2006年8月2日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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7月15日に『アルゼンチン赴任 その2』まで書いて暫く空いてしまいました。
先回はアルゼンチンについて少しご紹介しましたが、今日は赴任に当たってのお話いたします。

先ずは就労ビザを申請です。普通は現地法人(支店)が現地の弁護士に依頼して手続きをしてくれますが、現地法人も駐在員事務所もないところに赴任する訳ですから、先ずは出張ベースで現地に行きました。そして日本の銀行と商工会議所に行って現地の弁護士を紹介してもらいました。当時は先回にお話したようにハイパーインフレで日系企業がどんどん引き上げた後でしたので、邦銀で残っていたのは東京銀行のみでした。また商工会議所も会員がどんどん減っていたので『うれしいですね、ヤマハさんが進出してくれるのは・・。』と大変歓迎されました。

ビザの申請も時間を短縮するにはお金が必要です。ラテンの国ですから所謂『袖の下』が全てに有効なんですね。紹介された弁護士さんもその辺は充分心得ています。『何卒良しなに』と言う事でお願いしてきました。

また、当時の輸入代理店にも当然ご挨拶。代理店の社長は大喜びで迎えてくれました。おいおいお話しますが、この代理店社長が相当の曲者で後々に随分と苦労させられます。でも兎に角彼は喜んでくれて私を歓待してくれるんです。夜はタンゴハウスに連れて行ってくれましたが、ショーが始まるのが夜の11時。私は時差もあって眠くて仕方ありません。折角の本場のアルゼンチンタンゴショーなのに私は殆ど居眠りをしていました。

とまあ、こんな調子で一旦は日本に帰国。さあビザも下りてやっと赴任したのが4月末でしたか。最初はホテル住まいです。ブエノス・アイレスの古いホテルに2ヶ月近く宿泊しました。その間に駐在員事務所探しとアパート探しです。勿論仕事もしながらですが。不動産屋に事務所物件とアパート物件を紹介してもらい何軒も見に行きました。
当時のアルゼンチンは物価が相当高かったんです。何しろドル兌換方と言う法律で無理やり1ドル=1ペソに固定していたものですから、家賃もドル払いで高かったですね。ホテルで最初に下着のパンツをクリーニングに出したら、なんと5ドルもしたのでびっくり。下着は自分で洗う事にしてその他は街中のクリーニング屋に持っていくことにしました。

そして、アパートの候補が見つかりましたが、管理費を含めてなんと家賃が2,800ドル。マイアミの支店長が分不相応なマンションではなかろうなと出張者を派遣して検証に来る始末。ところが、現地では日本人駐在員のマンションとしては普通の物件で決して豪華でも分不相応でもないものなんです。築26年経っていて新しくもありません。とは言え、ワンフロアー1軒のマンションで広さは200㎡。寝室が3つ、リビングと食堂、キッチン、そして女中部屋付きと言う内容です。もっとも銀行や商社の現地責任者は500㎡のマンションですからね。
写真がそのマンションのリビングで、写っている女性は不動産屋の人です。決して現地妻ではありません。


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