現在の職場では、私には大体20分または30分刻みでスケジュールが入っています。これが現在の私には最大効率を発揮させるのにとても良い「時の刻み」なんです。若い頃には1時間くらいは集中力が続きましたが今はもう若くありませんから、こうやって「ダッシュ!」気分転換「ダッシュ!」」というパターンがよろしいの。それでも、午後にびっしりお仕事が入っていると、「終業時刻はまだか」と悲鳴を上げたくはなりますが。
【ただいま読書中】『近世菓子製法書集成(1)』鈴木晋一・松本仲子 編訳注、平凡社、2003年、3000円(税別)
江戸時代のお菓子のレシピ集です。本書に収められているのは「古今名物御前菓子秘伝抄」(享保3年(1718))「古今名物御前菓子図式」(宝暦11年(1761))「餅菓子即席手製集」(文化2年(1805))「菓子話船橋」(天保11年(1840))。江戸時代を代表する菓子製法書としては「古今新製菓子大全」が知られているそうですが、これは「古今名物御前菓子秘伝抄」と「古今名物御前菓子図式」の合本だそうです。
私が好きな「羊羹」は「古今名物御前菓子秘伝抄」では「やうかん:小豆のこし粉一升に、白砂糖にても黒砂糖にても三合入、葛の粉一合、小豆の粉弐合入、ませ合、一尺四方の箱、高さ弐寸程の箱へいれ、むし、二時ほとさまし、形はいろいろにきり申候」。「古今名物御前菓子図式」では「匕羊羹(すくひやうかん):小豆のこし粉、水気をよくしぼり、百目、葛の粉廿匁、うどん粉廿匁、塩見合。白沙糖二百目に水五合入れ煎じ、塵と砂を濾、右の四味を引鉢にて揉合せ、右の煎沙糖少宛入れ、もみ合せ候て、外に水弐合入れ、右の水合て七合をよくかきまぜ、甑の内に、四角なる箱のさし底のなき篗(わく)を置、木綿の敷布水にひたし、わくの内へ敷、尤、蒸釜の上にかけ置、右のやうかんを流し入れ、随分かたまる迄つよく火を焼て蒸なり。能蒸り候へば、ふき上がる也。其時しばらくさまし、金杓子を水にぬらし、菓子椀に装出す。尤、寒気の節、茶菓子に宜し」とあり、さらにそれに続けて「羊羹:上の通に拵、葛三匁引、うどん粉五匁引、水八合にして、其外右に同断。しかし、つめたく成までさまして宜し」。
同じ名前のお菓子なのに、随分レシピが違うものです。店とか地方によってやり方が違っていたのかもしれません。あるいは時代の違いかな。ともかく18世紀には上質の砂糖がふつうに手に入るようになっていたことがわかります(それでも異物の混入はあったらしく、「古今名物御前菓子秘伝抄」の「有平糖」では準備として「上々の氷砂糖を一度洗っておく」と指示があります。今の料理レシピでそんな指示はしませんよね)。
「餅菓子即席手製集」では十返舎一九が序文を書いていますが、編者はその序文にも、本体の文章に厳しい態度です。「わけがわからない」とか「ひどい宛字をしたものだ」とか。たしかに「やうかん」を「羔寒」ですからね。これだと「こうかん」です。
「菓子話船橋」では「蒸羊羹」「難波羹」「練羊羹」「小倉羹」と羊羹が分化しています。かつて羊羹は「羊羹」「砂糖羊羹」に分類され、甘葛が使われなくなって「砂糖羊羹」だけになることで「砂糖」が取れてただの「羊羹」1種類になりました。それが、寒天を用いる練羊羹類が作られるようになってそれまでの「羊羹」がわざわざ「蒸羊羹」と呼ばれるようになったのです。他のお菓子についてもわかりやすく書かれていて、これは江戸時代にはお菓子作りをする人たちには“聖書”扱いをされていたかもしれません。
ここでは羊羹に注目して通読しましたが、それぞれの書物に何十というお菓子が載っています(「古今名物御前菓子秘伝抄」などは105種類)。江戸の人間がこんなものを食べていたのかと想像するだけで、何か甘いものが欲しくなってしまいました。そういえば食糧貯蔵庫に羊羹が一棹あったっけ。
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