それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

ノスタルジー、僕の不完全性定理

2010-07-22 05:21:55 | 日記
小学6年生のころ、自由課題のノートを毎日か週に何回か提出しなくてはならなかった。

毎回、そのノートに自分の好きなことについて論じるというもの。

今思うと毎回チェックする先生は大変だったろうなと思う。

そこでひとつだけ覚えていることがある。

僕はある日、読んでいた図解の数学の本のなかから、ゲーデルの不完全性定理のページを丸々書き写したのである。

もちろん意味など分からない。ただ、ゲーデルの似顔が印象的でそれをどうしても書きたかったのだと思う。

そして、先生は大きく「?」と付けてきた。

あれから何年たったか、イギリスの大学院で博士号を目指しながら、あの時の少年は、どういうわけか再びゲーデルの不完全性定理に興味を持ったのである。

そして再度調べてみる・・・、分からない。

大人になっても、分からない。

再びこんにちは少年の僕。

社会科学者として心配な僕。

どうもこの不完全性定理は嘘つきのパラドクスと関係しているらしい。

これはよくTVでも出てくるやつ。

A「お前はウソをついたら殴る。本当のことをいったらビンタ。さあ、何か言え。」

B「僕は殴られます。」

こうなると殴ることも、ビンタもできなくなるという話。

今思えば、この不完全性定理の前の方のページには嘘つきのパラドクスの話も載っていた。

さて、いざ本丸へ、というわけで不完全性定理について一生懸命考えるが、なんだかよく分からない。

とにかく、正常な論理体系のなかには必ず証明不可能な命題が存在するらしく、同時に、そうした論理体系は自分自身の無矛盾性を証明できないらしい。

これじゃあ、小学生のとき同じ理解!!

その証明自体は、「はあ、そうですか。そう見えますね。」という浅い理解しか及ばず、その後に出てきた同じような、チャイティンの不完全性定理に至ってはチンプンカンプンである。偶然性が何・・・?

僕の不完全性が証明されました。ごきげんよう。

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