母が2日に亡くなり、昨日葬儀を終えたところです。
3年入院して、医者からは年内と言われており、覚悟はしていましたが、さすがに、息を引き取った時は、頭が真っ白になり、実の娘の妻も混乱していました。
母は、美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」の仕事で休みなく働きづめでした。孫の面倒を見ながらも、田んぼ・畑・家の周りと、休んだ所を見たことがない、働きものの女性でした。
戦争の体験から、平和への思い、家族が仲良く暮らせる世の中へと、自分も加わり、日本共産党員として生涯を終えました。
突如、加わった私の生き方を理解して援助してくれました。それは小林多喜二のお母さんの姿とダブります。
自らの生き方を通して、人生を教えてくれた女性として、感謝の重いが溢れています。おかあさんありがとう。
3年入院して、医者からは年内と言われており、覚悟はしていましたが、さすがに、息を引き取った時は、頭が真っ白になり、実の娘の妻も混乱していました。
母は、美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」の仕事で休みなく働きづめでした。孫の面倒を見ながらも、田んぼ・畑・家の周りと、休んだ所を見たことがない、働きものの女性でした。
戦争の体験から、平和への思い、家族が仲良く暮らせる世の中へと、自分も加わり、日本共産党員として生涯を終えました。
突如、加わった私の生き方を理解して援助してくれました。それは小林多喜二のお母さんの姿とダブります。
自らの生き方を通して、人生を教えてくれた女性として、感謝の重いが溢れています。おかあさんありがとう。
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