するのに便利だったのが「紙」でした。量や形に関係なく包みやすいし内容表示もできます(膏薬には蛤の貝殻が愛用されました)。江戸時代には「鼻紙」ということばが使われたことから分かるように、紙は庶民レベルにも普及していました。戦国時代にやってきた宣教師も、日本での紙の豊富さ(と質の高さ)には驚いています。薬を直接包む紙は、「能書き」も兼ねていました。もともとは火薬を包むための紙が転用された、という説もあるそうです。さらに、薬によって特定の包み方(「折り形」)があり、著者はそこに呪術的な効能も認めています。「能書き」は、薬の使用説明書であり広告でもありました。さらに著者は、江戸庶民の識字率の高さに注目しています。能書きが機能するためには、それが読めなければならないのですから。
 薬の保存容器として、ガラス瓶も江戸末期には使われるようになりましたが、本格的なものは明治からです。これも最初はコルク栓で、金属のネジ蓋がつくようになったのは昭和になってからでした。ただ、江戸のガラス瓶というのは、なかなか味があります。江戸だけではなくて大坂・長崎でも製造されていました。式亭三馬は文化八年(1811)に、ガラス瓶に入れた化粧水「江戸の水」を売り出しています。ガラス瓶の市販薬は明治になってからですから、先駆者と言って良いですね。



普通

2011-04-05 19:12:23 | Weblog

 「普通であろうとすること」はつまり「大多数と同じ」わけです。ということは、その人のアイデンティティはどうなります? 「他人と同じであること」だったら、自己同一性じゃなくて他者同一性になっちゃいますが。

【ただいま読書中】『スイス銀行』T・R・フェーレンバッハ 著、 向後英一 訳、 早川書房、1972年
http://www.amazon.co.jp/gp/product/415050041X/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&tag=m0kada-22&link_code=as3&camp=767&creative=3999&creativeASIN=415050041X
 発行年を見たらわかりますが、本書は「グローバリゼーション」などはまだ影も形もなかった時代のお話です。当時「スイス(の)銀行」は秘密のベールに包まれていました。徹底した秘密主義とスイス国内法に守られていたのです。そういえばゴルゴ13も、スイス銀行を利用していましたね。
 当時スイス・フランの金準備率は135%、ドルやポンドに匹敵する国際通貨で、鉄のカーテンの向こうへの影響力も持っていました。スイスは、西洋的な意味での民族国家ではありません。ゆるやかな民族的結合を基礎とし、資源に乏しく中央政府は弱体です。それなのにスイスは、西ヨーロッパでは最も安定した社会を維持しています。豊かな自然と国際金融のセンター、それを兼ね備えた不思議な国なのです。
 宗教改革でスイス人が学んだのは「勤勉」「貯蓄」「正直」でした。ただし道徳の強制はありませんでした。これによってブルジョア的銀行商売が発展します。ヨーロッパで起きた革命や戦乱と産業革命はスイスを素通りしていきました。スイス人は(しぶしぶと)連邦政府を作りますが、大きな権限は与えませんでした。
 19世紀に近代的な銀行がスイスに導入され、スイスの工業化に貢献するだけではなくて、国際的な金融センターとしての役割も果たすようになります。ヨーロッパでは企業(と銀行)の大型化が進みますが、スイスでは各州の独立性が強すぎて、メガバンクは出現しませんでした。スイス中央銀行は1907年に設立され1910年に紙幣発行権を独占しましたが、その株の半分は各銀行・残りの半分は個人(スイス人に限定)が所有する私営企業でした。そして、中央銀行が持つ各銀行に関する情報は、政府に対してさえ秘密にされました。第一次世界大戦は世界に大きな変化をもたらしましたが、それはスイスを素通りしました。この戦争は「悲劇」でしたが、真の悲劇は「戦争が何も解決しなかった」ことでした。戦争・破産・共産革命などに怯える人たちは「変化しないスイス」に気づきます。そして、世界中の金がスイスに集まるようになりました。
 ヒトラーは、銀行そのものを胡散臭く思っていましたし、個人で外国と取り引きをするドイツ人は売国奴と見なしていました。そこでゲシュタポの工作員をスイスに送り込み、スイス銀行に口座を持つドイツ人がいるかどうかを探らせました。工作員は謀略や買収で工作に成功し、その結果何人ものドイツ人が死刑になってしまいました。スイスの対応は迅速でした。1934年のスイス銀行法で、それまで「慣行」であった秘密厳守を刑法で守ることとしたのです(法律は、自国の政府さえも例外としていません。スイス大統領でも秘密口座の名義人を知ろうとしてはいけないのです)。さらにスイス国内法に違反していない限り、外国の官憲に協力しないことも定められています。“敵”はドイツだけではありませんでした。アメリカ商務省もスイス銀行がドイツ資産のカモフラージュに協力しているに違いないと疑いをかけ、アメリカ国内のスイス銀行の資産を凍結します。アメリカの要求は、スイス国内法の変更。さらに連合国側の「ドイツを完全な廃墟にする」という決心を持った者が事態を硬化させます(たとえば45年10月の布告第5号は、四国管理理事会が「ドイツ市民の私有財産」の完全管理権を持つ、と定めていました。理論的に無茶ですし、国際法違反です)。アメリカとスイスの争いは泥沼化しますが、冷戦の影が双方の頭を冷やし、妥協がなります。結果としてスイス銀行の信用は保たれ、外国の金の流入がまた始まります。
 イスラエルも“金庫の扉”をこじ開けようとしました。ナチスに一家全部を殺されたユダヤ人の財産が相続人のないまま手つかずのままあるはずだ、と。結局これも真相は闇の中です。ただ、戦後急に裕福になったスイスの弁護士がいるそうですが。
 独裁者、ギャングなどもスイス銀行の顧客です。しかし、そういった話だけがアメリカで広まってしまって、スイスの銀行の真っ当な商売までもがアメリカでやりにくくなっているのは、なんともお気の毒。ただ、スイス銀行は金を寝かしておくことは好みません(国内に投資先はあまり無いのですから)。預金者の意向を受けて国外投資をします。すると「スイス銀行のせいで所得税を取りはぐれた」と怒っているアメリカやヨーロッパの市場に投資されてそこで源泉徴収を受けているわけで、結局は税金は取れている可能性が大だったりするのです。
 国境を越えるのは、商人・兵隊・金、最近だったら、NGOに放射能。「国境」というものが、世界に何をもたらしているのか、なんだか不思議な気分になってきました。世界に不自由を強いることでかえって活力が増すように機能しているもの?



観覧車

2011-04-04 18:48:02 | Weblog

 観覧車の魅力は、その遅さと高さでしょう。
 ちょっと発想を変えて「下」への観覧車なんてのはいかがでしょう。たとえば水族館付属の観覧車で、乗り込むのが円弧のてっぺんになっていて、そこから下へ降りていきそのまま水中へ。もちろん水密構造です。ゆったりと水の中でお魚さんを眺めてからまたしずしずと上に戻っていきましょう。
 問題は、事故の時にどうするか、ですが、とりあえず切り離し用の爆破ボルトでぷかぷかと浮いてもらう手段をメインにして、それがうまくいかなかったときのために中に非常用酸素吸入器(007がくわえたやつ)でも設置しておきましょうか。
 しまった、水槽になぜかサメが!

【ただいま読書中】『カフェ ──ユニークな文化の場所』渡辺淳 著、 丸善ライブラリー、1995年、641円(税別)

 2009年12月23日に読書日記で書いた『コーヒーとコーヒーハウス ──中世中東における社交飲料の起源』(ラルフ・S・ハトックス 著、 斎藤富美子・田村愛理 訳、 同文館、1993年)では中東のコーヒーハウスについて詳しく論じられていましたが、本書のその後、ヨーロッパにコーヒーとコーヒーハウスが広まってからのお話です。
 江戸時代に、日本人は「海外」に一種独特の憧れを持っていました(その残滓は現代にも残っているように感じます)。それと同様に、近代のヨーロッパ人もイスラム圏に一種独特の思いを持っていました。その一つが「コーヒー」です。だからでしょう、コーヒーが安定して供給されるようになると、ヨーロッパの各所にコーヒーハウスも林立することになりました。ただ、地域差があります。ロンドンのコーヒーハウスは紫煙もうもう、しかしパリのカフェの多くは禁煙でした(店内がヤニで汚れることが嫌われたのだそうです。だから戸外のテラス付きのカフェが多くなったのかもしれません)。なお、イスラムと同様ロンドンのコーヒーハウスははじめ男専用だったそうで、そのためか政治談義も盛ん、権力者からは煙たい存在だったようです。パリのカフェは、はじめは文学や哲学系のサロンで、ついで政治的な集会所になり、革命後はまたサロンに戻っていったそうです。
 ウィーンのカフェには有名な“伝説”があります。トルコ軍の包囲が解けたときに、コーヒーがもたらされた、というのです。ナポレオンの大陸封鎖令がエスプレッソの生みの親、という話もあります。コーヒー豆がヨーロッパに払底し、カフェ・グレコの主人はコーヒー茶碗を小さくしてサービスした、それが起こりなのだそうです。
 ヌヴェリスト(日本だったら瓦版屋)もカフェを舞台に活躍しました。ニュース・ゴシップ・作り話、客に受けるものなら何でもありです。カフェのメニューも各店で工夫があります。18世紀のパリでは、イタリアから入ってきたアイスクリームやリキュール入りのシャーベットを売り物にする店もありました。
 パリのカフェに「ガルソン」はつきものだそうですが、初期のガルソンは文字通り「少年(ガルソン)」だったという説があります。もっとも長く勤めているうちに高齢化してはいくのですが。なお「ガルソンから店主へ」というのは、「出世コース」の一つだそうです。
 19世紀には、アブサンが流行し、また、芸人の余興付きのカフェ(カフェ=コンセール)が増えます。飲食つきの小劇場のようなものです。ムーラン・ルージュももとはこのカフェコンスだったそうです。
 日本でも19世紀にコーヒーハウスができています。1888年の上野の可否茶館です。ただ、コーヒー以外にもアルコール飲料や軽食を出す「カフェ」は1911年の銀座「カフェ・プランタン」「カフェ・ライオン」「カフェ・パウリスタ」が最初期のものです。大正デモクラシーの時代には、女給つきのカフェが流行りますが、昭和になるとそれらは風俗営業のバーやキャバレーか、あるいは「喫茶店」になっていきます。
 20世紀のパリ。『パリは燃えているか』でもヘミングウェイが良い味を出していましたが、本書でも存在感があります。なんだか急に『移動祝祭日』が読みたくなってきました。
 ダダイズムや実存主義(の担い手)もまたカフェと密接な関係を持っています。実存主義の影が薄れると同時にカフェと文芸(の特に創造)との関係は薄れていきます。それでも、社会的ヒエラルキーを無視して人が交流できるユニークな文化の場所であり続けているそうです。日本ではそういった、文芸とカフェのような施設との幸福な関係ってありましたっけ? というか、日本の文化で、そうやって人が自由に交流する「場」から発展した文化活動(とその成果)ってどんなものがあったかなあ。



F1

2011-04-03 18:25:38 | Weblog

 先週の日曜に録画していたオーストラリアF1グランプリをやっと今日見ることができました。これは今シーズンの第2戦。第1戦は3月13日だったのですが、録画どころかそれがあったことさえ忘れていました。ところが、第1戦のバーレーンは、政情不安ということで開催中止になっていたんですね。それさえ知りませんでした。おかげで「今年の開幕戦」を見ることができたわけですが。
 そういえば「もしドラ」(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』)のアニメも、震災の影響で吹っ飛ばされていて、結局4月25日からの放送になっています。これも録画するのを忘れないようにしなくっちゃ。

【ただいま読書中】『バカボンのパパはなぜ天才なのか?』斎藤孝 著、 小学館、2006年、1500円(税別)

 漫画を素材に「○○力」について述べよう、という本です。
 「ゴルゴ13」は「段取り力」。「天才バカボン」のパパは「言い切り力」。「空手バカ一代」は「集中力」「サバイバル力」。「ワイルド7」は「伝言力」。
 いやもう、懐かしい漫画が次々登場して、私はうるうるしてしまいます。しかもその分析が面白すぎ。
 で、けっこう真面目なものもさりげなく混ぜられているから油断ができません。「エースをねらえ!」なんか、「自分のプライド」を捨ててパブリックな視点から行動することの意味と効果、ですよ。いや、たしかにそういう読み方もできますが。
 「ビー・パップ・ハイスクール」は「本邦初のミーティングマンガ」だそうです。いや、たしかにそういった読み方もできますが。
 「寄席芸人伝」では「化ける」。「鉄腕アトム」(あるいは「どろろ」)はもちろん、アイデンティティ。「ベルサイユのばら」では、なんと、定年退職後の第二の人生の過ごし方。
 ちょっと数が多すぎて(全部で68のマンガが取り上げられています)目次を紹介するのも大変だから省略しますが、そのほとんどのマンガのことがわかる(少なくとも「なつかしいなあ」と呟くことができる)私って、やっぱり何か、変?




小言幸兵衛

2011-04-02 17:54:32 | Weblog

 「小一時間説教をしてやる」は少し前の流行ことばですが、図書館に行ったら書庫の受け付けカウンターでそれをやっている人がいました。ずいぶん離れた席まで聞こえる声で、だらだらだらだら職員に“説教”をしています。私が入館したときにはすでにやっていてそのときから職員がうんざりした顔をしていましたからすでに5分や10分間ではなかったのでしょう。それから私が借りる本を選んだり検索をするのに20分ぐらい。その間もずっとお説教は続いていました。職員がうっかり口を挟むとリセットされてしまってまた最初からお説教が始まっています。しかし、図書館の運営方針とか震災が日本の文化に与える影響とかを、カウンターの職員に説いても何の意味もないとは思うんですけどね。さらに「利用者の利便性」に話が及んだところで私は口を挟みました。「ちょっと場所を空けてください。書庫を利用したいので」。それをしおに、その爺様は別室に連れて行かれました。職員に対してお説教はできても「利用者」のことばに対しては抵抗できなかったようです。
 回りをちらちら気にしていましたが、私がそばに立っても退こうとしなかったということは、「自分が迷惑をかけている」という自覚があったわけではなくて「そうだそうだ」という応援団でも待っていたのでしょうか。お気の毒様。私は本当に書庫から本を6冊出して欲しかったのです。
 私は、世間一般の平均的な人よりは図書館に行く方でしょうが、それでも人生の大部分は図書館以外で過ごしています。そんな私がたまに図書館に行くと、きわめて高率に「変な行動をする人」に出会うということは、図書館には“そんな人”がしょっちゅう集まっている、ということなのでしょうか。
 ……ということは、もしかして私もその一員(候補)?

【ただいま読書中】『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』アガサ・クリスティー・マローワン 著、 深町眞理子 訳、 早川書房、1992年、1553円(税別)

 考古学者は過去にこう問いかけます。「さあ、あなたたちがどのように暮らしていたかを話してくれない?」と。著者は考古学者と結婚後シリアでの発掘作業に同行しました。本書は、その発掘に関する著者の最初のノンフィクションです。ただし、「歴史」とか「文明批判」とか「学術」とかの話はあまり登場しません。描かれるのは「日常生活」なのです。
 まずは、シリア出発前の英国でのお買い物。そこで読者もすでに「著者の旅」に巻き込まれています。ユーモアたっぷりでテンポ良くたたみかけられる現在形の文章で、あれよあれよというまにオリエント急行でトルコへ、そして発掘現場へ。「大昔の日常生活」ではなくて「現在(といっても、たとえば汽車が現役で走っていた戦前の)日常生活」が優雅に描かれます。もっとも、優雅なのは文章で、その実相は、腹をこわし熱を出して炎天下で寝込んだり、多数の鼠やゴキブリや蚤が“夜間運動会”をする部屋で眠ろうとしたり、のけっこうキツイものなのですが。
 しかし、鼠の所で登場する「プロの猫」のクールなこと。すごく魅力的な登場人物、もとい、登場猫です。
 定期的な労働がアテにならない労働者(給料をもらうとさっさと辞めてしまい、金を使い切ったらまた現われて雇ってくれと要求する、など)、「面目」と「評判」、簡単に起きる殺人事件、沈黙による会話、劣悪な生活環境、ちと難しい人間関係(“文化”が同じはずの欧州人同士でも、つきあいは難しいのです)、クルド人とアラブ人の(特に女性の)違い、感傷的な懸念とたくましい現実……著者のさまざまな体験や見聞が「断片」として本書には散りばめられます。一読、私が強く感じるのは「英国人の強さ」です。著者が特別強い女性なのか、とも思いますが、著者の夫やその仲間たちもまた、どんな逆境でもなかなか我を忘れることをしません。さすが大英帝国(の末裔)です。考古学の素人(でしかも女性)の目から見た、異文化と発掘現場の楽しめるレポートです。
 本書は、戦時下のロンドンで辛い体験をした著者が、平和な時期の戦前の体験を書くことで“日常”へ復帰しようとした試みの結果です。それと、「アガサ・クリスティー」が「マローワン夫人」でもあることを公に示そうとした本、とも言えます。私はさらに、現地の雰囲気のことも考えてしまいます。著者が生きていたのは、現地のキリスト教徒とイスラム教徒が、反目しつつも一緒に仕事をし、口げんかくらいは平気でできた時代でした。今そこは、どんな「日常生活」になっているのだろう、と。



とうでん

2011-04-01 18:36:08 | Weblog

 「盗電」ではなくて「東電」ですが、なにやらこの企業の先行きについていろいろな憶測が走っていますね。「焼け太り」が好きな政治家や官僚は、かつての「国策企業の民営化」にならって、「東京電力 → EJE(EastJapanElectricCompany)」とか看板を掛け替えて、それでまた新しい利権を、と画策しているのではないかしら?

【ただいま読書中】『太陽系辺境空域 ──ノウンスペース・シリーズ』ラリイ・ニーヴン 著、 小隅黎 訳、 ハヤカワ文庫SF348、1979年、400円

 目次:「いちばん寒い場所」「地獄で立ち往生」「待ちぼうけ」「並行進化」「英雄たちの死」「ジグソー・マン」「穴の底の記録」「無政府公園にて」「戦士たち」「太陽系辺境空域」「退き潮」「安全欠陥車」
 ラリイ・ニーヴンは「魅力的な場所」を見つける(あるいは作り出す)名人です。本書でも太陽系の中に、液体ヘリウムの生命体が生息する場所や730度の気温の場所を見つけてそこで「人間の脳が組み込まれた宇宙船」と「人間のパイロット」の掛け合い漫才をさせています。
 火星には火星人がいますが、人類はそんなのにはほとんど興味を示さずに自分たちの“生活”を送っています。この一種の“冷淡さ”が、著者の作品の魅力の一部なんだ、と私は感じます。
 驚いたのは「ジグソー・マン」。先週息子を話をしていて「刑罰として人体をばらばらにして臓器移植の材料にする、という社会を描いたSFがあったっけ。タイトルはなんだったかなあ」と言ったばかり。いやあ、こんな偶然ってあるんですね。
 やがて人類は太陽系外に進出します。ジンクス、ウンダーランド、ウイ・メイド・イット、フラトー、ダウン……なんだか“懐かしい”名前が並びます。さらに、地球外知性との出会いが。
 これまでも短編同士でのつながりが見えてはいたのですがそれは「連作」といった雰囲気でした。ここでやっと「未来史」の流れが見えるようになってきます。「時間旅行」「ファーストコンタクト」など有名なテーマがSFにはありますが、この「未来史」も「SFのテーマ」の一つです。ただ、他のテーマと違うのは「アンソロジーが組みにくい」こと。なにしろどの未来史も長大な「歴史」ですからね、本を一冊読む程度でその概要がつかめるわけはありません(もしつかめたらそれは薄っぺらい「歴史」です)。しかし、各作家のそれぞれの未来史を読むためには「全集」が必要になるわけで、今から系統立って読む余裕は私にはありません。こうやってときどきその断片を楽しむだけにしましょう……と言いつつ、『中性子星』が手近にあったよなあ、なんて思っているのです。