【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

主食

2011-04-30 22:01:24 | Weblog

 「主食」という概念は日本ではごく普通のものですが、これは副食が貧しかった事による産物かもしれません。「おかずを一口食べたら必ずご飯に戻る」と私は子供時代に躾けられましたが、おかずが質量共に貧弱で、ご飯を食べる回数と量を増やさないと食卓の上の食器の空き具合にアンバランスが生じてしまう、だから「ご飯がメイン(おかずよりも頻繁に箸をつける必要があるもの)」と位置づける必要があったのではないでしょうか。今は一汁三菜とかおかずがたっぷりとかが普通ですから、昔の食べ方をやったらこんどは茶碗が先に空っぽになってしまいます。さて、「主食」じゃなくて、別の概念(とマナー)が今の日本の食卓には必要なのかな?

【ただいま読書中】『ちゃぶ台の昭和』小泉和子 著、 河出書房新社、2002年、1500円(税別)

 私は「ちゃぶ台」で育った口です。二間の小さなアパートで暮らしていましたが、夕食が済んだらちゃぶ台を片付けて、押し入れから布団を出す(夏なら蚊帳を吊る)、という生活でした。
 本書は「昭和」という時代を「ちゃぶ台の上に乗っていたもの」「ちゃぶ台そのもの」という切り口で見ています。豊富な写真を見ていると、懐かしくてたまりません。
 著者は私の親の世代の人ですが、「戦前にご馳走はたいてい家庭でこしらえたものだ」として、その例としてあげられるのが「刺身」「天ぷら」「すき焼き」「五目ずし」「おはぎ」……ああ、共感してしまいます。私が育った地域では「五目ずし」ではなくて「ちらし寿司」と呼んでいましたが、本書に載っている写真とそっくり。それがご馳走だったのも、同じ。
 戦争中の代用食も「実際に食べた者」の強みでしょう、リアルな描写です。野草どころか、松の皮や松の花粉、藁など何でも食べて「まさに牛なみである」と言うところでは、笑ってしまいました。戦後の配給もひどいもので、昭和22年には欠配が20日、当然闇米が跳梁するので取り締まりのため列車には武装警官が乗るようになります。配給の内容もでたらめで、著者はサトウキビ(の長いまま)を隣組でリヤカーに積んで持って帰ったことがあるそうです。国民の平均摂取カロリーが1352Kcalという飢餓寸前の状態だったため、アメリカ軍の放出物資も配給されましたが、中には食品ではないもの、たとえば著者の家には缶詰のシェービングクリームが配給されたことがあるそうです。(当時の悲惨さから、日本人のタンパク源としてアメリカから勧められたのが、南氷洋の捕鯨だったと私は記憶していますが、本書では昭和27年にまず北洋漁業が再開されそれで鯨が食卓に上るようになった、とあります。ちなみに、魚肉ソーセージが本格的に生産されるようになったのも昭和27年)
 戦前から洋食はありましたが(カレーとかフライ)、戦後は家庭料理の洋食化が進みます。インスタント食品などの工業化も進みました。昭和40年代から鍋物が盛んに行なわれるようになります。このへんの記述や写真は「私の子供時代」そのものです。自分が、何をどこで誰とどんな風に食ってきたか。食事の洋食化とともに生活も洋風化し、食事をするお茶の間はダイニングへと変っていきます。そういえば私の家族もダイニングルームがある家に引っ越しをしてちゃぶ台ではなくてテーブルを置く生活になったのが昭和40年代のことでした。
 日本人がちゃぶ台を使うようになったのは、明治以降です。それまでの日本の伝統は「銘々膳」でした。各人の「身分」にふさわしいお膳を用いる制度です。「ちゃぶ台」は「卓袱台」とも書きますが、「卓袱(しっぽく)」はテーブル掛け(または中国風のテーブル)のことだそうです。卓袱料理は長崎で生まれ、享保年間には京や江戸にも卓袱料理屋が生まれましたが、それはあくまで“異空間”でした。ちなみに、幕末期に外国人使節を料理でもてなすとき、テーブルを用意しましたが、その上にさらに相手の“身分”に合わせた銘々膳を置いたそうです。明治に入って洋風化と同時に「テーブル」が導入されましたが、それが「ちゃぶ台」となって一般家庭に広まるのは明治30年代後半以降と著者は推定しています。「一つの食卓を皆で囲む」西洋文化と「畳に座って食べる」日本文化との折衷ですが、重要なのはそれが「庶民のもの」だったことです。庶民のものだからこそ、生活の根っこから日本文化を変革していったのです。たとえば一家団欒(銘々膳の世界では食事中は沈黙、がルールでした)、あるいは毎食ごとの食器洗い(銘々膳ではせいぜい3日に1回、あるいは月に3回洗うだけでした)。ただ「一家団欒」は、すぐにテレビに負けてしまいましたが。
 昭和30年から建設が始まった公団住宅は一戸あたり13坪。当時の住宅の平均より1坪大きいのを利用してダイニングキッチンを作りました。食寝分離です。公団住宅は当時の憧れの的。ダイニングキッチン(とダイニングテーブル)も日本に普及していきます。ちなみに「サザエさん」でちゃぶ台がテーブルに変るのは昭和44年のことだそうです。もっともお茶の間にちゃぶ台はそのまま残されて、お茶を飲んだりするのに使われていたそうですが。家が広かったんですね。
 本書には「マンガに登場するちゃぶ台」の章もあります。ちゃぶ台返しのシーンも登場します。いやいや、なつかしいなあ。