2006年8月5日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> トップバッター 渡辺 範彦

 最近現代ギター誌で取り上げられ、「幻のライブ」と称してあるCDが発売になったが、その渡辺範彦さんがLPでデビューしたのは、私がまだ大学のころ。しかもまだ1年か2年のころであったと記憶している。
渡辺範彦ギターリサイタルと題したこのレコードがまだレコードとして発売になる前、荒井貿易がまだ地下鉄伏見駅の上にあったころ、そのビルの地下にギター喫茶「アリア」という私達ギターを弾くもののたまり場があったが、その暗い喫茶店の中央の小さなステージの上に、大きなテープデッキ(もちろんオープンタイプ)を持ち込んで、渡辺範彦さんのデビューレコードのマスターテープなるものを聴かせてくれたのは、当時荒井貿易にお勤めであった加藤隆さんという、私がその頃何かとお世話になったギターの先生だった。

その加藤さんが、ある時私が荒井貿易へ楽譜でも見に入った時だと思うが、「内生蔵君、いいもの聴かせてあげるワ」といって、先ほど言ったテープを聴かせてくれたのでしたが、最初に出たフレスコバルディの「アリアと変奏」から大変な緊張感を持って聴こえてきた。とにかく今まで私達が知っているギターの演奏とはまったく次元の違う何かが感じられた。ゆったり余裕をもって弾かれるのではなく、ゆったりしたテーマでも大変な緊張感をもって演奏されているのが、こちらにひしひしと伝わってくるような演奏と言ったらよいのか。とにかくおおらかに楽々弾いているのではないのが分かる。そんな演奏だった。しかしとにかく一音も不安定な音がない。確信をもって音を出しているのが分かった。まったくのノーミスの演奏だ。
紹介してくれた加藤さんも「すごい人が出てきた」と言って、しきりに感心しておられた。そのあとヘンデルとスカルラッティのソナタ、ソルの練習曲2曲、アストゥリアス、ヴィラ=ローボスの練習曲1番と前奏曲1番、トローバのソナチネ、ラウロのクリオール風ワルツ、と続き、最後にテデスコのタランテラで締めくくるまで、一気に聴かせてもらったが、とにかく手に汗握るというか、緊張の内にものすごい感動を味わったのを、今でもはっきり覚えている。特にラウロのワルツで長調に転調した後、2弦上でのすばやいグリッサンドがあたかもヴァイオリンのような擦弦楽器のように聴こえ、まさに驚愕した。そして最後のタランテラにいたってはそのリズム感とスピード感、そして歯切れの良さと幅広いダイナミックレンジに圧倒された。まさに聴き終えた時に体中の力が抜け、ふーと自然にため息が漏れた。大変なショックであった。完全に負けたと思った。その時の情景は、いまだにはっきりとよみがえってくる。

 暫くしてそのレコードは発売となって、当然私も買って自宅で何度も聴き返したけども、何度聴いても「すごい!」の一言。こんな演奏の出来る人が出てきたら、自分としては闘志も湧いたが、半面、そりゃあ正直かないっこねえわと、いたく納得してしまったものであった。
 その後彼は、各地のリサイタルや、パリコン始まって以来の満場一致での優勝に続き、NHK教育テレビ「ギターを弾こう」の講師と大活躍することになるんだけども、いつしかあまりその名を聞く機会が少なくなり、ある時私達にとっては突然の訃報を聞くことになる。
 私は、生憎渡辺範彦さんの生の演奏を聴く機会には恵まれなかったけれども、当時テレビなどでは何度もその演奏に接することができた。
やはり思ったとおり異常なまでの集中力でもってギターに打ち込むその姿は、感動的ですらあった。

 当時、日本において、世界レベルの演奏が可能となったギタリストと言えば、私の知る限りと限定させていただいての話だが、音楽的には松田二郎さん(現在 晃演)、技術的には今回取り上げた渡辺範彦さん。そして次に荘村清さん、芳志戸幹雄さんではないかと思う。
いずれにしてもギターを演奏するための技術的なレベルが、それまではあまりにもお粗末であった。当たり前のように曲の途中で止まってしまい始めから弾き直したり、そこでグジャグジャになってしまって、最後までそれをひきずったコンサートになってしまったり、あるいはその曲を中止してしまったり、中にはコンサートそのものがそこで中断され、中止になってしまったものもあった。なんとも見ていて気の毒ではあったが、本当はそのようなコンサートを聴かされた聴衆こそが哀れであったのだ。日本中のギターのプロが未熟であった。そして未熟であることにまだ気がついていなかった時代であったのかも知れぬ。

 渡辺範彦はそんなプロのコンサートギタリストのトップバッターであり、渡辺さんが日本で初めて世界のプロのコンサートギタリストの域に到達することのできた人であった。プロのギタリストになるためには、最低線これくらいの技術が必要なんだということを示した人であった。
 現在ギターを弾いている皆さんも、ぜひ一度この渡辺範彦さんの演奏を聴いてみてください。今から40年近く前に、こんな素晴しいギタリストがいたんだということを、ぜひとも知っていただきたいと、願うばかりである。

内生蔵 幹(うちうぞう みき)


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