日中越境EC雑感

2008年に上海でたおばおに店を作るところから始めて、早もうすぐ10年。余りの変化に驚きの連続

世界でポジションを取れ ユニクロ

2010-01-04 | 日本・日系企業
 日経ビジネスより、 

 不況の中、気を吐くユニクロ。2009年には一橋大学大学院が運営する「ポーター賞」を受賞した。柳井正社長と、戦略論のマイケルポーター・米ハーバード大学経営大学院教授が初顔合わせ。2010年の会社経営について熱く語り合った。http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20091225/211895/

柳井氏 日本はもっと自分を客観視する必要がある。例えば、サービスやコミュニケーションの分野。日本人はこの2つを得意分野と考えているが、本当は苦手。特に異文化コミュニケーション。グローバル戦略の実行に一番重要なのにダメです。

 日本人の感覚ではサービスは無料なのが当たり前です。だから、サービスこそが強みなのに収益源にできなかった。それに効率性という視点に欠ける。

 アパレル業界は通常、多品種少量生産で、かつ非常に小さなセグメントを狙う。効率的ではない。すべての企業がそのやり方でトレンドを追っている。一方、インテルやアップルは、万人に商品を売ろうとしている。

 日本企業の多くは、グローバル基準に合わせるのではなく、自分のモデルをただ現地化しているように見えます。先進国や最先端の市場では成功するかもしれませんが、急拡大する新興国や中間層の市場で戦えない。
 
 我々は真のグローバル企業になりたい。グローバル市場は本当に成長しています。日本人は中途半端に豊かになったためか、最先端をやりさえすればいいという発想がある。それが今の行き詰まりにつながっているのでしょう。多くの日本企業は、世界で名前すら知られていません。言い換えれば、マーケティング能力が低い。伝えないものは知ってもらえない。我々は英国や中国などに自力で店舗を開いて、それを体で学びました。

ポーター氏 需要の成長は、日本や欧米では起きません。一方、成長を続ける新興国ではお金がなく、多機能で高価な商品に対するニーズは低い。とはいえ、日本で売られている商品をただ安くしてインドなどで売る方法も難しいですね。全く新しい視点で一から商品を作り直し、圧倒的な低コストで生産し、かつ違った方法で競争する必要があります。その発想の転換を日本企業ができるかどうか。米国企業は、現地にデザイン拠点を置いて、米国の商品を再設計して全く新しい商品を作っている。こうした戦略を取る時に、思い込みはご法度です。あえてゼロから始めることが突破口になる。

 先進国の企業は、新興国の富裕層を相手に成功しています。しかし規模は比較的小さい。巨大な事業機会は中間層・低所得層にあります。例えば、売上高約10兆円のスイスのネスレ製品の需要のうち、40%は新興国市場だと思います。同じ乳製品でも、先進国向けと新興国向けがありますが、そうしたモノ作りがネスレはとてもうまい。

柳井氏 ネスレは商品を各国で現地化していますが、我々はそういうことはしません。素晴らしいものは1つしかないと考えます。欧州にはドレスの文化があり、米国はカジュアル文化がある。そして日本には、縫製で最先端の技術があります。つまり我々は欧米もアジアも理解できる立場なので、すべての市場で何が魅力的かを定義するうえで非常に有利なポジションにいる。ですから当社のスローガンは「グローバルワン」です。

 柳井氏 商品の価格を国別に調整はしません。世界が平準化していくのに、どうして価格を変えなければいけないのでしょう。価格を気にする前に、十分にいい商品を作り、我々の商品は良いものだと十分に伝えなければいけない。これはまだ始まったばかりです。

 日本の消費者は世界で一番厳しい。その一番いい部分を世界に持っていかないと。企業のDNAは重要です。つまり企業文化です。
 
 日本の弱みと言われてきているものは、反対から見ると強みです。例えば、終身雇用はロイヤルティー(忠誠度)の高さと一体ですね。弱みと裏腹の強みをどうグローバルに通用させるか考えなくてはいけない。米国市場で、米国の会社と同じことをしていたら、わざわざ米国に行く必要はありません。

 ポーター氏 弱みを強みに変えるという発想は重要ですね。それこそがビジネスです。それに、企業は良い戦略を持つだけでは十分ではない。実行が伴わなければ意味がない。素晴らしい会社はどれも特有の個性があり、綿々と継承されてきた遺産を何らかの価値として定義し、普遍的で説得力のあるものに変えている。

 柳井氏 その通りです。当社でうまくいったことが、他社でもうまくいくとは限らない。自分でいろいろ考えてグローバル化しなければうまくいきません。世界中で取るべきポジションを探し、ポジションを取りに行かなければいけない。

⇒さすがだなとおもわされる内容でした。日本企業、特に消費財メーカーに戴する見方も僭越ながら同じように考えています。是非全文を読まれる事をお勧めいたします。
コメント (6)
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上海ジャパニーズ

2010-01-04 | 中国関連書籍書評
上海ジャパニーズ―日本を飛び出した和僑24人 (講談社プラスアルファ文庫)
須藤 みか
講談社

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 中国関連の本は結構読んでいるんですが、歴史や文化に関するものと、ビジネス関係ばかりで、あまり中国在住者の書かれた本って読んだ事はありませんでした。

 昨年末に、著者の須藤みかさんにお会いし、その時に著書をいただいて正月に呼んだ次第です。須藤さんはお名前は存じ上げていましたが、昔の日本女性風で落ち着いて上品な女性で、ギスギスした上海人とずっと仕事をしていましたので、久々にほっとさせられました。

 内容的には上海で働く24人の日本人へのインタビューと、その3年後の姿を描かれた物です。様々な背景の人がいて面白いなぁと思わされる反面、正直共感する登場人物は少なかったのが本音です。

 紹介されて中の一人で、海原さんと言う写真家が「特にクリエイターで若い人はここに来ちゃ駄目だね、世界や日本のルールを身につけないうちに上海に来てしまうと、レベルが低いまま、それが自分の中でスタンダードになってしまうから。中国以外どこにも通用しなくなってしまう」という発言がありましたが、個人的にはクリエイティブ系だけでなく、ビジネスマン系でも全く同じ事がいえると思います。

 たんたんとインタビューが記載されていて、2つ須藤さんのコラムが乗っているだけなのですが、彼女の意見なのでしょうね。

 「チャンスもあるが、自分を甘えさせる土壌が上海にはあるんだ」

 その通りだと思います。

 20台ゼネコンに入ったのは単純に低開発国に行きたいと思ったからでした。結局そういう機会に恵まれないままずっと日本で働いて30台を過ごしてしまいました。最後の2年間アメリカいた後にアジアビジネス従事したんですけど、若いときに行くより良かったと思っています。サラリーマンとして受けた教育、出会えた人、多分日本では東京が圧倒的に恵まれています。次の場としては、職種によるでしょうが多分ニューヨーク、ロンドン、大阪っていう感じじゃないでしょうか。

 今私は上海にいます。でも、実感として、20台の人がここで働く事は実は進めません。ビジネスマンに関しては、35歳以降(会社によっては社内の出世はも生みえていますね)来るべきじゃないだろうか。本に紹介されている人の中には20台前半で上海に来てご活躍されている方もいますので、あくまでも一般論としてなんですけど。中国自体の社会環境の変化も早いので、中国経験何年というのも、言葉を除くと余り意味が無いような気もします。

 中国経済の発展に伴い、中国ビジネスに従事する事が別に特殊な事ではなくなってきたら、もっと多様な人が上海を舞台に活躍するんだろうと思います。まだまだこれからの国であり、市場であり。私自身も後3年後にどうなっているのやら。 
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