日中越境EC雑感

2008年に上海でたおばおに店を作るところから始めて、早もうすぐ10年。余りの変化に驚きの連続

AIが政治や経済を救う時代が来るのかな?

2017-06-28 | 日本・日系企業

 昨日NHKで、AIは脅威か好機かという趣旨の番組をやっていた。深夜だったので再放送かもしれない。

 

将棋で佐藤名人がボナンザに敗れたことがメインに取り上げられ、その中でも開発者が人工知能がどういうロジックでこういう手を指すのかが解らなくなったという発言があり、それを意識したのだろうか、他にも人事評価をAIが行うのだがその判断基準が示されないので理由がわからないという形で報道されている。

 

正直自分の頭では理解できないことで、いきなり結論を出されたら普通の人間は戸惑ってしまうし、そこに大きな不満や不安が発生するのではないかと思う。AIが神に近い存在になってしまうかもっていう不安と、AIにより人間の能力がもっと伸びる好機ととらえるかでその印象、運用、開発なども大きく異なってくるだろう。

 

個人的には年齢を重ね、色々な人と交渉事をしていて見ると、国民性や所属組織、個人の社会的背景などまで見てみると、人間の思考法には一定のパタ-ンがあるだろうとはうすうす気が付いてくる。だから、今でいうビッグデ-タを上手く分析すれば、AIが出してくる結論に従う方が効率的な面が多いだろう。ただ、その類型化できないパターンをどうやって拾えるのか等はとても気になるけど。

 

昨日の番組の中で一番興味深かったのは、韓国の事例。歴代大統領が汚職やらなんやらで逮捕されたり自殺したり、ろくなことが起きていないことから政治にAIを活用しようというプロジェクトが動いているそうだ。まぁ、一つの国だけでAIを運用できたとしてそれがどこまで有効に機能するかは疑問な点でもあるが、昨今の加計や森友問題、そして安倍政権になる前の民主党政権のあまりのひどさを顧みると、まず日本の同じ取り組みをしてほしいと思う。

 

昨日ザクッとウィキの歴代内閣という項目から拾ってみたのだが、日本の明治以来の内閣の平均年数と内閣総理大臣の在位平均年数。第二次内閣とか第三次内閣とかが発生するので、内閣そのものより内閣総理大臣の方が長くなる。

内閣平均寿命 内閣総理大臣平均寿命
明治  1.71     3.43
大正   1.36      1.88
昭和戦前 1.11      1.33
昭和戦後 1.55      3.00
平成    1.17     1.69

どなたかが調べられた他国の状況は以下の通り。日本は2011年より後だと野田さんと安倍さんの2名追加か。

※まず1989年から2011年までの各国歴代首脳の人数。
日本       17人
フランス      3人
アメリカ合衆国   5人
イギリス      5人
ロシア       4人
ドイツ       6人
イタリア 4人
カナダ       5人

 

 いかがだろうか?平成に入ってから自民党55年体制が崩れたこともあり、政治的な混乱が続き、首相がころころ変わるという印象は強い。実際にも内閣は平均1.17年。総理大臣は小泉さんと安倍さんが平均を上げているけど、それでも2年にも満たないというこの事実。そしてこの表を作るまで認識していなかったが、短命政権が多いのは戦前の軍部介入による混乱の時期だけではない。大正時代も2年以下。比較的安定しているような印象の強い明治、昭和の戦後ですら4年は無い。なんと短い事だろう?

 

 他国の状況については私が調べたわけではなく、ググった時に見つけた方のを記載しているが、平成元年から22年の間の先進国歴代首脳で最も変わったドイツで平均3年以上。まぁそれ以外も4年以上。政治的混乱の目立つ韓国も大統領制なので同じようなものではないだろうか?中国は実質人気年なのでまぁ3人。いずれにせよ政治の首脳がこれだけころころ変わっているようでは、日本の将来を考えるとかその具体的施策の実行なんてとても期待できない。まぁ現状はそうなのだけど、明治の初めや、戦後の比較的長い政権が続いた時代を除き、日本人は移ろいやすいのか、政治力学ですぐにぶれてしまうのか。その背景には世論というメディアのあおりもあるのではないだろうか。いずれにせよ健全とはとても思えない。

 

  日本が様々な面で行き詰っていることは、多くの日本人が認識しているように思える。一方で今今の痛みからは目をそらし、結果的に現状維持の選択をしているのが、今の国の政治であり、行政であり、多くの民間企業、そして個人の生き方の様に思う。久しぶりに日本に帰り、地方都市、大阪、東京とそれぞれ短期間ではあるが住んでみると、実に日本は快適な面の多い国だと思う反面、これは将来厳しいと思わざるを得ない。高齢化社会の到来や、少子化問題、それに付随する労働者不足や移民受け入れの課題。こんなものは少なくとも20年前には見えていた課題だが、この20年間国や行政は何の手も打ってこなかったし、今も有効な手を打っているとは思えない。いや、それどころか有効な議論が行われているとも思えない。

 

 一方で、加計問題などを見ても、安倍政権による不透明な対応についての非難の声はあるものの、その問題の起因が良くわからないで、目先の事実に対する非難で終わってしまっていることが多い。いや、これはなんでもそうで、東芝やタカタといった企業に関してもやはり表層的な問題指摘、対応で終わっている気がする。

 

 なんでそうなっちゃうのか。まぁそこには日本的なリ-ダ-選出システムとか様々な問題が絡んでいると思う。国民のレベルが低い。メディアの質が悪すぎる。いずれもその通りだと思うのだけど、だからと言ってそのままでいいという事は無いだろう。

で今後どう日本の将来を良くしていけるのかって事に関しては、現状では全く期待ゼロ、という人は僕意外にも多いのじゃないだろうか?本来なら自民一党から2党政治にというべきだし、確かにそういう議論があったことから民主党が政権をとったけど、あの酷さはさすがに今でも忘れられないみたい。またとんでもないのを党首に選んだので民主が民進に名前を変えてももう終わった政党という評価しかできまい。

 

で、思うのだけど。。。政治、それが内閣の運営なのか、もしくは内閣府にその機能を持つかではあるが、AIをいれたらどうだろう。そして行政。超大手クラスの大企業の経営。いずこも経営企画的な部門を抱えて入るのだが、政策提言や事業企画・計画という名前を持ちながら、ただの数字集めで終わっちゃっている事例が多いのではないかと思う。そして人間の政治力により結論はゆがめられてしまう事が多いように思う。本来リスクを分析し、リスクをマネジしながら利益獲得を目指す金融分野では、特にマーケットがらみではもう既にAIがジャッジして、人間はその重りをしているのに近い状態になっている。政治や行政には携わったことがないが、大企業の経営も本来は事業リスクをとって利益の獲得を目指すのが本誌であり、それは国家の大系とかって世界も同じだろう(利益を国民の福祉と安全と読み替えるのかもしれないが)。

 

そう考えると、この短期政権が当たり前になっている日本では、政治や行政もAIをさっさと導入し、そこで出てくる結論はメディアが国民に開示し、政治的意思決定は現政権に委任するけどチェック機能を国民が持てる形にしたらどうだろう?

今の日本に関して言えば、国家が担うべき数少ない責任のうちの一つ、防衛をアメリカに依存しているのだから、全部依存してもいいんじゃない?

 

人間がハンドルできない、という事で怖い面もあるけど、どうも日本に関して言えばそっちの方が良いのじゃないだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年も終り。今年も日本は首相が代わりました。首相が代わる度に、そしてワイドショーが首相を取り上げる度に日本の首相は1年でころころ変わると言われます。実際、私が物心ついてから何人首相になったのかさっぱりです。そこで今回は1989年…
gogatuageha.hatenablog.com
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息子の転校と移民問題

2017-06-22 | 日本・日系企業

日本では、少子化問題とそれに伴う若年労働者の不足から、移民受け入れの検討が色々な分野で行われています。移民については国内でも賛否両論、どちらかといえばネガティブな意見が強いように思います。

最近でもフィリピンから介護人材にとどまらず、家政婦さんを受け入れるようになったという報道をテレビで見ました。

 

現実には特別永住者を含めると現在日本に滞在する外国人は約230万人。永住者と特別永住者を合わせるとうち100万人になります。人口比でいえば1-2%。

そして、近年国際結婚比率は下がってきているようですが、それでも結婚の中に占める国際結婚比率委は3%もあります。最近もダルビッシュ選手をはじめ、陸上のケンブリッジ選手、テニスの大阪選手、サッカーの酒井選手、大相撲の高安関等

スポーツの分野で活躍する混血の子は増えているように感じます(そういえば大鵬関も混血ですね)。

 

まぁ私自身としては、遺伝子の発展を考えれば私や妹同様国際結婚は悪いことではないと思いますし、移民も必要なら受け入れるべきだとは思うのですが、一方で業務を通してみる限り無差別な移民受入には反対ですし、日本では簡単に移民受入なんて言えないよと思います。また、気軽にそういう話をされる方についても、その本音はどこかに疑問を持っています。

2年半前に帰国してから私は単身で、愛媛の松山、大阪、そして今の千葉の新浦安と移動してきましたが、その間に息子と娘を体験入学という形で居住地の学校に受け入れてもらいました。最終的にこの5月から息子だけ新浦安の学校に転校させていただいております。

 

なお、私自身が小二と小四の時に転校した経験があり、正直自分自身の人格形成に大きな影響があったと思っています。まず息子が最近経験したことを記しますと。

 

息子は転校早々二人友人ができ、毎日遊びに行っている。上海で経験できなかった事なのでとても安心している。

先日私が不在時にそのうちの一人の家による8時までお世話になって食事もいただいたという事でお礼に訪問したところ、先方のお母さまから「ずっと遊んでくださいね、という言葉をいただき素直に感謝と共に違和感があった。

後で息子から聞いたら、その子は学校でいじめられて一週間くらい不登校になったことがあるらしい。もう一人の友人は昨年夏までは上海日本人学校でクラスは異なる」が同窓生。レスリングの関東大会で優勝するなかなかイケメン子なんだけど、その子も転校してからいじめられたとの事。

まぁ息子は上海でも浮いていたし、俺と異なり性格が優しいのですごく心配をしていたのだが、いじめられっ子3名が仲良くしているんだ。たった50人程度、二クラス、半分は中学受験をする環境だからまぁもうそれなりに存在感があるのだとは思う。

まぁ僕も小学校2回転校し、今でいえばいじめなのだろうか、とにかく毎日のように喧嘩をしていた記憶しかないのだけど、やっぱ日本は子供の世界でも外部からの流入者には厳しいのかな。この辺は新興住宅地で比較的親の所得レベルとかは同質だし、転校転入も多い(今年の6年も息子で3人目)ので平均よりは部外者受け入れになじんでいるはずなんだけど。

 
子供の発言のいじめという言葉が、メディアなどで取り上げられるいじめ問題のいじめと同じとは思いません。ちょっと変わった子、外からの新規参入者、まぁどこに行っても異分子として扱われるのは人の世の常だと思います。不登校というのも、そこまでひどかったのか、その子や親に問題があったのか、その場で実際位見極めないとなんとも言えないと思います。この学校に関しては、息子曰く、進撃の巨人に出てくる巨人みたいな顔をした子供がいる。でもいつも先生がそばにいて守っているという話をしておりましたので、おそらくその子の容姿は病気から来るものでしょうし、学校としてもちゃんとケアをしているという事でまぁ常識的というか、僕らの時代に比べればずいぶんと対応が良くなったのではないかと思います。
 
 
が、この異分子に対する対応に関しては、私自身も広島から東京に転校した経験、社会に出て転職したときの経験、30代後半から20年近く米中韓に滞在した経験などを踏まえて考えると、日本は特に異文子アレルギーが強いと感じます。まぁ、狭い国土の平地に人口が密集した島国ですし、わずか100面前までは小さな藩という準国家がたくさんあったわけですから、やむを得ない気質とも思います。母の強度でもある松山を含め仕事で地方の方と接しますと、必ずあなたは○○のご出身ですかと聞かれます。そして違いますと答えると、そこで一気に距離が開くようにも感じます。東京や大阪ではそういう経験はありませんが、たまたま以前からの知人のいた大阪でもやはり仲間内に入るか外かで随分と対応が異なるとの事。東京はさすがによそ者が集まった街ですので、地元意識は希薄ですがそれでも転職や転校、いや社内の転勤で新たな組織になじむところで苦労されたことがある方は結構いらっしゃると思います。
 
私自身の過去を思い前しますと、小二から小4までの学校では、ほぼ毎日のように喧嘩をしたり、漫画のようですが同級生の兄を含む上級生3人に体育館に呼び出されて殴られたり、正直ろくな思い出がありません。小4からは中学卒業まで同じ学区の学校にいたこともありだいぶ様相は変わりますが、転校時点ではやはり同じようにけんかばかり。こちらが強いと思われると5人がかりで両手両足を抑えられて殴られたりしました。まぁ7年もいると子供の世界で、あの時はこうだったよな、汚いよ、などとかわいい思い出話で終わって適当に仲良くはしていましたが、思い返してみるとひどい話だったなぁとも思います。転職や転勤も日本企業同士だとなかなかに難しく、一定の年齢とポジションを伴った場合はこちらから呼びかけることでまだ入っていけるのですが、下っ端だった最初の転職だけは未だに公開しています。
 
私の場合海外に接したのは、35歳で外資勤務、38歳でアメリカ、それ以降は日本企業に属しながら韓国を経由したのち2004年からもっぱら中国にいたのですが、こちらが年を重ねたこともありますが、様相はだいぶ異なるというのが正直なところです。中国や韓国は同じアジアの国であり、日本という国の地位が高いのでその分割り引く必要がありますが、それでも日本に比べれば転職というのが当たり前の世界です。日本は近年だいぶ状況が変わってきたと思いますが、なぜこれほど転職が少ないのだろうと思います。もちろんその背景には、会社のブランドが確立し、会社の名前や役職=その個人の価値という概念や、年功序列式給与制度や、社会保険制度などで同一組織にいたほうがメリットが多いという事はあると思います。
 
ですが、それに付け加えて外部からの参入者に対する組織的な防護意識が極めて高い民族なのではないかと思うところもあります。アメリカや中国などでは、外部人材についてはまずは受け入れるだけ受入、やらせてみてダメならさっさと切り捨てる。まぁ結果オンリーに近い文化がある。一方日本はなんでも和気あいあいと皆一緒になって進めていこうとし、それが美徳とされる。絆とかのスローガンを見るとどうにもそういう意識が強いなと思わされます。逆にその絆の中に入ってしまうといごごちが良い、優しく温かい世界だなと。
 
この最後の部分は、近年の日本の大企業における経営問題などの一面は解き明かせるように思います。、一度組織に入り同じ釜の飯を食った人間同士はお互いに傷をつけ合うようなことをしてはいけない。そしてそういう仲良しこよしの組織として目標に向かって一丸となる。そして組織のリーダーは目標を立てて皆を走らせるタイプではなく、まずその組織を仲良くまとめることができる人がなる。概ねオーナー企業以外はこういう組織が官民問わず多いのではないでしょうか?近年急にこのような組織になったのではなく、昔から日本ではこういう形態の組織が作られていたのではないかと思います。そういう意味では天皇陛下がその代表ですが、旧藩主家、オーナー家などがお飾り=バランサ-として組織の長にある方がまとまりが良いのかもしれません。人で作られた組織という表現ができると思います。
 
一方アメリカの民間企業では、まず組織として結果を求める人材を要求し、その結果を出せるか否かで組織に適合するかどうかが問われる。あくまでも組織が第一であり、組織の機能の一部として使えるか使えないかが個人の存在意義になる。
 
 
正直どちらが組織と個人の在り方として良いのかを論じてもあまり意味はないと思います。それは受け止める個人の意識の中の問題であり、選択肢があるならばいずれかを自分で選ぶとよい。正直私にはアメリカ型の方が性に合うのですが、それは日本人としては若干ずれているともいえるでしょう。
 
さて、日本人ですらこのように思うのですから、外国人はこういう社会に来た場合、このような社会になじめる人となじめない人が必ず発生するはずです。で、おそらくなじめない人の方が比率的には高いのではないかと思います。フィリピン人メイド受け入れに対する意見をテレビ報道で見る限り、言葉が通じない、もしくは全くの部外者だから家庭内の会話などで気を使う必要がないという意見がありました。ここは私も同意することで、日本人同士の噂話などで家庭内のことが外に漏れるのは日本人としては懸念するのでしょう。でもそれってその家政婦さんはあくまでも外国籍一時滞在者だからだよね?もしその人が完全に日本社会になじんだらどうするの?と思います。
 
 
若年層労働者がいないから移民受入。こういう主張をしている人も多くはこの程度なのじゃないかと思います。確かに閉塞した日本社会において、文化の異なる外国人が増えて池袋のチャイナタウンの様にベトナムタウンやタイタウンなどができれば、私的には面白いし遊びに行くと思います。でも圧倒的多数の日本人は、表に出さなくても陰湿に避けるか嫌うのじゃないのかなと思います。
 
日本でも海外通という人が結構います。でも数的には多くは海外に旅行に行ったり、2-3年滞在しただけ。正直まだお客様扱いの段階で終わっています。私の少ない中国経験でも、日本向け、日本人向けの経験と、中国人向けの経験では体験したことがあまりにも異なります。現地に留学し現地採用で働いていた日本人と、駐在で赴任した大企業派遣者とでは見る世界も全く異なるでしょう。そして私が見る限り意見の大きい移民受け入れ派の多くはこの表面しか見ていない人が多い。つまりリアル、ファクトを見ていない人が多いと思う事です。
 
少子化による人不足は確かに大きな課題でしょう。でも日本の組織や社会を徹底的に見直しタラ、多分違う問題が出てくるだろうと思います。移民受入は必要かもしれない。でもどういう人をどの位、どうやって受け入れるのか、もっと議論が進むことを望みます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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外務官僚ってこの程度かと思うが、参考になる本

2015-08-23 | 日本・日系企業
日米開戦の正体
クリエーター情報なし
祥伝社


 日露戦争から真珠湾攻撃までの日本の政治の動きが色々な文献を通して理解ができるという点で良書だと思います。また、著者の見解が昨今の日本の政治、特に安部政権に関してかなり批判的な見解として紹介されています。後者に関しては、個人的には同意しかねる点も多々ありますし、本書内で紹介されている幾つかの統計などを見ると聊か不満を覚えるものもあるのですが、面白い、参考になった点を。


 朝鮮併合に関し伊藤博文が反対であった事は認知しておりましたが、満州経営に関しても当然かもしれませんがそうだったこと。韓国が褒め称える安重根義士の暗殺がその後どれだけの災禍をもたらしかと表現されています。まぁ中国はともかく韓国が日本の歴史をちゃんと分析している事は無いでしょうから、そうかなぁと。また安重根の背景に実は日本の右翼がいたという説もあるそうです。でもそちらの方が本当かもしれない。


 吉田茂は親英、親米と思っていましたが、実は元々は中国畑出身であり、かつ陸軍に擦り寄っていた事。権力志向が強く外務省に影響を与えたという市で評価されています。そうなの??そして、奉天領事時代に、「自国民の生命や財産を守るために軍事行動をとることは自衛権である」という主張をしたようですね。著者の集団的自衛権に関する懸念材料としてもあげていると思われます。

 不満なのは、ロンドン・ワシントン軍縮条約当時の各国のGDP比較を掲示されており、日本のGNPはアメリカの1/10、イギリスの1/3、日露戦争時の日本対ロシアのGDP費は1/8。こういう数字を掲載されていますが、なんで1921年で止めたのかな。ドイツも加え、1937年、1941年の数字も加えれば良いのに。。この辺は元大蔵や通産官僚ご出身の方の書籍と比べると、外務省は昔から2流官庁といわれているけど今でもそうなのかなと思ってしまいます。

ちなみにネットで探してみたら、GDP比で日米は1:5まで狭まっています。日露戦時の日露よりGDPだけ見ると実は差は少ないんですね。著者は意図的に隠したのかな?
 1940年 昭和15年
アメリカ 9,308.3
イギリス 3,156.9
フランス 1,641.6
ソ 連 4,200.9

日 本 2,017.7
イタリア 1,520.3
ド イ ツ 2,428.4

 付け加えると戦前ルーズベルトが対独船に備えて航空機年間5万機体制を作るように指示したという記載があります。で対戦中の兵器の各国の生産量
航空機    戦車   空母 戦艦
アメリカ 32.5万    7.7万   115   10
イギリス  13.2万    2.3万
ソ  連  15.8万    7.9万
ドイツ   11.7万 3.7万
日  本  7.9万    0.5万   18 2(大和と武蔵)
 ドイツと日本は戦争後半は空襲の為に生産能力を大きく阻害されたでしょう。がそもそも違いすぎる。アメリカとソ連が当時からやはり二大強国。ナチがアメリカと中の良い英国に勝ちきれない中、ソ連にに侵攻した時点で敗北は目に見えていたのでは無いでしょうか。日本は日本で中国に勝ちきれない中、資源獲得の為に対米戦。やる前から負けは目に見えている戦争だという事を当時の政府、海軍、陸軍の一部は十分に認識している。陸軍の面子の為に無謀な攻撃をした。その面子も中国侵略における戦死者が起因。


 まぁこの本を読むと解りますが、著名な文学者たちが戦争協力をしたと弾劾気味に書かれている一方、対米戦争に反対したそうも非常に多かった。いや、極端にいえば陸軍の一部以外は基本的には反対だったという事が読み取れます。それが暗殺などで陸軍や右翼が政治家などを脅かして実質陸軍軍事政権になってしまい、無謀な戦争に入っていったと。

 戦後首相になった石橋湛山の植民地主義反対、国内投資と貿易促進というのは戦後日本の発展をみるとまさにその通りで走っており、こういう意見がつぶされたのは、欧米強国のかっての経済成長のモデル〔植民地獲得、其処からの単一生産、市場確保)にとらわれてからかなと思う反面、日本の戦争が無かった場合、石橋湛山の言うように植民地はいずれ独立したのか、今のようになっていたのかはなんとも判断できないですね。但し、民族主義の勃興していた中国、満州に関しては、どういう経路をとったにしろ今のようになっていただろうとは思います。国家や民族の持っている底力の相違だと思うのです。中国に関しては勝海舟も進出には反対していたようですね。まぁしても飲み込まれていたんだろうな。

 興味深いのは、敗戦後の反省からきた様々な方の敗因。ここは今の日本でも通じるものであり、外交その他を考える際には、重視しないといけないところだと思います。そしてこの辺を踏まえてみると、私は著者とは異なる意見になってしまいますが皆さんは如何でしょう。軍人や政治家の当時の反省の弁は実は見るべきものは多くはありません。著書の中では最初の海軍の反省分でしょうか。日本経済が独立性を描いている。海外事情の研究不足、陸軍。を大きく上げています。陸軍系の反省はもう阿呆としか言いようがありません。アメリカの策謀だとか、中国の民族主義を刺激した、戦略なき戦争計画。。。


 本質を突いているなと思うのは次の2点。


1.日本国民の常習である妥協・黙従が原因。
 日本人が偉大な民族になりたいのなら、個人的な行動で自らの固い信念に基づいた主張をすること。民主主義の政治形態は市民一人一人が良心に対する危機感を強くし個人的な責任を果たす事である。



2.軍需原料の大部分を外国に仰がなければならない国防は、戦争国家としては致命的な弱点を有しており、独力戦争をなす資格に欠ける。どれだけ軍備を増強しても砂上の楼閣に過ぎない〔これ海軍軍人が1929年に書いたそうです)。


 陸軍の戦略の無さ、対米戦争をするのに相手を研究していない、その他各論的には山ほど反省点があるでしょうが、やっぱりこの2点でしょう。そしてこの2点は現代日本も全く変わっていない。


 さて、何故孫崎氏は安部政権の外交を酷く嫌うのだろうか?そこが良くわからない。


 1に関していえば、今も全く変わらないし、長期的に変わるとは思えない。文字通り人口が半減し、移民比率、混血比率が高くなる時代になったら少しはましになるかもしれないという期待しか個人的には持っていない。スポーツ界あたりで少し変化が見られてきているのでは無いでしょうか。

 2も同じ。これは解決できない。ということは世界情勢を見て対抗勢力があるのなら少なくともその中で勝ち組になるであろう大国に擦り寄るしかない。元々日露戦争も英米からの資金協力が無ければとても戦えない。まぁそういう背景から石原莞爾は満州侵略で弱点をカバーしようとしたのでしょうが。でもそうであるなら、今の対米追従外交は不愉快でも受け入れざるを得ない。大きな追従の中で自国としての主張をするしかない。まぁ其れが対ソ、対中でも良いんですけど、この3大大国の中でどこを選べといわれたら、個人的にはやはりアメリカしか選択肢は無い。中国に擦り寄る場合、中国及び日本で対米、もしくは対ソの脅威と向き合うことになると思う。日本が中国に必要以上に擦り寄ったらアメリカの対中・対日戦略や外交は物凄く厳しいものになるのでは無いでしょうか。

 これ負け犬???でも幾つかスパイスを加えることはできても概ね世界情勢の中でどう生きていくかという点では間違っているとは思わないのだけど。









 


 


 





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2015-07-15 | 日本・日系企業
人種戦争――レイス・ウォー――太平洋戦争 もう一つの真実
クリエーター情報なし
祥伝社


たまたま本屋で見かけて買いました。にこたまの蔦谷さんですね。

 本そのものに関しては、聊か冗長に過ぎる面もあり、もう少しページを減らした方がよいとは思いますが、日本の近代史に興味がある人には一見の価値があるとは想います。正直に言うと、知らないことがたくさんありました。そして、その知らないことがどこまで事実なのだろうと疑いを持つ反面、要は歴史は商社の作るもの。敗者の歴史は抹殺される。その視点で見ると考えさせられます。

 かなり前の方に、米軍が日本人捕虜に対して行った残虐な行為、沖縄で少女をレイプして殺したのか、殺して輪姦したのか、そういう事例も挙げられています。僕らの受けた教育の中では、東条の軍人勅語にそのまま従って捕虜にならずに自決した。日本軍の宣伝により民間人も自決を迫られた〔サイパンや沖縄〕と、とにかく日本軍、特に陸軍の無茶振りを聞いていますが、この本見てると米軍に対する嫌悪感がますます募るでしょう。

 第一章の題が、「純潔の白人以外は人にあらず」とありますが、これは普通に考えればそうだったでしょう。今でもまだその名残は見えると想います。是は実はアジア人では日本人しか気がつかないとも想います。

 東京裁判で捕虜に対する残虐行為なども裁かれていますし、アジアのB級、C級戦犯に関する懲罰裁判でも事例は幾つもあります。この辺は、まぁそんなものだろう程度にしか思っていなかったのですが、著者によると日本軍は意図的に行ったとしています。そしてそれは、植民化された現地の人たちに、それまで絶対的権力者だった白人が僕らと代わらない人間であることを示す為だった。そして、現地の人たちの白人に対する意識が変わり、日本の敗戦後では有ったが、アジア諸国の独立に繋がっていったと解釈されています。

 又、香港においては、中国を侵略していたにもかかわらず、中国人も日本側についた人が多かった。アメリカの黒人も日本側に意識がむいていたなど色々な国の有色人種の日本側にメンタリティを置いていたことが指摘されています。彼によると蒋介石ですらも。。

 敗戦後に英軍の捕虜になった会田さんの書かれた、確かアーロン収容所でしたっけ?彼の前でイギリス人が平気でセックスをする。要は日本人なんか去るとしか思っていないから羞恥心の起きる対照ですらなかった。

 まぁ東南アジア各国における植民地政策とか滅茶苦茶でしたから、そりゃーそうだよなと想います。またなんとアヘンって太平洋戦争の間まで中国に湯繻子していたんですね。。

 著者は当然ながら黒人の大学教授。白人からこういう本が出ることは今でもないのでしょう。

 この本見ると思うんです。なんで蒋介石の国民党とどこかで妥協できなかったのかって。米英が国民党を助けたのは単に同情だけじゃなくって中国市場にかかる権益確保の方が大きかったはずなんですよね。実質的には中国の大半は、準植民地とされていたわけですから。蒋介石事態もそれを認識した上で、近年の共産党と同様人口の多さと市場規模を餌に彼らを対日戦に巻き込んだ。まぁ、結局漁夫の利を得た共産党が政権とって、中国関連はみんな負け犬になったわけですが。。そういう意味では中国人民にとっては共産党政権が最も良かったとも言えるのでしょう。国民党だと経済的には欧米企業しか発展しなかったかもしれませんから。

 この白人と有色人種の関係は、まだまだ続くのでしょうね。


 共産党が政権をとる限り不可能なのですが、日本と中国はどっかで仲良くできないですかね。今後インドがどうなるか次第ですが、白人対有色人種という構図になった時、対抗できるのは日中しかないと想うんです。あ、半島は余りにも自国の歴史を省みないのでどうでも良いです。あそこは日本じゃなければロシアか中国のもの。どうやっても独立することはありえなく、恐らく一番ましな国に併合されて、それでも文句を言う。彼らはまず何でああなってしまったのか、ああならないためにはどうすべきだったかを冷静に考えないと国家として進歩しないでしょう。まぁ中国の支配下で入るのが彼らには一番なじみがあって居心地が良いのかもしれませんし、国民党政権ならそれでもいいのじゃないのかな。


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日本社会の高齢化、少しは改善したんだ

2015-05-28 | 日本・日系企業
最新版!「平均年収が高い」500社ランキングって記事をFBで松本さんがシェアしてくれましたので、覗いてみると。
http://toyokeizai.net/articles/-/71024?page=1
松本さんは、ほとんど平均年齢40歳以上とおっしゃられていたが、所属したことのある企業2つを見ると、15年前より平均年齢が3-4歳若くなっている。団塊世代が抜けたからだろうね。

 元気なキーエンスやリクルートは35歳くらいか。

 最初の会社で上司たちから聞いたのは、高度成長時代は35歳くらいで課長、建設現場の所長さんで、結構な責任と権限を持っていたと言う話。それがどんどん遅くなっているって。

 多分ここなんだよね。権限と責任のある地位に着くと自ずから嫌でも鍛えられる。もちろん会社の規模でその権限と責任の大きさは変わるけど。

 年功序列社会の弊害は、年齢が高い人が高い地位についてしまう傾向が強い事。安全を求めるならそれなりの経験を積み、まぁ人間の能力なんてそんなに差がないし、お客さんやお取引先も年齢がかさんだ人が上位職についているから、ピカピカの30歳よりまぁまぁの40歳を課長にしたほうがよいという判断は、別におかしくはない。

 でも40歳になるまで課長という立場での責任と権限を持たないと、その人の積む経験知、=頭使うことも含め、が遅くなり、かつ少なくなる。

 超一流企業の社員は、平均レベルでも中小の上位社員より素地は優秀なことが多く、視野も広いことが多いので、人材の流動化〔この場合は下方流動というべきか)が進めば大分改善されると思ったんだけど。。

 後10年くらいたったら日本も色々変わるかもね。

 団塊ジュニアの世代は今もう40代中盤。

 オリンピックが終わって5年もたてばそっちの景気感はなくなる。

 様々な業界で人で不足が発生するのは目に見えている。そうなると国が旗振らなくても在日外国人を含む外国人の登用が進む。

 財政は。。ますます悪化しているわな。。

 楽しみだ。

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木のミニ四駆、木の輪ゴム機関銃、日本の職人さん凄いよ

2015-05-17 | 日本・日系企業

 愛媛県の内子へ。松山から一般道を走ると一時間弱のところです。昔の町並みが残っている小規模な観光地というべきでしょうか。大洲とセットになる事が多いところですね。

 春休みに、息子がお気に入りの道後温泉のおもちゃ屋さんの若旦那から、木でできたミニ四駆が内子にあるのだと伺い、一度訪問したのですが、その時は色々探したのですが見つけることはできませんでした。たまたま愛媛のイベントを際と見ていたところ、今日ミニ四駆大会が開かれるという事で、おっさん一人で見に行って見ました。

 先日重要文化財に指定された、内子座という劇場のそばにある内子自治センターで開催されていました。まぁ田舎の公民館といったところでしょうか。入り口には「内子手仕事の会」と書かれていますが木製の立派な飾りダンス?とでも言うのでしょうか展示物が置かれています。ちなみに内子は蜜蝋が産業都市手は有名だったようで、その商いをする大きな商家が観光のメインにもなっていますが、公民館付近を見ると製材所が結構沢山ありますね。木材がゴロゴロ置かれています。


 ミニ四駆の会場はこの通り、結構広い会場なのですが地元の子だけしかいなかったのかなぁ。人はあんまり多くない。息子がいたら大喜びで混じっていったのでしょうけど。さて、木のミニ四駆もしっかり置いていました。木といってもフレームやモーターは既製品で外側だけです。これはヒノキの一枚板を職人さんが2-3日かけて削りだすそうです。値段を聞いたら1万円といわれて、え-、と思ったのですけど、一個一個全てオーダーメイドで買う人の好みに合わせてデザイン変えるそうです。子供向けにはちょっとなぁと思ったのですが、今のミニ四駆ブームって松山とかを診る限り、子供よりも子供のころ遊んだ経験のある30代の人が多いので、価格的には問題ないと思うんですよね。早く改造したミニ四駆ってオークッションでは数万円で売られていますので、こういうオリジナリティにあふれるものって遊び心があってよいと思うな。

 残念ながらそんなに長い事いなかったので、木のミニ四駆が走る姿は見ませんでしたが、持った限り重量は軽いです。純粋な協議用としてはどうかわかりませんが、東京辺りでこんなの使っていたら目立ちますよね。まだほとんどの人が存在すら知らないはずですから。

 でこの火縄銃。見る限り本物みたいです。しっかり銃口もあいているし、その銃口から火薬を取り除く為の棒もついている。実物見ると凄くって、銃身、銃身の台座部分が一本一本の木。細かい木を組み合わせたわけじゃないんですね。なんでも歴史研究かみたいな人が3-4本買っただけのようですが、これも東京とかなら結構売れるんじゃないかな。まぁ職人さん手作りなので逆に大量に注文着てもさばけないそうですけど。


奥の部屋に行くと、木の拳銃、機関銃、ドミノ、竹コプター、やたらでかい下駄、玩具類。

ドミノ倒しを小学生くらいの女の子3人で楽しんでいましたね。一人馬鹿でかい下駄をはいてジャンプしている子がいますが、この下駄をどこまで飛ばせるか子供たちで競争させる大会もあったようです。できるだけ飛ばないように職人さんに作ってもらったそうですが、持って見るとそんなに重くは無いんですよね。ヒノキってそうなんだ。

竹コプター〔竹トンボ)は色々な種類があり、非常に高く飛ぶもの、幼児でも簡単に飛ばせるもの、色々形や大きさが異なるたびに飛び方が変わってくるのに新鮮に感激です。

木のレールとそばにライフルみたいなのがありますが、この木のレールはミニ四駆の上に木製の機関車を作ってこの軌道内を走らせるもの。

面白かったのがこのライフルで、輪ゴムを20個かけていくのですが、売って見るとその輪ゴムが連続して的の方に飛んで行き、まるでマシンガンのようです。こんなので目だけ保護して戦いごっこしたらいいのじゃないと提案しましたが、人には向けないという方針だそうです、もったいないなぁ。戦争ごっこできるよね、ゲームでやるよりよっぽど子供にはいいと思うんだけど。



毎月第三日曜日に、ミニ四駆大会を開催しているそうで、その際にこれらの玩具も展示し、遊べるみたいです。

お名前を伺わなかったのですが、写真のお兄さん。こういう活動は地域振興、人に来てもらう事を目標にしている。職人さんはこだわりが凄いから色々大変なところもあるけれど、僕たちのアイデアを伝えてこういう素晴らしいものができるととにかくうれしい。写真の商品は今のところ全部手作り単品生産だからそのまま商業ベースに載せるのは容易ではないけど、やはり物販としても考えたい。助成金や補助金なんか必要ない。そんなものもらって知己お越しがうまくいった事例は聞いた事がない。

うーん。愛媛にも男がいるぜよ。

もうながーい間、甘えた日本人とばかり遭う事が多かったのでとっても新鮮な出会いでした。



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知財立国が危ない。。全く日本は。。

2015-05-02 | 日本・日系企業
知財立国が危ない
クリエーター情報なし

日本経済新聞出版社

 馬場先生からいただいた本です。

 知財というのは正直私の強い分野ではありません。2005年に一度日本に帰り技術開発型ベンチャーのCFOを短期間勤めていた時に若干学んだのですが、その会社は技術や社長がアメリカに移民した方で、基本特許などをアメリカで押さえており、訴訟するならアメリカベースの方が良いという程度の認識しか持っていませんでした。

 

 日本の産業が成熟化し、第二次産業では中国などの低コスト生産国に対抗できなくなってきた事から、知財立国という言葉がもてはやされていた時期がありますが、2000年代初頭だったのですね。最初の方に当時の日系ビジネスに掲載された知財関連のデータと、2011年実績が掲載されていますがノーベル賞受賞者数、大学初のベンチャー企業や特許件数はほぼ予測どおりに増え、特許使用料もそれに近いペースで増えたにもかかわらず、大学教授の年収と特許訴訟件数が逆に当時よりも減っている。。不思議だ。。

 

 で、驚いたの。。。本当に。特許侵害訴訟の損害賠償金額トップ10が、日米中掲載されているのですが。。まぁアメリカより大幅に低いのは想定済み。アメリカってこういうの滅茶苦茶高いですからね。が。。中国と日本って対して変わらない。。中国の1位は突出しておりかつ被告がドイツ企業、2位も被告が日系資本。3位もサムソン系列っぽいなんですが、中国企業同士でも8位の2億円から4位が5億円。7位ではドイツ企業が中国企業に対し4億円勝訴。日本は1.4位が何とパチスロメーカー、2位が原告スミスクライン、6位のIHI対日立で4億円。10位で3億円弱。

 そう。。。中国と日本そんなに変わらないの。。あのコピーだらけで通常日本企業が勝つことは無いあの国で。まぁこの国の場合所掌で勝ってもかならずしもその賠償金が取れるわけではないのですが。。

 またさらに驚かされるのは、アップル対サムソン。アップル勝訴でアメリカではサムソンは840億円支払い、いびつな愛国心の高い韓国でさえ280万円支払い、しかし日本ではゼロ。。。ギャラクシーってそれなりには売れていましたよね。。

 

 行政面でも秘密特許というものの存在ははじめて知りました。また仮出願制度が韓国にはできたの日本には無い。特許庁長官の人気が1年、弁理士制度や企業内知財関連部門の課題。まぁこの辺はそうだろうとは思います。日本は物造り意外はアジアレベル以下でしかないというのが個人的見解なので。私自身も文系なので偉そうにいえませんけど、日本のよさと強みは「絶対にミスを起こさずに確実に」というところに全ての労力が集約されていて、それがスピード感の無さ、臨機応変性の無さ、改革の遅さ、非効率の多さに繋がっていると思っていますから。。

 

 中国に関してもさらっと触れられておりますが、個人的には日本企業のリストラにより中国企業に雇用された日本人が既に大量に居る事、資本の力で欲しければ日本の中堅メーカー等何時でも買収できる事を考えると、今後ますます対中国は厳しいでしょうね。幸い中国側は、まだ研究開発や製造に関連する認識がコピーすればよいやという傾向が一般的なので動きは遅いですけど、早晩そういう時代が来ることは避けられないでしょう。

 

 農業が知財の宝庫というのは面白かったです。知人にIT経営者から農業経営者に転進した子が居るのですが、ここまで踏まえているのかな。ただ農業の場合は、日本のノウハウを海外現地にどう応用するかというワンステップが必要だろうとは思います。日本の農業制度の下で日本から生産物を輸出するというだけでは、おそらく縮小する日本市場だけを相手にする商売にとどまり、それ以上の発展はできないでしょうから。

 

 医療、コンテンツはどうかな。医療は山中教授の研究は素晴らしいが、日本では人体実験〔治験と言い換えるべきですが〕が容易ではないので、基礎研究分野が良くても製品化はどこか他の国で行わないといけないと思うんですよね。基礎研究分野のこういう素晴らしい成果は総沢山出てくるわけではないですから。コンテンツもしかり。確かに一定のニーズは世界中にある。詩化しますとして狙えるのは似たような感性を持つアジア諸国が数的には最大の市場。でもそこは知財無視の世界。どのようにマネタイズするのか。知財だけではない要素が含まれます。

 

 日本において知的財産をいかに活用するのか、以下に保護するかの問題提起の本で、とても面白かったです。でも企業人としてみた場合、

 「エー日本ってこんな状態なのかよー」

 というのが本音で、日本の体制が変わる時間軸はとてもビジネスには使えないので、知財辛味で何かする場合、当然アメリカをベースにするとかって考えになるでしょうね。まぁでも怖いのは、山中教授は日本で研究されていらっしゃったのでしょうが、今後アメリカに移住する研究者がどんどん増えるんじゃないだろうか。いや、下手したらシンガポールとか他のアジアの国とかにも。。

 

 日本の知財訴訟の賠償金の低さ=日本は突出した個の才能を中々認めない。スポーツや芸能の世界位ではないでしょうか。

 日本の集団主義は強みではありますが、成熟した社会になってしまうと金太郎飴しか生き残れない社会は、窮屈で才能の有る人にとっては馬鹿馬鹿しい物になるのではないだろうか。経営の世界でも同じことが言えると思うのです。台湾のハイテク企業では基本給与もそれほど安くないけどインセンティブは株。中国でもストックオプションのようなものが好まれる。頑張って成果を出したらそれに見合う対価が欲しいという人間の本能に忠実なんですよね。それを拝金主義と非難することは容易ですけど、怠けている人も頑張っている人も、大差が出ない日本の体質は、もう駄目なんじゃないかな。本書で指摘する知財分野における課題もそこにあると思うのです。知財訴訟における賠償金がアメリカ並み=現状の100倍になるのであれば、そこに付随するスタッフたち、弁護士・弁理士の所得の大幅な向上に繋がるはず。どこからお金を分捕るか次第ですが、雇用増加にも繋がりますよね。

 

 自分はともかく子供を育てるべき場所という意味で、またまた考えさせられるよなぁ。。。

 

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坊ちゃんを久々に読んでみると

2015-04-07 | 日本・日系企業
坊っちゃん 新装版 (講談社青い鳥文庫 69-4)
クリエーター情報なし
講談社


 昨年末から日本に戻ってきてしまうと、冬休み、春休みなどの長期休暇を除き子供たちに会うことは少ない。日中ハーフとして生まれ、大半の時間を上海で過ごしている子供たちは、日本語、中国語〔普通語〕、上海語の3カ国語を旨く操るといえば操るが、実はそれぞれが中途半端になっている。バイリンガルなんてそんなに容易にはできないのだなと思います。

 本来母親の言語で教育はするべきと伺っていますが、我が家では共に日本人学校。そうなると日本人である私に子供の教育の負担はどっしりのしかかってきます。

 本の読み聞かせなんてもっと押さない時にするべきことなのですが、当時は忙しくもあり日本語のDVD(アニメとかウルトラマンなど)をやたら見せまくって手を抜いていた事から、親に似ず息子は読書嫌い。是ではまずいと思って、読み聞かせをするようにしています。あまり当ブログのテーマには沿っていませんが、面白いなと思った本はここで紹介して見ます。

 坊ちゃん。誰でも知っている名作ですね。昨年11-12月にかけて一月ほど息子は愛媛県松山市の小学校に体験入学をさせていただき、また家が道後温泉から近いので、やたら坊ちゃんという名称は見かけます。坊ちゃん列車、坊ちゃん団子などなど。ということで読み聞かせ。まぁ自分で読んで欲しいのですけど。

 著者の夏目漱石は松山中学校の教師として1年ほど滞在していた。正岡子規との交流、等は有名ですし、坊ちゃんって子供のころに読んだのですが改めて読み、この松山に数ヶ月住んで見ると。。

 街の風景や言葉、人の数とかはだいぶ変わっているけど、こういう地方の城下町の人の雰囲気って今でもおなじじゃない?後日本的人間関係も結構はっきり描かれた居る。

 やたら骨董品を進める下宿や、どこに行っても行動を監視されているみたいに感じる雰囲気〔団子屋に入ったとか坊ちゃんの行動が皆に知られている)って今でもあるんです。やたら人などを紹介したがる方が居た〔で紹介手数料抜いているんです)、住民票をここに置いた為に入学予定だった小学校のPTAの方から電話があり、この家を改装している事をご存知だった、などなど。。祖母が亡くなってこの家が空家になるのか誰か住むのかでいろいろ話題になっているそうです。

 この辺は東京じゃないですよねー。お屋敷町はどうかしら無いが。

 登場人物の赤シャツ、狸校長。この辺は切符の良い江戸っ子坊ちゃんとの対で描かれていますが当時はどうだったのでしょうね?戦後第一次産業が衰退し〔従事者が減った)、サラリーマン社会があたりまえになったせいか、日本人の大半はこの赤シャツか狸になっているんじゃないでしょうか?坊ちゃんややまあらしタイプの人間にはすみずらい世の中だと思います。

 当地では坊ちゃんとマドンナという事で、お土産や写真を取る為の飾り物がたくさんあるのですが、改めて見るとマドンナってほとんど登場していないですね。青い鳥文庫だからはしょっているのかな?

 松山というと、まず道後温泉、坊ちゃん、みかん、正岡子規、高浜虚子、最近だと坂の上の雲の秋山兄弟ってあたりが全国知名度のランクに入るのでしょうけど、うーん。。。坊ちゃんって松山を愛した人が松山に思い入れがあって書いた本とは思えないですね。坊ちゃん自信が小説の中ではほとんどひと夏しか滞在していないでさっさと東京に帰っている。なんか変な感じです。

 まぁこういう昔の名作を読み直すのも悪くないなと思いましたし、今の日本の風土は150年前と基本全然変わっていないんだなぁーと思いました。









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商店街の再生とはいうが。。

2015-03-31 | 日本・日系企業
 地方再生とか商店街再生って。もうだいぶ前から話題になっていますよね。一方で成功例というのはほとんど聞いたことがない。成功例として取り上げられていたものも、実態は実はさびしいと聞きます。

 たまにしか日本に帰らない私も、東京以外の地方に行くと街が寂れているのには驚かされます。
 
 大阪でも平野に二つある商店街のうちひとつはシャッター。茨木は若干店は残っているけど中々寂しい。聞いて見ると阪急の駅をはさんで北と南で北は老人が多く、南は若者が多いため、南の方がよいとのこと。

 数年前に愛媛の西条というところで途中下車する機会があり、その商店街を見たらほとんど全てシシャッター。。正直絶句。。先日最近持ち直している今治タオルと今治造船のある今治にいったが、ここも完璧シャッターで、呉服屋さんとお土産やサンしかあいていない。。松山郊外の三津浜というところでは、元商店街があったと整備されたとおりに看板が立ち、シャッターが並ぶ中10年前の戦隊ものの日焼けした玩具や3年前の仮面ライダーの玩具が並ぶおもちゃ屋を発見。

 もう10年ほど前になりますが、岡山駅そばの商店街に行ったけどそこも寂れている。

 昨年末辺りから主に居住している松山も、大街道というメインの商店街があるのですが、やはり人通りはあるものの物寂しい。松山から10キロほどのところに四国最大のショッピングモールができ、そちらは土日は結構な人だかりなので、お客さんを取られたって感じなのでしょう。

 たまたまこの週末30年ぶりに呉・広島に行ったらちょっと驚き。呉は商店街がかろうじて残っている。でも厳しいだろうな、駅南口のモールに人が取られている。ところが広島の本通りは凄かった。昨日は日曜だけど凄い人手。今日も午後3時から夕方までよってみたがやはり人通りは多い。大阪の南あたりの雑踏を思い出させます。仙台にも昨年行きましたが、こんな人ではなかったな。

 まぁそれぞれ都市の地方における位置づけとかもあるので軽々にいえないのですが、まぁ隣県とも言える松山と広島を比べて見ると大きな相違は。

・広島はその本通りの直ぐそばにエディオンの本店があり、ユニクロ、その他アパレル系ブランドガ集積している。ブックオフもまぁまぁ大きいのがある。そごう、再開発したおしゃれ風なモールも直ぐそばにある。

・松山はエディオンが昨年末に改装開店したのですが、大街道から15分ほどあるJR駅前。大街道の中のテナントもしょぼい。まぁエミフル松前という10キロ離れたモールに客を食われるだけじゃなくって、それ以外に集客できそうなブランドも距離のあるJR駅前、ロードサイドにあるので客が分散しちゃっている。

 原因は何かは良く知りませんが、松山以下の愛媛の町を見ると、今治、西条、新居浜あたりは、主にイオンモールとフジという地元大手スーパー系のモールに客を食われているんですよね。何で商店街の直ぐそばとかに立地していないんでしょうね。一方、広島は家賃も結構高そうな商業集積が旨くできているんだろう。

 この辺は、地方自治体と、商店街周辺部の利権が色々と絡んでいるのでしょうけど、ぱっと見た感じで広島ってうまくやっているなと思いました。

 まぁしかし。。高齢化が進めば消費意欲が減退して、当然モールも商店街も今後は厳しくなりますよね。一方土地代なんて安くなるはず。旨くそういうの連動して再開発できないもんですかね。

 



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すっごい人がいたもんだ

2013-09-30 | 日本・日系企業
海賊とよばれた男 上
クリエーター情報なし
講談社


 こんなすごい方がいらっしゃったのだと初めて知りました。戦前の経営者や日本人には凄い方々がいるものですね。今の時代には。。。。

 出光興産という会社に関しては、石油業界の問題児というような印象しか持っていませんでした。全く興味のない業界だったということもあるのですが、確かにいろいろ非難も浴びた諸々の行動に、こういう芯の通った背景があったことは知りませんでした。

 石油がもとで太平洋戦争を起こし国を滅ぼした。その反省もあり石油に突っ込んだという話は、瀬島隆三さんをモデルにした山崎豊子の小説にも出てきていましたが、出光社長=小説内では国岡とされていますが、の孤軍奮闘ぶりがうかがわれるお話です。

 戦後GHQや石油メジャーに日本の石油供給が統制され、日石などの大手石油会社が外資に抑えられていたこと(単なる外資との提携と思っていました)、初めて知りました。そういう環境の中、役所や業界の嫌がらせを受けながら、ご自身の信念に基づき独自路線を歩み、イランやソ連との石油の輸入交渉を進めてきたこと、もっと前に日本や満州における同業やメジャーとの戦い。

 一方で、社員を全く解雇せず、時間管理もしない家族経営。


 アメリカかぶれの傾向がある私にも反省を込めて色々な示唆を与えられる本でした。昨今の日本の経営者本よりも深い。。
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