23日付け「毎日新聞」極限の行政欄に、「大合併スリム化が逆効果」の見出しで、石巻市役所の被災者の安否確認などの把握が、「自らも自宅や家族を失った職員が市役所の床に寝泊まりしながら避難者の対応に追われ。被災者が被災者を支援する極限の状態の中、住民の住所確認は後回しにせざるを得なかった」と報道してます。
そして、その背景として「国策の「平成の大合併」の結果・・・・行政を担うマンパワーが圧倒的に不足している」と指摘しています。
長生郡市の大合併が国・県の強引な押しつけですすめられていた、2003年3月、日本共産党長生郡市議員団は、ニュースを発行しました。
その中で「 『役場が遠くなる』『町村の職員は十数人に?』などで住民サービスの低下はさけられません。
合併協は『支所にして対応』と言いますが、総務省の合併モデルとされた、兵庫県篠山市の合併後の県の調査では『支所機能の低下と行政サービスの低下』を指摘しています。旧本納町の例をみれば支所が役場と同じ役割を果たせないことは一目瞭然です。」と指摘しました。
長生郡市は、住民の合併反対の世論の盛り上がりの前に破綻しました。
今回の被災地の行政の「パンク」状態は、これが単なる危惧ではないことを、多くの犠牲ななかで証明されたのではないでしょうか。
そして、その背景として「国策の「平成の大合併」の結果・・・・行政を担うマンパワーが圧倒的に不足している」と指摘しています。
長生郡市の大合併が国・県の強引な押しつけですすめられていた、2003年3月、日本共産党長生郡市議員団は、ニュースを発行しました。
その中で「 『役場が遠くなる』『町村の職員は十数人に?』などで住民サービスの低下はさけられません。
合併協は『支所にして対応』と言いますが、総務省の合併モデルとされた、兵庫県篠山市の合併後の県の調査では『支所機能の低下と行政サービスの低下』を指摘しています。旧本納町の例をみれば支所が役場と同じ役割を果たせないことは一目瞭然です。」と指摘しました。
長生郡市は、住民の合併反対の世論の盛り上がりの前に破綻しました。
今回の被災地の行政の「パンク」状態は、これが単なる危惧ではないことを、多くの犠牲ななかで証明されたのではないでしょうか。
読むことを薦められたS先生はまず「『近代国家』が個々の国民の幸せを追求したことは歴史的に一度もない。」とした上で、市町村合併は「首長や無能な議員を減らす意味がある、その他メリットはないわけではない」が「そのメリットは財政上の問題に限られ住民サービスに関しては必ず引き下げになるし、ならなかった例はない」と言われます。
「そんなこと(行政サービスの切り捨て)は、明治や昭和の大合併を見ればわかる。吸収でなくなった町村役場など今では跡形もないところは少なくない。そんなことは証明済みだし、公理定理は証明がいらない」と。また、「すべての人を満足させる政治はあり得ないのだから、どの政治家・官僚役人が住民サービスを低下させる政策提言をし、決定したのが、民主主義の美名に惑わされ機関・組織に責任を転嫁させず、個人の責任を明確に追求しなければ社会はよくならない。」と言われます。
そうなのかもしれず、厳しすぎるような気もします。
他方、個人情報保護は基本的人権の一つともされているようですが、こうした問題にはどのように考えられているのでしょうか?
S先生は「政治家や官僚、公開会社の役員にプライバシーなんかあるものか」といわれますが。
条件が整えば、一度大学で学びたいとも思っています。
それは、世の中を変えたいという想いで、20才から日本共産党員として、生きてきて、自らの総合的な力量の不足を感じているからです。
マルクスの『経済学批判』への序言・序説を読んでいます。
「人間の社会的存在がその意識を規定する」と述べています。ただ、一方で、意識は自らの社会的存在を変革する独自の意義と役割を持つということではないでしょうか。
制度・法律・慣習・常識等々を歴史的に発展的に全体的に考える必要があるのではないでしょうか。
「すべてを疑え」