高校性500人が渋谷で「戦争法案」反対 2015年08月03日 | Weblog 渋谷で高校性5000人「戦争法案」反対。すごいですね、高校性の若い力です。 原水爆禁止2015年世界大会もはじまりました。 平和への力が大きく広がる夏にしたいです。 睦沢町でも8月23日には、町の中央公民館で被爆写真展、被爆者のお話、フクシマ原発事故の現地からの報告、うたごえなど多彩に行います。 « 若い方が社会を動かす時代に | トップ | 友人夫婦も9条扇子作り »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 高校生 ですが…… (K市のSです。) 2015-08-03 19:28:41 まだまだこの国も捨てたものじゃないですね。 強行採決については安倍内閣が成立した時から予測されたことです。「審議が尽くされていない」との批判がありますが、なに「審議が尽くされた」法案なんか過去に見たことがありませんし、少数意見の切り捨てこそがわが国政権政党の得意技・お家芸です。今回もアベの考えというよりは、遺伝子のなせるわざでしょう。 じいさんは狡猾でしたし、おじさんは密約に長けていました。なにしろ、アメリカ側の公開資料によれば「日本には日本を守るための米軍基地はない」そうなのに、この方々は「日本の防衛に米軍基地は不可欠」と言い続けてきたのですから、誰のために政治を行っているかは明らかでしょうし、アホノミクスとも言われる経済政策もどきも誰のためのものか考えれば、少なくとも日本国民の多数のためのものでないことはわかりますね。 そもそも『違憲状態』(ということは違憲ということです。)による選挙制度で選ばれた議会・政府が違憲の政治・立法を行うのは必然のようなもので、問題は、この四代にわたる長州政権は、国民に対する「説明責任」の概念が欠落していることにあります。もちろん、意図的に欠落させているのだと思いますが、秘密のうちにことを運びたいという遺伝子でもあるのでしょう。この秘密の中で「騙されるのか好き」なのか共同の利益があるのかわかりませんが、そんな方々が彼らの選挙区民の多数なのではないでしょうか。 『民主主義は,国民のレベル以上の政府を持つことはできない』の言葉は一面の真実で、だからこそ我々は勉強しなければならないのです。 さて、捨てたものでもないのは、少なくはない若者が、今回の法案に疑問を持ち、反対の声を上げ始めたことです。国会前に出向かないまでも、自主的な学習会も増えています。その火を消さないように努力したいと思います。 返信する Unknown (市原時夫) 2015-08-06 11:12:19 さまざまな圧力がかけられても立ち上がる高校生の運動は、「民主主義のレベルを上げる」意味でも歴史的な広がりなのでしょうね。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
強行採決については安倍内閣が成立した時から予測されたことです。「審議が尽くされていない」との批判がありますが、なに「審議が尽くされた」法案なんか過去に見たことがありませんし、少数意見の切り捨てこそがわが国政権政党の得意技・お家芸です。今回もアベの考えというよりは、遺伝子のなせるわざでしょう。
じいさんは狡猾でしたし、おじさんは密約に長けていました。なにしろ、アメリカ側の公開資料によれば「日本には日本を守るための米軍基地はない」そうなのに、この方々は「日本の防衛に米軍基地は不可欠」と言い続けてきたのですから、誰のために政治を行っているかは明らかでしょうし、アホノミクスとも言われる経済政策もどきも誰のためのものか考えれば、少なくとも日本国民の多数のためのものでないことはわかりますね。
そもそも『違憲状態』(ということは違憲ということです。)による選挙制度で選ばれた議会・政府が違憲の政治・立法を行うのは必然のようなもので、問題は、この四代にわたる長州政権は、国民に対する「説明責任」の概念が欠落していることにあります。もちろん、意図的に欠落させているのだと思いますが、秘密のうちにことを運びたいという遺伝子でもあるのでしょう。この秘密の中で「騙されるのか好き」なのか共同の利益があるのかわかりませんが、そんな方々が彼らの選挙区民の多数なのではないでしょうか。
『民主主義は,国民のレベル以上の政府を持つことはできない』の言葉は一面の真実で、だからこそ我々は勉強しなければならないのです。
さて、捨てたものでもないのは、少なくはない若者が、今回の法案に疑問を持ち、反対の声を上げ始めたことです。国会前に出向かないまでも、自主的な学習会も増えています。その火を消さないように努力したいと思います。