それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

東京の夜:「水曜どうでしょう」の思い出2

2010-12-22 22:07:24 | 日記
「水曜どうでしょう」と言えば、僕がはじめて「どうでしょう」を観たのは東京でだった。

その時、僕ははじめて東京にひとりで来て、ひとりきりでホテルにいた。

たしか大きな研究会に出させてもらったあとで、その日の孤独と言ったら。



まだ学部生だった僕はその日行われた研究会に全く入っていけず、全体のシンポジウムの時は良かったのだけど、そのあとのレセプションは結構大変だった。

もうプロの研究者のなかで、僕は全く場違い。

でも、ひとりの研究者が僕の相手をずっとしてくれた。彼は当時、最も名が売れていた研究者のひとりで、その時のことを今でも忘れられない。

僕が心から尊敬し、目標としている研究者のひとりだ。

彼の著作はほとんどすべて読んでいると思う。

あまり注目されていないが、彼の一番最初の本(英語)は僕の目標であり、あのイメージがあるから今の僕のプロジェクトも存在していると言っても過言ではない。



そのレセプションの後、僕はひとりとぼとぼ慣れない東京の街のなかでホテルまで歩いて帰った。

一人戻ったホテルの部屋。

孤独になった。

北海道という田舎から出てきて、大都会東京の夜は果てしなく遠い。

とりあえずテレビをつける。

チャンネルをカチャカチャとザッピングしていたら、なんと「水曜どうでしょう」が!!

画質がひどく悪い。でも、十分鑑賞できる程度。

内容は「サイコロの旅」。シリーズのうちのどれだったかは分からないが、面白かった。

面白かっただけでなく勇気づけられた。

東京でひとり小さな戦いを繰り広げていた僕にとっては、「どうでしょう」のなかで日本をぐるぐる回るパーソナリティの二人の姿は、他人には思えなかったからだ。

北海道ローカル番組がまさか東京で見れるとは。

そのローカルさに僕はまた癒されたのだ。

疲れがどっと出ていた。色々な衝撃を受けた研究会だった。

でも、研究はまだまだ続く。僕はその2日後行われた別の研究会でも大きな衝撃を受けることになる。僕は確か週をまたいでずっと東京に滞在しながら、研究会を連戦したのであった。

それを一瞬ではあったが確かに支えた「水曜どうでしょう」。

カナダに留学する何年も前の話である。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿