それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

映画「ぐるりのこと」、私のこと、フローズンヨーグルトのこと

2010-07-20 03:37:42 | 日記

■FYのこと

提出後、用事があって街へ。

帰りに前からチェックしていたフローズンヨーグルト屋さんへ。

僕は行く先々でアイスを食べる、アイス野郎なのだ!

今日はシャーベットでも、アイスクリームでも、ジェラートでもないフローズンヨーグルト(以下、FY)。

これまで日本のお店で食べて失敗した苦い経験をもつFY。

今回のお店は・・・・・・、最高です!美味しかったです。

まさにミルクではなく、ヨーグルトだからこそ出てくる酸味が見事に生きている。

われわれがFYに求めるのは、コクではなく、さわやかさなのだ!それをよく分かっている。

そしてその酸味も強すぎない。甘さとの調和が素晴らしい。口どけもきわめて上質になめらか。

そこに生のフルーツをトッピング。このフルーツはフローズンではないのです。そこが良かった。

凍っていないからこそ出てくるフルーツの甘さがFYの酸味と調和。決して固くないフルーツの触感は、FYに違和感を惹き起こすことなくマッチ。

そう!これこそFYだ!



■映画「ぐるりのこと」

観てしまいました、「ぐるりのこと」。主演のリリー・フランキー絶賛の声とともに、映画自体を熱く評価する人が絶えなかったこの作品。

自分は映画をほとんど観ないけれど、もう今日は研究を本当にしたくなくて(本当に今回の論文の執筆で消耗したのか、珍しく)、この映画を観ることにしたのであります。

最初の3分の1で、観るのを止めそうになった。悲しくて。

それに加えて、人間(特に若者)の描き方が偏っているのではないかとの違和感を抱いていたものの、その後、一気に映画に引き込まれる私。

リリーさんの奥さん役の木村多江さんは、見事に壊れていく女性。

リリーさんはちゃらんぽらんなようで、大事なものをつかんで離さない芯のある男性。

両者の好演はまさに受賞もの。セリフを言っている感じが一切しない。一番、セリフになりそうなカタストロフィがマックスのシーンでの、リリーさんの(主人公の)過去に触れる応答は天才的。見事。


自分が一番引き込まれたのは、男性、女性それぞれの描き方。

特に、女性と血の描き方は暗喩全開。

生理、出産はまさに女性の性の部分であり、生をつかさどる部分。そこで血はきわめて重要な意味をもつ。

他方、出血すれば人間は死んでしまうわけで、血には死の意味も感じさせる。

その死はリリーさんが傍聴し続ける事件とつながり、生の部分は木村さん演じる奥さんの妊娠をめぐる部分とつながり、そのふたつは、奥さん自身が壊れていく中でひとつにつながる。

最初、この比喩的な部分がいやらしく感じたのだけど、奥さんの崩壊のなかで見事に昇華されてしまった。


男性の描き方の方でポイントだったのは、パートナーの困難に直面したとき、男はどうするのか、ということ。

死ぬのも逃げるのと一緒、というリリーさんの言葉は本当に厳しい。

映画のなかでは、逃げる男が度々登場する一方、戦う男も登場。リリーさんは自分にどちらであるのか?と問いかける。中間です、と言うものの、立派に戦ちゃってるリリーさん。

男の弱さをとことん突きつけられる視聴者。すいません・・・。


「おくりびと」と反対に、人間のいやらしい部分を沢山描いてきたこの作品。人によっては「おくりびと」より俄然「ぐるりのこと」という人も多いはず。

というのも、それをリアリティと感じる人がきっといるから。

ただ、この男女の関係の微妙な機微は、視聴者の経験によって感じ取れる人と感じ取れない人も出てくるかもしれない、とこの映画の感想をネットでチェックしながら、ため息。

突きつけられた問題がいかにハラワタにズシンとくるかは人それぞれかも。

結局、後味の良い映画としてすっきり見られるのは、最後のストーリーの展開とともに、急激なテンポアップのせいでもある。

それまでに十分ストーリーを視聴者のなかに飲み込ませ、盛り上がらせたので、そこからの静寂→テンポアップは、本当にコントラストで効果的。


自分の深いところを鎮めてくれた映画です。ありがとう、監督&スタッフ(僕は誰?)。

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